朝鮮後期における洞契の運営と機能
井上和枝
身分変動と洞契
洞契の場合、郷案におけるような厳しい入会規定はなく、既定の宝や雑物を提供すれば入契できた。

これは先に検討した洞契(上契)への加入が宝と雑物のみだせば誰でも可能であったといえないことを示す。
このように戸籍大帳上では上契案加入の星州李氏や密陽朴氏と同じ幼学を称しているにもかかわらず、庶民籍に入っているのである。戸籍上は常民から上昇しても郷村では認められないことを示している。
要するに餘洞契は身分階層的相互扶助組織である。士族の地域支配機構として、また、身分固定装置としての機能を果たすと同時に、生存と再生産の基盤となっていたといえる。
PDFが画像のためコピペできない。画像で文章を保存してもよいが、そこまでの価値はない。


全54戸の比率は
土班=自称両班戸 20.3%
奴婢戸 70.3%
良民戸 9.3%、ただし、貢役負担=税負担に耐えうるのはたったの2戸、3.7%

この論文から見ても、李氏朝鮮は、中世的な国家どころか、完全な氏族制社会=古代的な国家である。
驚くべきことであるが、韓国において同姓同本不婚(=同一氏族内は不婚=文化人類学者による世界各地のフィールドワークで氏族制社会に非常によく見られる慣習)が民法規定から削除されたのは、2005年民法改正、2008年施行である。信じがたいことであるが、この論文が朝鮮という古代的な氏族制社会の姿を見事に描き出している。
何故このような奇妙な氏族制社会が19世紀末まで存続し、その裏返しとも言える奴婢制=完全な奴隷制、即ち、姓を有さない奴隷=氏族制社会からはじき出された人々が、存在し続けたのか?
世界各地に見られた古代氏族制社会では、同時に奴隷制(ただし、多くは他氏族との戦闘で得た戦争奴隷)が存在していたはずである。この点に関しては再度調べる必要がある。
【論文草稿案】
李氏朝鮮における私奴婢(班奴婢)は、奴隷主(上典)の相続対象であり、かつ、土地と完全に切り離され、牛馬同様に、動産として売買対象であった。その意味で完全な奴隷であった点に関しては疑問の余地がない。
しかし、本稿筆者は李氏朝鮮の奴婢が奴隷であると明記・明言した日本語の朝鮮史書籍・論文を目にしたことはない、例えば「朝鮮史(武田幸雄編)」でも高麗時代に関しては 奴婢(奴隷)と1ヶ所だけ記載しているものの、李氏朝鮮に関してはそのような記述は一切ない。
これは、韓国の歴史研究者間では完全に反論が許されないレベルで支配的なドグマであり、また、アメリカの朝鮮史研究者間ですら主流であるところのいわゆる「民族史観」(注)からして、19世紀末においてすら朝鮮民族に同胞の奴隷が人口の数十%も存在することは、絶対に許されないからに過ぎない。
従って、李氏朝鮮の奴婢が奴隷であると明記する本稿は、歴史学論文ではなく、集団遺伝学論文と李氏朝鮮史を結果論から突合・検証した学際的な論文に過ぎない。なお、本稿筆者は、13世紀のモンゴル軍侵攻に対する30年にも及ぶ烈しい抵抗は、朝鮮半島の人々の遺伝的な精神的形質を、恐らくは人口の大幅な減少を基本要因とする遺伝的浮動(genetic drift)を主原因として、大きく変化させたと推定し、いわゆる民族史観の根本原因であると断定せざるを得ない。
李氏朝鮮の身分制度は、模範とした中国明朝とは明らかに異なり、科挙(宮嶋 他)が事実上全く機能せず、血縁的な氏族共同体が支配階層を構成する極めて特異な氏族制社会であった。
そして、そのような朝鮮独特の氏族制的身分秩序より完全に除外された存在として奴婢=奴隷が20世紀初頭においてすら、1894年の法令上の奴婢制度(奴隷制度)廃止後も、慣習として存続し続けたことは、朝鮮総督府資料や20世紀初頭のいわゆる「日本人の朝鮮通」の著作などから確実である。
即ち、朝鮮独特の奴隷制度は、単なる法令制度上のものではなく、朝鮮社会にとことんまで深く根を張った性理学(朱子学)と氏族制社会に根本原因を有している。
性理学を国教とした李氏朝鮮にあっては、多くの買得奴婢のように父が不明であるため3年の喪に服することがそもそも出来ない奴婢=奴隷は、儒教的視点からは、ヒトでなく単なる獣に過ぎず、奴隷として牛馬同様の所有対象となる動産に過ぎない。
ちなみに、北九州に多い慶尚道出身の在日コリアン社会の場合、日本人と結婚して生まれた者は、「半チョッパリ」という蔑称を在日コリアン社会から付与される。原尻氏によれば、半チョッパリとは、「お前の片親は獣で、別の片親がその獣と交わることでお前が生まれた」との趣旨であり、獣とは、喪に服するという慣習がほとんど消滅している日本人を意味する。
李氏朝鮮氏族制の明確な特徴は、同一氏族が必ずしも同一邑に集在しない点にある。例えば、下記画像は、朝鮮総督府調査資料第40号生活状況調査(其七)慶州郡からであり、慶尚道慶州郡だけでこれだけの同姓同本貫=同一氏族が、朝鮮全土に、恐らくは数世代~10世代前に赴任した地に土着したなどの理由から、散在している。

井上和枝
身分変動と洞契
洞契の場合、郷案におけるような厳しい入会規定はなく、既定の宝や雑物を提供すれば入契できた。

これは先に検討した洞契(上契)への加入が宝と雑物のみだせば誰でも可能であったといえないことを示す。
このように戸籍大帳上では上契案加入の星州李氏や密陽朴氏と同じ幼学を称しているにもかかわらず、庶民籍に入っているのである。戸籍上は常民から上昇しても郷村では認められないことを示している。
要するに餘洞契は身分階層的相互扶助組織である。士族の地域支配機構として、また、身分固定装置としての機能を果たすと同時に、生存と再生産の基盤となっていたといえる。
PDFが画像のためコピペできない。画像で文章を保存してもよいが、そこまでの価値はない。


全54戸の比率は
土班=自称両班戸 20.3%
奴婢戸 70.3%
良民戸 9.3%、ただし、貢役負担=税負担に耐えうるのはたったの2戸、3.7%

この論文から見ても、李氏朝鮮は、中世的な国家どころか、完全な氏族制社会=古代的な国家である。
驚くべきことであるが、韓国において同姓同本不婚(=同一氏族内は不婚=文化人類学者による世界各地のフィールドワークで氏族制社会に非常によく見られる慣習)が民法規定から削除されたのは、2005年民法改正、2008年施行である。信じがたいことであるが、この論文が朝鮮という古代的な氏族制社会の姿を見事に描き出している。
何故このような奇妙な氏族制社会が19世紀末まで存続し、その裏返しとも言える奴婢制=完全な奴隷制、即ち、姓を有さない奴隷=氏族制社会からはじき出された人々が、存在し続けたのか?
世界各地に見られた古代氏族制社会では、同時に奴隷制(ただし、多くは他氏族との戦闘で得た戦争奴隷)が存在していたはずである。この点に関しては再度調べる必要がある。
【論文草稿案】
李氏朝鮮における私奴婢(班奴婢)は、奴隷主(上典)の相続対象であり、かつ、土地と完全に切り離され、牛馬同様に、動産として売買対象であった。その意味で完全な奴隷であった点に関しては疑問の余地がない。
しかし、本稿筆者は李氏朝鮮の奴婢が奴隷であると明記・明言した日本語の朝鮮史書籍・論文を目にしたことはない、例えば「朝鮮史(武田幸雄編)」でも高麗時代に関しては 奴婢(奴隷)と1ヶ所だけ記載しているものの、李氏朝鮮に関してはそのような記述は一切ない。
これは、韓国の歴史研究者間では完全に反論が許されないレベルで支配的なドグマであり、また、アメリカの朝鮮史研究者間ですら主流であるところのいわゆる「民族史観」(注)からして、19世紀末においてすら朝鮮民族に同胞の奴隷が人口の数十%も存在することは、絶対に許されないからに過ぎない。
従って、李氏朝鮮の奴婢が奴隷であると明記する本稿は、歴史学論文ではなく、集団遺伝学論文と李氏朝鮮史を結果論から突合・検証した学際的な論文に過ぎない。なお、本稿筆者は、13世紀のモンゴル軍侵攻に対する30年にも及ぶ烈しい抵抗は、朝鮮半島の人々の遺伝的な精神的形質を、恐らくは人口の大幅な減少を基本要因とする遺伝的浮動(genetic drift)を主原因として、大きく変化させたと推定し、いわゆる民族史観の根本原因であると断定せざるを得ない。
李氏朝鮮の身分制度は、模範とした中国明朝とは明らかに異なり、科挙(宮嶋 他)が事実上全く機能せず、血縁的な氏族共同体が支配階層を構成する極めて特異な氏族制社会であった。
そして、そのような朝鮮独特の氏族制的身分秩序より完全に除外された存在として奴婢=奴隷が20世紀初頭においてすら、1894年の法令上の奴婢制度(奴隷制度)廃止後も、慣習として存続し続けたことは、朝鮮総督府資料や20世紀初頭のいわゆる「日本人の朝鮮通」の著作などから確実である。
即ち、朝鮮独特の奴隷制度は、単なる法令制度上のものではなく、朝鮮社会にとことんまで深く根を張った性理学(朱子学)と氏族制社会に根本原因を有している。
性理学を国教とした李氏朝鮮にあっては、多くの買得奴婢のように父が不明であるため3年の喪に服することがそもそも出来ない奴婢=奴隷は、儒教的視点からは、ヒトでなく単なる獣に過ぎず、奴隷として牛馬同様の所有対象となる動産に過ぎない。
ちなみに、北九州に多い慶尚道出身の在日コリアン社会の場合、日本人と結婚して生まれた者は、「半チョッパリ」という蔑称を在日コリアン社会から付与される。原尻氏によれば、半チョッパリとは、「お前の片親は獣で、別の片親がその獣と交わることでお前が生まれた」との趣旨であり、獣とは、喪に服するという慣習がほとんど消滅している日本人を意味する。
李氏朝鮮氏族制の明確な特徴は、同一氏族が必ずしも同一邑に集在しない点にある。例えば、下記画像は、朝鮮総督府調査資料第40号生活状況調査(其七)慶州郡からであり、慶尚道慶州郡だけでこれだけの同姓同本貫=同一氏族が、朝鮮全土に、恐らくは数世代~10世代前に赴任した地に土着したなどの理由から、散在している。

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