チベット仏教
吉永 千鶴子

岩波新書
2026年

以下が、ダライ・ラマ8世~13世の生没年である。9世~12世はほぼ確実に毒殺されたと思われる。何故、チベットにおいてのみ、このような特殊な統治形態が蔓延し続けたのか?は興味深い現象ではあるものの、チベット仏教自体は、僧院形態がキリスト教修道院とは大きく異なる。

ダライ・ラマ8世、 1758年 - 1804年、46歳
ダライ・ラマ9世、1805年 - 1815年、10歳
ダライ・ラマ10世、1816年 - 1837年、21歳
ダライ・ラマ11世、 1838年 - 1856年、18歳
ダライ・ラマ12世、 1857年 - 1875年、18歳
ダライ・ラマ13世、 1876年 - 1933年、57歳


p2
チベット帝国が成立したのは620年代と推定される。

p6
【チベット王名】は、それに先立つ761年仏教の国教化を決定した

p92
12世紀以降、学者、修行者、そして為政者と庶民までが仏教に傾倒し、チベット全体が仏教化していった

p116
1959年にダライラマ14世の亡命以前は、
チベットの領域に6000もの大小の僧院が存在し、人口の約20%が僧侶(男僧18%、尼僧2%)であったといわれる
今日では寺僧院の数は3000余り、僧尼の数は16万余り。
中国内のチベット人口は約540万とされるのでおよそ3%である

p138
チベットではだいたいの僧が7歳から10代に間で出家していた。

p143
カルマ派において、14世紀、転生化身による相続が始まったことはよく知られている。

p144
大僧院ばかりでなく、各地の小さな僧院の住職も生まれ替りによって相続されるようになると

p153
亡命政府の統計によると、1959年以前には818を数え、二万7000人余りの尼僧がいたという。

p155
河口慧海によれば、チベット僧の理想は、「名声を高く広く上げたい」「財産を沢山に得たい」という二つであり、「衆生救済のために修行するのではない」。

p157
河口慧海は世間において僧侶の値打ちは「財産の多い少ないで決まる」とも述べている
学徳の高い僧侶は多くの寄進を受けて裕福になるからである
僧侶の私有財産や遺産相続はインドの僧院でも認められ、問題はなかったのである。チベットでは僧侶個人が土地を所有することも可能であった。転生化身はだいたい僧院のオーナーであり、荘園を所有する。化身の遺産は原則として次の転生者に継承される。
同じ一族から転生者が出ることも多かった。

p158
チベットの仏教僧院はその規模によって大きな経済格差があるが、大僧院は例外なく資産を持っていた。主な収入源は、荘園、寄進、商売、金融業である。20世紀初め、チベットの耕作可能地の37~50%が僧院と転生化身者の所有であり、残り半々が政府と貴族の所有であったという

p160
【コデン(クデン)は、モンゴル帝国の第2代カアン(皇帝)・オゴデイの次男。つまりチンギスハーンの孫にあたる。コデンの】甥のパクパが
フビライハーンの信任を得て帝師となったことで

p166
ダライ・ラマ政府において、19世紀以降、摂政(名代職ともいう)が実権を握り、9世から12世はみな早逝している(暗殺されたとも言われる)

p172
チベット仏教は民間信仰との混淆だといわれる。

p228
1966年から76年にかけての文化大革命でチベット仏教は壊滅的な打撃を受けた。チベット自治区内に2713あった僧院は8つのみとなった