朝鮮後期駅民の身分変動について : 金泉道・松羅道
形止案の分析を中心に
竹腰 礼子
変わった名前であるが、著者は朝鮮時代において荷物運搬は荷車がほぼ使用されず、牛馬に直接搭載か又は人の背負おう形式での原始的な荷物運搬しかなかったことを知っているはずである。(熱河日記)
従って、李氏朝鮮では大量の駅吏・駅奴婢が必要であった。この視点を有さない論文など、「我々は優秀な民族」と妄信しているDNA異常民族に過ぎない。その証拠を示しておいてやる
承政院日記
1727年
懷德幼學朴弼邦疏曰
【略】
大槪懷之爲邑, 地方甚褊, 土瘠而民貧, 士族居多, 良丁絶無, 以丙午式帳籍考之, 元戶不過二千二百四十二戶內, 士族九百四十六戶, 私奴六百五十四戶, 他官軍保二十一戶, 官屬驛屬合一百五十九戶, 鰥寡老弱九十二戶, 各司奴婢十三戶, 忠義二十二戶, 病人十戶, 校院奴十戶, 店人朝聚暮散之類四十一戶, 柳器匠人四十六戶, 僧徒居士竝十五戶, 良役只是二百八戶, 而昨今年流亡, 又至六七十餘戶, 則餘存實數, 不過百三四十戶矣。
懷德は、忠清道。
合計で2242戸
士族946戸、42.1%
外居奴婢654戸、29.2%
官軍保21戸0.9%
官属駅属計159戸7.1%
寡婦・老人92戸4.1%
官奴婢13戸0.58%
忠義(恩賞戸)22戸0.98%
病人10戸0.44%
校院奴10戸0.44%
行商人等々41戸1.8%
柳器匠人46戸2.1%
僧徒居士15戸0.67%
1776年
咸安郡守李宗榮疏曰,
【途中略】
此所謂糴政之弊也。以言乎軍額, 則本郡頻年水旱, 民不奠居, 而各衙門納布軍爲二千八百五十七名, 其外上番赴操軍二千十四名, 合爲四千八百二十七名, 而其中河東·彦陽·咸昌·尙州等邑移來軍額四十餘名, 本郡民戶爲四千五百餘戶之中, 名在儒案, 不責軍役之班戶爲一千三百餘戶, 寺奴婢八百九十六名, 勳奴婢一千一百二十七名, 奴婢色殆近千餘戶。其外京鄕散居驛吏·奴之明有公文者, 曾經把總·哨官之不編行伍者及境內兩驛保人, 本邑使役吏·奴·校院生各名色, 亦近四百餘戶。實責軍役之良戶, 不過爲一千八百戶, 而家家未必盡有丁壯, 以此一千八百之民戶, 欲充四千九百之軍額, 則自不免一身三四役, 而不能支堪, 逃亡相續, 黃口之簽, 白骨之徵
4500戸のうち、両班戸が1300戸、奴婢戸は1000戸近く=22%。
1748年
寧海府使鄭彦儒疏曰【略】西北二面, 峻嶺遮截, 大川環亘, 風水旱三災, 必先於他邑, 生理旣薄, 民物甚尠。自經辛壬大殺之後, 人民漸散, 戶口隨縮, 重之以甲子以來極無之凶, 尤無可言者。丁卯成籍未周年之間, 元戶之耗縮, 殆至於一千一百, 今之見戶, 不滿二千, 而亦出於一家內同鼎者, 分戶而充數之類也。除衣冠舊族學子世家八百餘戶外, 校院典僕吏奴公私賤驛屬, 又爲九百餘戶。
慶尚道、寧海府で、2000戸足らずのうち、
自称両班800戸40%、
校院典僕吏奴公私賤驛屬の合計で900戸45%
残りの15%のみが軍役負担できる良民戸
1798年
奉化縣監蔡弘直疏曰【略】以言其軍額, 則乙卯所籍民戶八百七十七戶內, 班戶一百九十八戶, 三班官屬六十五戶, 校生三十戶, 驛屬一百七十二戶, 校院奴婢二十七戶, 官奴婢十六戶, 私賤三十八戶, 各色匠人二十八戶, 忠衛二十四戶, 上納布巫女三戶, 黃腸守護軍爲七十七戶, 而窮崖絶壑之中, 豺虎相守, 凡民之守護者, 奠居爲難, 故不得不廣募充塡, 而其餘四十二戶, 太半是流亡雜頉, 良戶之可堪軍役者, 不過爲一百五十二戶
奉化縣は慶尚道。
総数877戸
班戸198戸22.6%
駅属172戸19.6%
官奴16戸1.8%
私奴38戸4.3%
匠人28戸
等々。
①DNA異常民族どもは、18世紀に奴婢制度崩壊が始まったニダ!と四方博をはじめとする慶尚道だけのデータを元に言い張るのが常である。しかし、忠清道では18世紀前半でも奴婢戸は約3割であり、これに士族戸戸籍中に含まれる、いわゆる率居奴婢を含めれば、その奴婢比率は恐らくは40%を超える。
②官属駅属のほぼ全てが駅属であり、全戸数の7%(懷德)、奉化縣(19.6%)という高い比率を占めている。その原因は、DNA異常民族どもが貨物運搬に荷車すら使用できないという原始的な荷物運搬しかできなかったことにある。奉化縣は恐らくは物流拠点であったのであろう。強度の高い車輪が無かったことが原因であり、同様に滑車すら無かったことも確実である。
③1789年
承政院日記より。同様に明らかに、駅民(「駅吏」+「駅奴稗」)は賤民である。
馬位及復戶及長走位者, 國家所以爲驛民制産養馬。【略】驛民每歲私賣, 土豪攫利, 一結稅直十金, 一斗種直五六金賤買, 逐年預鬻, 號有孫曾, 厚生惠政, 有名無實。【略】通編有曰, 驛吏娶良女, 生男爲驛吏, 生女爲驛女, 驛女嫁良夫, 生男爲驛吏。今驛女嫁良夫, 所生皆從父爲良人, 不服驛役, 閑遊甚多, 驛民因此耗縮, 爲郵官者, 一未依典推刷者。
推刷は、奴隷=奴婢にしか使用されない表現である。
④真実かどうかは別として、1895〜97年の2年間、当時の朝鮮で内務顧問官であった者によれば、次のとおりであり、同様に荷物運搬関係者は、明らかに全て賤民である。
朝鮮論
大庭寛一
明治28年12月(=1895年)
忠清道の身分構成

明記しているように、事実かどうかは別として、19世紀末の朝鮮では、駅民は死罪を免れた者の子孫であるという認識が忠清道ではあったようだ。このような印象が生じた根本原因は、荷車使用が無かったため、多くは運搬者が自ら背負って荷物運搬しなければならない=最も過酷な労働に従事する人々に対して生じた自然発生的なイメージであったであろう。

形止案=駅案=駅吏・駅奴婢名簿に掲載された者とだけ記載している

駅民について、他との婚姻不可としている、即ち、白丁と同じである。これが、奴婢制度廃止=1984年頃の朝鮮の一般的認識であろう
ここからが抜粋メモ
この制度は国家が設定する駅回および駅民という財政的・人的基盤によて支えられていた。駅田には、その用途によって、「公須位田」・「馬位田」などがあり、ここからあがる収入がの経費に充当された。
駅民の中心となるのは、「駅吏」と「駅奴稗」である。朝鮮時代の身分制の上からいえば、前者は良民と賎民の境界身分を形成する身良役賎階層に属し、後者は公賎とみなされた。彼らは通信・運搬などの駅業務の遂行や、立馬費用をはじめとする駅経費の捻出を義務づけた世襲的駅役負担者であった。
また、こうした定役者の他に、駅には駅役遂行を経済的に援助するため、駅吏に対して給布を行う「保人」や、駅人口の不足する地方で、駅民以外から駅街の書吏に任命される「日守」などを置
朝鮮後期の駅民の身分上昇
合法的な身分上昇が認められるようにったことを意味する。その影響は駅役を課せられた駅民の聞にも見られ、殊に駅奴稗の場合に著しかった。
駅民の身分上昇という傾向は、朝鮮後期の社会全般に顕著な身分制の動揺という現象と軌を一にするものと考えられる
合法的な身分上昇とは免賤を意味する。しかし、駅民に限っての固有の正式の大量免賤は、実録・日記とも確認しえない。反面、駅奴婢が駅吏を自称し始めた事実は明確に確認できる。しかし、あくまでも自称に過ぎず、免賤ではない。従って、記述は誤りであり、駅属に限定されない一般論に過ぎない。
この後、たった二つの現存する形止案のデータが掲載されているが、意義に極めて乏しいのでメモ省略。
いつも思うことであるが、李氏朝鮮の正式年号は、
①1894年以降は、開国〇〇年
②それ以前は、例えば、乾隆〇〇年 である。
自称、朝鮮史研究者どもですら否定できない事実である。
にもかかわらず、バ韓国人が使用する 例えば、粛宗〇〇年と表記するのが日本でも慣例である。
明らかな嘘を年号にさえ使用することはやめるべきであり、
西暦表示又は正式の年号表示とするべきである。
竹腰 礼子
変わった名前であるが、著者は朝鮮時代において荷物運搬は荷車がほぼ使用されず、牛馬に直接搭載か又は人の背負おう形式での原始的な荷物運搬しかなかったことを知っているはずである。(熱河日記)
従って、李氏朝鮮では大量の駅吏・駅奴婢が必要であった。この視点を有さない論文など、「我々は優秀な民族」と妄信しているDNA異常民族に過ぎない。その証拠を示しておいてやる
承政院日記
1727年
懷德幼學朴弼邦疏曰
【略】
大槪懷之爲邑, 地方甚褊, 土瘠而民貧, 士族居多, 良丁絶無, 以丙午式帳籍考之, 元戶不過二千二百四十二戶內, 士族九百四十六戶, 私奴六百五十四戶, 他官軍保二十一戶, 官屬驛屬合一百五十九戶, 鰥寡老弱九十二戶, 各司奴婢十三戶, 忠義二十二戶, 病人十戶, 校院奴十戶, 店人朝聚暮散之類四十一戶, 柳器匠人四十六戶, 僧徒居士竝十五戶, 良役只是二百八戶, 而昨今年流亡, 又至六七十餘戶, 則餘存實數, 不過百三四十戶矣。
懷德は、忠清道。
合計で2242戸
士族946戸、42.1%
外居奴婢654戸、29.2%
官軍保21戸0.9%
官属駅属計159戸7.1%
寡婦・老人92戸4.1%
官奴婢13戸0.58%
忠義(恩賞戸)22戸0.98%
病人10戸0.44%
校院奴10戸0.44%
行商人等々41戸1.8%
柳器匠人46戸2.1%
僧徒居士15戸0.67%
1776年
咸安郡守李宗榮疏曰,
【途中略】
此所謂糴政之弊也。以言乎軍額, 則本郡頻年水旱, 民不奠居, 而各衙門納布軍爲二千八百五十七名, 其外上番赴操軍二千十四名, 合爲四千八百二十七名, 而其中河東·彦陽·咸昌·尙州等邑移來軍額四十餘名, 本郡民戶爲四千五百餘戶之中, 名在儒案, 不責軍役之班戶爲一千三百餘戶, 寺奴婢八百九十六名, 勳奴婢一千一百二十七名, 奴婢色殆近千餘戶。其外京鄕散居驛吏·奴之明有公文者, 曾經把總·哨官之不編行伍者及境內兩驛保人, 本邑使役吏·奴·校院生各名色, 亦近四百餘戶。實責軍役之良戶, 不過爲一千八百戶, 而家家未必盡有丁壯, 以此一千八百之民戶, 欲充四千九百之軍額, 則自不免一身三四役, 而不能支堪, 逃亡相續, 黃口之簽, 白骨之徵
4500戸のうち、両班戸が1300戸、奴婢戸は1000戸近く=22%。
1748年
寧海府使鄭彦儒疏曰【略】西北二面, 峻嶺遮截, 大川環亘, 風水旱三災, 必先於他邑, 生理旣薄, 民物甚尠。自經辛壬大殺之後, 人民漸散, 戶口隨縮, 重之以甲子以來極無之凶, 尤無可言者。丁卯成籍未周年之間, 元戶之耗縮, 殆至於一千一百, 今之見戶, 不滿二千, 而亦出於一家內同鼎者, 分戶而充數之類也。除衣冠舊族學子世家八百餘戶外, 校院典僕吏奴公私賤驛屬, 又爲九百餘戶。
慶尚道、寧海府で、2000戸足らずのうち、
自称両班800戸40%、
校院典僕吏奴公私賤驛屬の合計で900戸45%
残りの15%のみが軍役負担できる良民戸
1798年
奉化縣監蔡弘直疏曰【略】以言其軍額, 則乙卯所籍民戶八百七十七戶內, 班戶一百九十八戶, 三班官屬六十五戶, 校生三十戶, 驛屬一百七十二戶, 校院奴婢二十七戶, 官奴婢十六戶, 私賤三十八戶, 各色匠人二十八戶, 忠衛二十四戶, 上納布巫女三戶, 黃腸守護軍爲七十七戶, 而窮崖絶壑之中, 豺虎相守, 凡民之守護者, 奠居爲難, 故不得不廣募充塡, 而其餘四十二戶, 太半是流亡雜頉, 良戶之可堪軍役者, 不過爲一百五十二戶
奉化縣は慶尚道。
総数877戸
班戸198戸22.6%
駅属172戸19.6%
官奴16戸1.8%
私奴38戸4.3%
匠人28戸
等々。
①DNA異常民族どもは、18世紀に奴婢制度崩壊が始まったニダ!と四方博をはじめとする慶尚道だけのデータを元に言い張るのが常である。しかし、忠清道では18世紀前半でも奴婢戸は約3割であり、これに士族戸戸籍中に含まれる、いわゆる率居奴婢を含めれば、その奴婢比率は恐らくは40%を超える。
②官属駅属のほぼ全てが駅属であり、全戸数の7%(懷德)、奉化縣(19.6%)という高い比率を占めている。その原因は、DNA異常民族どもが貨物運搬に荷車すら使用できないという原始的な荷物運搬しかできなかったことにある。奉化縣は恐らくは物流拠点であったのであろう。強度の高い車輪が無かったことが原因であり、同様に滑車すら無かったことも確実である。
③1789年
承政院日記より。同様に明らかに、駅民(「駅吏」+「駅奴稗」)は賤民である。
馬位及復戶及長走位者, 國家所以爲驛民制産養馬。【略】驛民每歲私賣, 土豪攫利, 一結稅直十金, 一斗種直五六金賤買, 逐年預鬻, 號有孫曾, 厚生惠政, 有名無實。【略】通編有曰, 驛吏娶良女, 生男爲驛吏, 生女爲驛女, 驛女嫁良夫, 生男爲驛吏。今驛女嫁良夫, 所生皆從父爲良人, 不服驛役, 閑遊甚多, 驛民因此耗縮, 爲郵官者, 一未依典推刷者。
推刷は、奴隷=奴婢にしか使用されない表現である。
④真実かどうかは別として、1895〜97年の2年間、当時の朝鮮で内務顧問官であった者によれば、次のとおりであり、同様に荷物運搬関係者は、明らかに全て賤民である。
朝鮮論
大庭寛一
明治28年12月(=1895年)
忠清道の身分構成

明記しているように、事実かどうかは別として、19世紀末の朝鮮では、駅民は死罪を免れた者の子孫であるという認識が忠清道ではあったようだ。このような印象が生じた根本原因は、荷車使用が無かったため、多くは運搬者が自ら背負って荷物運搬しなければならない=最も過酷な労働に従事する人々に対して生じた自然発生的なイメージであったであろう。

形止案=駅案=駅吏・駅奴婢名簿に掲載された者とだけ記載している

駅民について、他との婚姻不可としている、即ち、白丁と同じである。これが、奴婢制度廃止=1984年頃の朝鮮の一般的認識であろう
ここからが抜粋メモ
この制度は国家が設定する駅回および駅民という財政的・人的基盤によて支えられていた。駅田には、その用途によって、「公須位田」・「馬位田」などがあり、ここからあがる収入がの経費に充当された。
駅民の中心となるのは、「駅吏」と「駅奴稗」である。朝鮮時代の身分制の上からいえば、前者は良民と賎民の境界身分を形成する身良役賎階層に属し、後者は公賎とみなされた。彼らは通信・運搬などの駅業務の遂行や、立馬費用をはじめとする駅経費の捻出を義務づけた世襲的駅役負担者であった。
また、こうした定役者の他に、駅には駅役遂行を経済的に援助するため、駅吏に対して給布を行う「保人」や、駅人口の不足する地方で、駅民以外から駅街の書吏に任命される「日守」などを置
朝鮮後期の駅民の身分上昇
合法的な身分上昇が認められるようにったことを意味する。その影響は駅役を課せられた駅民の聞にも見られ、殊に駅奴稗の場合に著しかった。
駅民の身分上昇という傾向は、朝鮮後期の社会全般に顕著な身分制の動揺という現象と軌を一にするものと考えられる
合法的な身分上昇とは免賤を意味する。しかし、駅民に限っての固有の正式の大量免賤は、実録・日記とも確認しえない。反面、駅奴婢が駅吏を自称し始めた事実は明確に確認できる。しかし、あくまでも自称に過ぎず、免賤ではない。従って、記述は誤りであり、駅属に限定されない一般論に過ぎない。
この後、たった二つの現存する形止案のデータが掲載されているが、意義に極めて乏しいのでメモ省略。
いつも思うことであるが、李氏朝鮮の正式年号は、
①1894年以降は、開国〇〇年
②それ以前は、例えば、乾隆〇〇年 である。
自称、朝鮮史研究者どもですら否定できない事実である。
にもかかわらず、バ韓国人が使用する 例えば、粛宗〇〇年と表記するのが日本でも慣例である。
明らかな嘘を年号にさえ使用することはやめるべきであり、
西暦表示又は正式の年号表示とするべきである。
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