朝鮮旅行記
ゲ・デ・チャガイ編
ソウルから北朝鮮を経てポシュートに至る徒歩の旅日記
(1885年12月6日ー1886年2月29日)
パーヴェル・三ハイロヴィチ・ジェトロケヴィチ
p3
本書は1958年にモスクワで刊行された「朝鮮紀行集1885ー1896年」の全訳である
p26
成人男子は24万ケシから30万ケシで売買されるが、これは我々のお金で約200ルーブルに相当する
p29
この地方はほぼ全域にわたり地表が露出している。草さえも、燃料の為に刈り取られるからである
p32
元山朝鮮人は、もっぱら日本人及び中国人と取引を行っている。朝鮮人が購入するのは、木綿生地、綿、様々な銅製品の小間物、染料、並びに米で
【この記述から見ても、染料が国内生産できず、李朝時代を通じて中国との朝貢貿易で入手していたことでほぼ間違い。従って染料自体が高価であり王宮関係者やごく一部の高い地位の両班しか色つきの服を着れなかったことは確実で、アメリカ議会図書館の写真から見ても間違いない。】
p41
ここは退屈極まりない土地で、山ははげ山、植生はほとんど見られない
朝鮮の現況(1885年)
アムール州総督府官房付
公爵ダデシュカリアニ
p73
住民と社会風俗
各州の長官から3年おきに中央官庁へ寄せられる情報によると、2年前の朝鮮の人口は1063万人(女性の方が多数を占める)であった
p74
朝鮮の僧侶は完全に軽蔑されていて、僻地の僧院に民衆から全く隔絶して暮らしている
性格的には、朝鮮人は自らが模倣に努める中国人よりも、日本人によく似ている。朝鮮人は機知に富み、活発で、感受性や好奇心も旺盛である。私の朝鮮滞在中、私は正真正銘の殉教者であった。私がある村に姿を現したとしよう。するとたちまち、私は数百人の群衆に取り囲まれてしまう
【パーヴェル・三ハイロヴィチ・ジェトロケヴィチもメモはしないが、数十人の朝鮮人がはじめての外国人を異様なほど見たがった同様の記述を繰返し述べている。ビッショプ夫人も日本奥地紀行で同様の体験を何度もしているが、中国奥地紀行の場合は異なる】
p75
朝鮮人に固有と言える特徴は、温和、全量、従順である。1100万の大衆は、軍隊の関与や戦闘がなくとも、ただ官吏の命令一下で統治されている。
p76
彼らは衣服によって、いかなる階層に属するか、妻帯者かそれとも独身か、また誰の喪に服しているのかなどを見分ける。
p78
朝食後に農作業が始まるが、どんな仕事でも正午には終わって、再開は決まって翌朝である。午餐を済ませると男たちは昼寝をするか
朝鮮慣習法の基礎は収奪である。
国内で最も恐ろしい悪は、住民のカースト的細区分である。
朝鮮独自の世界観によると、各職業はそれぞれに相異なる身体的並びに道徳的性格を備える、独特の人間たちを生むという。
我々の理解するところでは、朝鮮人は主要な3階層に区分が可能である。
これらの3階層は
決して婚姻を介して相互に混じりあってはならない
これらの階層のそれぞれには、たくさんの下位区分が存在する
【ビショップ夫人は朝鮮人農民が中国・日本と異なり、あまりにも怠惰であるのに驚いているが、上の赤字部分のことであったのだ。日露戦争前のロシア帝国のアムール州総督府の貴族官僚が、いずれは自分たちの支配下に置くことを目指していた朝鮮半島の農民を悪く書くことは当然ありえないが、上の赤字が事実であれば、ビショップ夫人と同じくとんでもないレベルで怠惰である。しかし、当然であるが、怠惰であるとは書けないので事実をかいたのであろう】
p80
奴隷は王国でもっと醜悪なる現象で、決定的に風紀を退廃させている
奴隷は誰でも購入が可能だからである
p92
昨年の12月から王室は新宮に住んで居るがそれ以前は古宮に居た
1895年ー1896年の南朝鮮旅行
参謀本部 カルネイエフ大佐、三ハイロフ中尉
p217
44歳の男性である国王は豊かで思慮深い表情とたいそう生き生きした目の持主であり非常に好印象を与える。24歳の皇太子は病的なまでに黄色い色の顔をしており、無気力でうつろなまなざしとこわばった微笑が印象に残った
p226
国王は自らの王宮にありながらも、とりわけイ・ソ・チェンの部隊が町を占拠しかねない状の下で安泰ではあり得なかった。
かかる状況下で、国王は皇太子と共に、ロシア帝国使節団に救援を求める決意を固めた。
p227
国王が王宮を脱出してわが公使館へ向かった。
国王に対する監視は厳重を極めたから、
夫人の輿は内部を改めないのが国のしきたりだった
(長くなるのでメモ省略するが、要するに、朝鮮国王は女性が載る輿に乗って王宮を出てロシア公使館へ早朝に脱出した旨書いている、高宗は夜に執務するので朝早く起きることはなく、その点を利用したのだそうだ。記述内容は非常に詳しい、恐らくは、この大佐が計画立案者の一人であろう。本国参謀本部の大佐クラスは日本であれば、完全に軍全体の真の中枢であり、帝政ロシアでも同じであったはずである。)
1895年12月及び1896年1月の朝鮮旅行
参謀本部アリフタン中佐
p297
国内の全権を掌握した日本人が全てを自分の流儀に作り替えようと躍起になっている今日、
【日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月でありそれ以前の1895年時点においてロシア参謀本部の中佐が上記のような印象を持たざるをえなかった点からみて、1895年において事実上は既に日本の傀儡国家であったといえる】
p298
朝鮮人の許に見られる、驚異的なまでに受動的で進取の気性を欠く性格、
この民族の許に非常に特異で、社会的見地からも興味深い生活様式を生み出した。彼らに最も典型的な特徴は以下の通りである
1.簡素な生活
2.朝鮮人家庭が必要とするすべての物品は、その成員自身が生産する事実に由来する。極端な経済的自立性
3.朝鮮で彫金が他の国々におけるほどには全能の力を有していない
4.朝鮮にとっては。土地のみが生存を保障し、常に確実な収入をもたらすので、
労働と気配りは全て、主として農業に集中している
5.国内では工場については言うに及ばず、家内工業と手工業生産だけがごく細やか発展を示すに過ぎない
p300
朝鮮における商業の実体は、大きな町(例えば慶興)に小間物を取り扱う小商店すら一軒も存在しないという状況から判断することができる。
p312
1392年、現朝鮮王朝の初代国王が王座に就いた際、彼の王権樹立に協力した者全員に対して、貴族の称号が授与された。その他の朝鮮人は全て農奴ないし奴隷であるとの布告が出された。
かくて朝鮮には、貴族、平民、農奴若しくは奴隷の三階級が現存する
【李朝朝鮮の奴婢は、初期~中期には、所有者である両班と別に住むが奴婢が多数存在していた、それを農奴と正しく見抜いている、李朝末期には別に住む奴婢戸はほぼ消滅し、両班と同居する奴隷=奴婢のみとなった】
ゲ・デ・チャガイ編
「朝鮮現代史 p66高宗は1897年2月慶運宮に移るまでロシア公使館に滞在したので、ロシアの勢力が増大した。」
何よりもこの点に留意するべきである。日露戦争は明らかに当時のロシア帝国と日本のどちらが朝鮮半島を領有するのかをめぐっての戦争であり、日露戦争前の事実上はスパイ報告的な軍人による3つの内容を含んでいる。従って、同じような時期訪問の他の外国人による辛辣を極めた朝鮮人への印象とはかなり異なる。しかし、中国・日本との比較においてその異常なまでの後進性はハッキリ確認しえ、スパイ報告的な内容の利点である
①1895年時点においてロシア参謀本部の中佐が「国内の全権を掌握した日本人が」と明記している点
②釜山を港として高評価している=帝政ロシアは釜山をウラジオストックに替わる軍港として明らかに欲していた。(=日露戦争の根本原因である帝政ロシアが朝鮮領有を意図していた最大の原因は、極東ロシア艦隊の不凍港としての釜山港にあったようだ??)
この2点が注目される
何よりもこの点に留意するべきである。日露戦争は明らかに当時のロシア帝国と日本のどちらが朝鮮半島を領有するのかをめぐっての戦争であり、日露戦争前の事実上はスパイ報告的な軍人による3つの内容を含んでいる。従って、同じような時期訪問の他の外国人による辛辣を極めた朝鮮人への印象とはかなり異なる。しかし、中国・日本との比較においてその異常なまでの後進性はハッキリ確認しえ、スパイ報告的な内容の利点である
①1895年時点においてロシア参謀本部の中佐が「国内の全権を掌握した日本人が」と明記している点
②釜山を港として高評価している=帝政ロシアは釜山をウラジオストックに替わる軍港として明らかに欲していた。(=日露戦争の根本原因である帝政ロシアが朝鮮領有を意図していた最大の原因は、極東ロシア艦隊の不凍港としての釜山港にあったようだ??)
この2点が注目される
ソウルから北朝鮮を経てポシュートに至る徒歩の旅日記
(1885年12月6日ー1886年2月29日)
パーヴェル・三ハイロヴィチ・ジェトロケヴィチ
p3
本書は1958年にモスクワで刊行された「朝鮮紀行集1885ー1896年」の全訳である
p26
成人男子は24万ケシから30万ケシで売買されるが、これは我々のお金で約200ルーブルに相当する
p29
この地方はほぼ全域にわたり地表が露出している。草さえも、燃料の為に刈り取られるからである
p32
元山朝鮮人は、もっぱら日本人及び中国人と取引を行っている。朝鮮人が購入するのは、木綿生地、綿、様々な銅製品の小間物、染料、並びに米で
【この記述から見ても、染料が国内生産できず、李朝時代を通じて中国との朝貢貿易で入手していたことでほぼ間違い。従って染料自体が高価であり王宮関係者やごく一部の高い地位の両班しか色つきの服を着れなかったことは確実で、アメリカ議会図書館の写真から見ても間違いない。】
p41
ここは退屈極まりない土地で、山ははげ山、植生はほとんど見られない
朝鮮の現況(1885年)
アムール州総督府官房付
公爵ダデシュカリアニ
p73
住民と社会風俗
各州の長官から3年おきに中央官庁へ寄せられる情報によると、2年前の朝鮮の人口は1063万人(女性の方が多数を占める)であった
p74
朝鮮の僧侶は完全に軽蔑されていて、僻地の僧院に民衆から全く隔絶して暮らしている
性格的には、朝鮮人は自らが模倣に努める中国人よりも、日本人によく似ている。朝鮮人は機知に富み、活発で、感受性や好奇心も旺盛である。私の朝鮮滞在中、私は正真正銘の殉教者であった。私がある村に姿を現したとしよう。するとたちまち、私は数百人の群衆に取り囲まれてしまう
【パーヴェル・三ハイロヴィチ・ジェトロケヴィチもメモはしないが、数十人の朝鮮人がはじめての外国人を異様なほど見たがった同様の記述を繰返し述べている。ビッショプ夫人も日本奥地紀行で同様の体験を何度もしているが、中国奥地紀行の場合は異なる】
p75
朝鮮人に固有と言える特徴は、温和、全量、従順である。1100万の大衆は、軍隊の関与や戦闘がなくとも、ただ官吏の命令一下で統治されている。
p76
彼らは衣服によって、いかなる階層に属するか、妻帯者かそれとも独身か、また誰の喪に服しているのかなどを見分ける。
p78
朝食後に農作業が始まるが、どんな仕事でも正午には終わって、再開は決まって翌朝である。午餐を済ませると男たちは昼寝をするか
朝鮮慣習法の基礎は収奪である。
国内で最も恐ろしい悪は、住民のカースト的細区分である。
朝鮮独自の世界観によると、各職業はそれぞれに相異なる身体的並びに道徳的性格を備える、独特の人間たちを生むという。
我々の理解するところでは、朝鮮人は主要な3階層に区分が可能である。
これらの3階層は
決して婚姻を介して相互に混じりあってはならない
これらの階層のそれぞれには、たくさんの下位区分が存在する
【ビショップ夫人は朝鮮人農民が中国・日本と異なり、あまりにも怠惰であるのに驚いているが、上の赤字部分のことであったのだ。日露戦争前のロシア帝国のアムール州総督府の貴族官僚が、いずれは自分たちの支配下に置くことを目指していた朝鮮半島の農民を悪く書くことは当然ありえないが、上の赤字が事実であれば、ビショップ夫人と同じくとんでもないレベルで怠惰である。しかし、当然であるが、怠惰であるとは書けないので事実をかいたのであろう】
p80
奴隷は王国でもっと醜悪なる現象で、決定的に風紀を退廃させている
奴隷は誰でも購入が可能だからである
p92
昨年の12月から王室は新宮に住んで居るがそれ以前は古宮に居た
1895年ー1896年の南朝鮮旅行
参謀本部 カルネイエフ大佐、三ハイロフ中尉
p217
44歳の男性である国王は豊かで思慮深い表情とたいそう生き生きした目の持主であり非常に好印象を与える。24歳の皇太子は病的なまでに黄色い色の顔をしており、無気力でうつろなまなざしとこわばった微笑が印象に残った
p226
国王は自らの王宮にありながらも、とりわけイ・ソ・チェンの部隊が町を占拠しかねない状の下で安泰ではあり得なかった。
かかる状況下で、国王は皇太子と共に、ロシア帝国使節団に救援を求める決意を固めた。
p227
国王が王宮を脱出してわが公使館へ向かった。
国王に対する監視は厳重を極めたから、
夫人の輿は内部を改めないのが国のしきたりだった
(長くなるのでメモ省略するが、要するに、朝鮮国王は女性が載る輿に乗って王宮を出てロシア公使館へ早朝に脱出した旨書いている、高宗は夜に執務するので朝早く起きることはなく、その点を利用したのだそうだ。記述内容は非常に詳しい、恐らくは、この大佐が計画立案者の一人であろう。本国参謀本部の大佐クラスは日本であれば、完全に軍全体の真の中枢であり、帝政ロシアでも同じであったはずである。)
1895年12月及び1896年1月の朝鮮旅行
参謀本部アリフタン中佐
p297
国内の全権を掌握した日本人が全てを自分の流儀に作り替えようと躍起になっている今日、
【日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月でありそれ以前の1895年時点においてロシア参謀本部の中佐が上記のような印象を持たざるをえなかった点からみて、1895年において事実上は既に日本の傀儡国家であったといえる】
p298
朝鮮人の許に見られる、驚異的なまでに受動的で進取の気性を欠く性格、
この民族の許に非常に特異で、社会的見地からも興味深い生活様式を生み出した。彼らに最も典型的な特徴は以下の通りである
1.簡素な生活
2.朝鮮人家庭が必要とするすべての物品は、その成員自身が生産する事実に由来する。極端な経済的自立性
3.朝鮮で彫金が他の国々におけるほどには全能の力を有していない
4.朝鮮にとっては。土地のみが生存を保障し、常に確実な収入をもたらすので、
労働と気配りは全て、主として農業に集中している
5.国内では工場については言うに及ばず、家内工業と手工業生産だけがごく細やか発展を示すに過ぎない
p300
朝鮮における商業の実体は、大きな町(例えば慶興)に小間物を取り扱う小商店すら一軒も存在しないという状況から判断することができる。
p312
1392年、現朝鮮王朝の初代国王が王座に就いた際、彼の王権樹立に協力した者全員に対して、貴族の称号が授与された。その他の朝鮮人は全て農奴ないし奴隷であるとの布告が出された。
かくて朝鮮には、貴族、平民、農奴若しくは奴隷の三階級が現存する
【李朝朝鮮の奴婢は、初期~中期には、所有者である両班と別に住むが奴婢が多数存在していた、それを農奴と正しく見抜いている、李朝末期には別に住む奴婢戸はほぼ消滅し、両班と同居する奴隷=奴婢のみとなった】
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