第二次世界大戦前の朝鮮史研究成果による。ただし、明らかに唯物史観の立場に立つ旗田巍という歴史学者が、1951年即ち朝鮮戦争の真っただ中で書いた朝鮮史の定番本である。(2008年復刻発行

「1950年6月25日に始まった動乱は、(以下略)」この記述だけで上記は明白であり、北朝鮮軍の侵攻を「動乱」と記述するのは、あまりに酷すぎる。

このタイプの連中が、従軍慰安婦の一次資料集が出ているのに精査することすらせず、付和雷同・高吟して、韓国人どもと従軍慰安婦問題を創出し、少し考えるだけで、嘘とはっきりわかる元慰安婦の証言から、朝鮮半島での慰安婦強制連行という日本人の国際的名誉棄損問題を作り出したと断言してよい。

ところで、この学者、参考資料で、ほとんど1次資料を挙げていない。ほぼ全てが、他の学者の論文等である。こんなんで、歴史学者?

最も重要なのは次の点だ
「p95
「この年、蒙古兵に捕らえられた男女およそ20万6800人、殺戮せられた者は数えることができない。蒙古兵が通った州郡は皆廃墟となった」と高麗史に記されている」
30年にも及ぶ抵抗は、人口の激減 をもたらしたことは確実だ
P7~9
武帝は、朝鮮を直轄領土に編入し、楽浪郡他(略)4郡をおき、郡をいくつかの県に分けた。(略)中国王朝の権力が直接に朝鮮支配することになった。(略)4郡新設から郡の消滅まで前後400年間、中国官人は朝鮮を支配したのである

P11
漢代の楽浪郡は戸数約6万・人口40万・属県25をもつ大郡であった。(略)平壌には中国の官人が住み中国風の官庁や住宅ができ、中国の美しい文物が持ち込まれた。(略)出土品は素晴らしい漢文化の典型を示し「楽浪文化」という名で世界に知れ渡っている

P19~21
朝鮮半島の中部・南部には韓という種族がいた。(略)高句麗族が狩猟民として発展したのに対して韓族は農耕民として成長した。(略)
当時の韓族、馬韓、辰韓、弁韓の3つに分かれていた

P25~26
313年、前後約400年間続いた楽浪郡はついに滅亡した。(略)中国官人の支配は取り除かれた(略)
楽浪・帯方2郡の滅亡は朝鮮の発展にとって画期的事件である。これまで数百年にわたって朝鮮を直接的に支配してきた中国官人がいなくなり

P41~44
高句麗・百済・新羅の3国が争ったのは、ほぼ4世紀から7世紀にわたる時代であった。(略)
6世紀の中頃に任那は新羅に併合され日本は朝鮮における拠点を失った。(略)
唐は(略)百済を討つことにし(略)百済征服に成功した。(660年)(略)
百済救援は失敗に終わった(663年)

P46
新羅が朝鮮を統一するまでは、朝鮮は政治的に分裂していただけでなく、種族的にも分裂していた。
(略)
言語・習俗が違い、両者を統一した朝鮮人はまだ成立していなかった。
(略)

P55
新羅は唐を宗主国と仰ぎ年々使節を送るほかにたえず留学生・留学僧を派遣して唐文明の学習に努めた。(略)新羅が最大の努力を傾けて学んだのは仏教文化であって、儒教文化ではなかった。

P64
農民暴動で口火が切られた地方の騒乱は、936年に高麗が朝鮮を統一するまで約半世紀間続いた。

P79
高麗時代になると、朝鮮仏教の全盛期が表れた


P97
高麗国王は元帝室の女を王妃とし、そこに生まれた混血児が代々高麗王となった。

P98
国王はしばしば開京を空にして元の都に住み、元の都から高麗の官人を指揮した。そこには朝鮮の君主としての形式までが失われている。(r略)大元帝国の威光に頼る支配は前後約百年間続いた

P109
高麗王朝は滅亡した(1392)


過去抜粋一覧
吉見義明編集「従軍慰安婦資料集」①抜粋