鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土 弥生後期人骨のDNA分析
篠田謙一・神澤秀明・角田恒雄・安達 登

国立歴史民俗博物館研究報告 第 219 集 2020 年 3 月
2019 年 5 月 10 日受付,2019 年 10 月 25 日審査終了

32個体の母系のミトコンドリアDNA分析では、1体を除き全て弥生系との結果である
 4個体のY染色体のハプログループは、一つを除き、縄文系。
性選択の結果ともとれるが、Y染色体数が少ない

6個体のSNP分析 では、バラツキはあるが、全て現代日本人の範囲におさまっている
現代日本人に比べて、遺伝的均一性は、明らかに低い集団である
 明らかに5世代以上、孤立して存続した集団ではない

別の人骨年代測定結果は、 BC1630から1990である

青谷上寺地遺跡は道路建設に伴って発見された弥生時代後期の遺跡で,1998 年度から 3 年間の 発掘で,多量の土器や木製品などの考古遺物とともに約 5300 点の人骨がまとまって発掘されてい る。

これらの人骨は SD38 と名付けられた遺構に集団埋葬されていること,かなりの人骨に殺傷痕 が認められること,泥湿地に埋葬されていたために比較的残りがよく,中には脳の残っていること がある事などから,発掘当初から大きな注目を集めた[鳥取県教育文化財団 2001・2002]。

現在では,弥生時代の初期に 在来の縄文人と大陸から渡来した集団が混合して,現代日本人につながる集団が成立したと考えら れている[Hanihara, 1991 など]。ただし,その過程を正確に知るためには,各地の弥生人集団の遺 伝的な特徴を明らかにする必要があるが,渡来系弥生人骨の出土は北部九州・山口地方に偏在して おり,その実態を全国レベルで捉えることは未だできていない。

1. サンプル
個体の識別は完全にでき ているわけではない。頭骨と下顎に関しても 同一個体であると判断されているものもある が,一致していないものもある。つまりサン プリングに際しては全てが別個体から採取さ れたものと断定できない状況にある

全部で 38 サンプルを分析したが,その ような理由からこれらの中には,同一個体の 頭骨と下顎骨からサンプリングした可能性の あるものも含まれていることには注意する必 要がある。

今回の DNA 分析は埋葬人 骨のうちの 3 分の 1 程度を対象としたことに なる。

古代 DNA では,死後に DNA 配列のシトシン塩基に脱アミノ化が起こる現象が知られている

Ⅲ 結果
1. ミトコンドリア DNA 分析

頭骨から採取したサンプルと下顎の臼歯のサンプルの間で,ミトコンドリア DNA の 全配列が完全に一致したものが 2 組あった。ミトコンドリア DNA は母系に遺伝するので,この 2 組は同一個体の頭骨と下顎骨である可能性がある。従って,34 サンプルの最少個体数は 32 個体で あると判断した。

異なる個体間で,ミトコンドリア DNA の配列が完全に一致したものは 3 組存在した。これらに は,個体間で母系での血縁関係があると判断される。従って 32 個体のうち,母系の血縁がある可 能性のある個体は 6 体,全体の約 2 割ということになり , 残りの 26 体,8 割の人々の間には母系の血縁が認められず,合計すると 29 系統の母系が認められることになった。


ハプログループ D4 に属するものは 全体の 45 % を占めており,現代日本人の 32 % [Tanaka et al., 2004]を大きく上回っている。

注目 すべきは,この中で明らかに縄文系と考えられるハプログループがほとんどないことである。縄文 の代表的なハプログループは M7a と N9b であるが[Adachi et al., 2011],青谷上寺地遺跡のサンプ ルでは,前者が 1 例認められるだけだった。すなわち,青谷上寺地遺跡に見られる母系の DNA 系 統は,ほとんどが弥生時代以降に日本列島にもたらされたものだと考えられる。

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2. 核 DNA の分析

充分な量の DNA が残っていると予想された 6 サン プルについて,核ゲノムの解析を行った。

解析できたゲノムの量を示すカバレッ ジは,最も良かった 8 号頭骨で約 40 %,最も悪いのが下顎 10 号の 1 % 程度とバラツキがある。

各個体のDNA断片から,X染色体とY染色体由来の断片の比を求めて性別を判定した。その結果, 第 15 頭骨を除いて,5 体が男性だった。

下顎 10 号は DNA 断片の数が足りずに決定に至らなかったが,他の 4 個体に関しては,2 体 でサブグループまでを判定し,2 体で大分類までのハプログループの決定ができた。

興味深いこと に,決定できた 4 体のハプログループのうち,渡来系の弥生人のハプログループと考えられるもの は 21 号頭骨の一体のみ(ハプログループ O)で,残りは縄文系と考えられているタイプだった(ハ プログループ C1 と D)。この結果は,ミトコンドリア DNA とは全く逆の傾向を示すことになった。

この結果は,ミトコンドリア DNA とは全く逆の傾向を示すことになった。  核 DNA データから SNP 情報を抽出し,アジアの他集団との比較を行った結果では,青谷上寺 地の各個体は,現代日本人の範疇に入ったが(図 4),狭い範囲に固まることはなく,現代日本人 の中に広範に散在する形となった。

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いくつかの個体では,分析できた SNP の数が少ないので,そ のためによるバイアスを見ている可能性はあるが,比較的ゲノムのカバレッジが高かった 15 号と 8 号は大きく離れており,今回分析した個体同士の遺伝的な構成がバラついていることは間違いな い。


Ⅳ 考察
基本的には,弥生時代を通して 在来集団と渡来してきた集団の混血が進んだと考えられるので,今回解析した青谷上寺地遺跡集団 の遺伝的な変異が大きいという事実は納得できる。

一方で,母系に遺伝するミトコンドリア DNA の多くが渡来人に由来するものであるのに対し,父系に伝わる Y 染色体 DNA の大部分が在来の 縄文人に由来するものだと考えられることは,婚姻が在来系集団と渡来系集団の間でランダムに行 われなかった可能性を示唆している。しかし解析できた Y 染色体ハプログループのデータが 4 例 と少ないので,現段階ではこの問題に結論を出すことは難しい。その解明は今後の課題としたい。

狭い溝の中から 5300 点もの人骨が散乱状態で出土した。同時期に遺棄されていることか ら同時代を生きた人々であると判断でき,先祖と祖先の関係を見ているわけではないので,この事 実は彼らの大部分が同時期に生きた母系の血縁関係のない人々であったことを示している。核ゲノ ム解析でも,解析した個体のゲノムは広く現代日本人集団の中に散在しており,集団として遺伝的 な多様性が高かったことが示されている。

ヒトの流入が少ない長く続いた村落では,同族の婚姻が増えることで,やがて構成するミトコン ドリア DNA のハプロタイプは少なくなるのが一般的である。その場合は,特定の数種類のタイプ が多数を占めるようになることが,これまでに行われた縄文時代の遺跡で確認されている[Shinoda and Kanai, 1999]。これに対し,都市のように多くの人々が流入や離散を繰り返しているような地域 では,同時期に多数のミトコンドリア DNA のタイプが観察されることが予想される。


青谷上寺地遺跡の集団埋葬人骨は,その中に多数の殺傷痕が認められることから,由来について 関心が持たれている。彼らはある時期には,この集落を構成していた人々であると考えられており, 仮に彼らがこの遺跡に長期間居住した人々であったとすれば,互いがほとんど血縁関係を持たない 人びとで,それがまとめて殺傷されたということになる。年代測定から,これらの人骨はいわゆる「倭 国大乱」の時代に生きた人々であることも分かっている[濱田他,2020]。

そのゲノム解析から,弥生後期の山陰地方では,在来 集団と渡来系集団の混血が進み,総体としては現代日本人に近い遺伝的な組成をしていることが判 明した。また,個体同士の遺伝的な違いは大きく,充分な混血が進んでいなかったことも示唆され