古代束アジアの日本と朝鮮「大王」の成立をめぐって一
坂元義種
1968年

古代朝鮮に関しては、中国史書だけが、文献である。


「百済王」 の地位は、 王族たる「扶余」氏によって独占され、王弟・王叔の輔佐のもとに王権も成長した。また、王族とともに王権を支えたものには、真景・解残があり、彼等は、時には姻族(王妃族)ともなって王権の伸長に積極的な役割を果したのである

〈百済大王〉が生まれた、その前・後に、実は、近隣諸国においても「大王」が成立していたのである。四世紀末には高句麗に、百済と同じく五世紀には倭に、そして六世紀には新羅に、それぞれ「大王」が誕生していたのである。四世紀末から六世紀中頃という、かなりの時間的な経過があるとはいえ、このように隣接する諸国に、網次いで「大王」が成立しているのは見過ごしてえぬところ

高句麗の場合一燕国とも関連させて

【コピペできないので、以下はメモ。坂本氏は全て中国の一次資料に依拠している。日本における古代朝鮮史の書き換えとも言うべき現象を感じざるを得ない。井上秀雄氏の「古代朝鮮」との記述内容の差に驚かざるを得ない。この猛烈に古い論文が今日においてもネット上にある理由だろう。厳密に一時資料を明記している】

*高句麗は百済・新羅の朝貢を受けていた旨
*倭が南朝鮮に進出し百済・新羅は倭の臣民となったので高句麗は軍を派遣して倭を破った。
*新羅は、王族が人質になるなど高句麗の強い影響下にあった。特に4世紀後半から5世紀中頃には事実上は高句麗の支配下にあったが、5世紀後半には高句麗の支配下を離れた
*その後、475年に百済の首都が高句麗によって陥落したがその際には新羅が百済に援軍を送っており、高句麗の支配下を離れ事実上は独立した