郷村社会の親族と近隣結合
-契・プマシ・トゥレを中心に-

梁 愛舜
2000年3月

郷村社会は祖先祭祀を軸に結束する家族親族の縦型血縁集団と,おなじ洞祭を共有するウリトンネ (我々の洞・我々の村)意識をもった,横の地縁集団の出会う世界である。

はじめに

朝鮮半島の親族は,このように祖先祭 祀を軸にして組織される縦型親族集団である。

1.郷村社会と近隣結合
(1)地縁集団を結ぶ「契」
親族集 団の間には,相互扶助を目的とする地縁集団が 形成され,堅固な近隣結合をもたらした。

契は,庶民が圧政と貧窮のなかで生活を守る ために形成された自発的集団である。

契の広がりについてみると朝鮮総督府の 1926年の調査によれば,報告数だけでも全土 に19067の 契 が 組 織 さ れ,加 入 者 も 実 に 814138名を数え,その名称は300に及んでい る(5)

「扶助を目的とする契」のなかでも祖先祭祀 を目的とする親族の契がもっとも多い(11)。

門中 契,宗契という名称で祖先祭祀の維持を主目的 にした同族の契である。

洞契の資金は昔は両班の み出資し,奴者は出資しないで参加した。取利 契や婚葬契では両班,常民,奴者みな対等で出 資する事になっていたが,それらの私的な契に は両班は加わらないのを常としていた。

奴者とは、奴婢戸のことであるが、朝鮮人どもの常として絶対に、売買と相続の対象となる奴隷とは認めようとはしない。朝鮮人の知能が低いことを明確に示すデータを示しておく。この論文もその典型例であろう。
しかし、下記データは、同時に朝鮮人どもの遺伝的な精神的異常性を示す。私の推定が正しいのであれば、朝鮮人という精神面限定でのDNA異常民族が集団として発生したのは、明らかに13世紀である。

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李氏王朝は,租税徴収の責任を個々の戸口に 科すだけではなく,親族や洞里全体の共同責任 にして貢納を賦課した(15)。
15) 
李時載「朝鮮時代契と村落社会」(『韓国 社 会 文 化』第16集,韓 国 精 神 文 化 研 究 院, 1991』)

上記引用は、歴史記述に関して、「嘘と騙し」以外の何らの能力を有しない韓国人どもの論文に基づく。
恐らくは、特定の地点でその現象があったことを朝鮮全土に当てはめているに過ぎない。あきれ返るとしか言いようがない。少なくとも、実録、承政院日記には、上の記述を示唆する内容など一切存在しない。記述からして、伍家作統法とは無関係である。また、1711年に記述とほぼ同じ内容の里定法が導入されたものの、承政院日記の記述から、全く実効性が無かったことは100%確実である。

1729年
里定之法, 實爲美好, 而久不遵行, 戶籍之法, 近又不嚴, 村民爭爲合戶, 欲免煙役,

1731年
里定法, 無推捉之弊, 而無人行此法, 故有如此之弊矣。


これに対して洞里に 暮らす人びとは自己防衛策として契を組織し, 暮らしと地域を守った。契は従って,貢納の負 担や社会的再生産を自力で解決しなければなら なかった郷村の人びとが選択した方策である。

両班たちの契活動も盛んだった。両班たちは 両班としての地位を守り,地盤を強固にするた めに契を組織する必要があった。貢納の同村同 族責任,両班生活様式の維持といった経済的問 題だけでなく,中央に対する消極的な政治的対 処の意味もあった。

第二に,当然のことであるが身分制による契 が組織されていた。契は,A)両班だけの契  B)両班と庶民が一緒の契 C)庶民だけの契 に区別され,それぞれが特有の目的を持ってい た(17)。

A)両班たちだけの契は,物質的な必要のみ に限られず,むしろ文学や詩興にいそしむため の,主に両班としての面目を保つためのもので ある。

Bについては意味のある記述は皆無である。

C)庶民だけの契は,主に生活を補充する相 互扶助の契が多く,さきに述べたように冠婚喪 祭を扶助するものがほとんどである。


あまりにもくだらん内容のため、どばす。

(1)同族(親族)と他姓
朝鮮半島の親族集団は父系単系主義によって 形成されているために同姓の親族が膨張してい く。親族集団が同じ洞里に生活するばあいが多 く,郷村社会では洞民のほとんどが同一姓を名 乗る「同姓マウル」(同族部落)であった(30)

例えば善生永助の調査によれば1935年当 時,5部落(洞里)以上を形成する大型同族部 落数は14672を数えたが,同族部落の本貫姓氏 は331にすぎなかった31)。


韓国人は李氏朝鮮が「氏族制社会」であったことを何故認めようとしないのであろうか?
19世紀末~20世紀初頭に朝鮮を訪れた西欧人は多くの場合、「中世的国家」としているが、同時に中世以前の「氏族制社会」である。上の引用記述はこの論文の最大のポイントとなる。

朝鮮半島を見る基礎知識 クロード・バレーズ 他 白水社文庫 1994年
p104
日本の朝鮮占領がこの中世的な国家の経済発展を促進したことは明らかであるが、


郷村社会の社会的葛藤

朝鮮半島の親族集団は父系単系主義によって 形成されているために同姓の親族が膨張してい く。親族集団が同じ洞里に生活するばあいが多 く,郷村社会では洞民のほとんどが同一姓を名 乗る「同姓マウル」 (同族部落)であった30) 。 

郷村社会では洞民のほとんどが同一姓を名 乗る「同姓マウル」 (同族部落)であった30) 。 例えば善生永助の調査によれば 1933年当 時,5部落(洞里)以上を形成する大型同族部 落数は 14672を数えたが,同族部落の本貫姓氏 は331にすぎなかった31) 。

(2)「 両班 」と「 常民 」 ヤンバン サンミン  

郷村に暮らす庶民にとって李氏王朝は遠い存 在である。数々の悪政があったとしても国王と 直接の対立感情は生じにくい。むしろ身近に向 き合っている両班と具体的な葛藤が発生する。

両班は地主,官僚として社会的特権を与えら れた支配階級である。

両班と常民の生活様式も近年まで差異が残っ ていた。以下,崔在錫の 1972年,慶尚北道月城郡江東面Y部落調査を紹介する。
このY部落 の事例は, 1945年以前の郷村社会にみられた 階層関係を十分に推測できるものである。

まず, 「両班」と「常民」が外で出会ってあ いさつを交わすとき,つねに常民がさきにあいさつしなければならなかった。常民がたとえ年 上だとしても,若い両班にさきにあいさつしな ければならなかった。常民は腰を曲げて丁重な あいさつをするが,両班は言葉だけである。こ のため常民はあいさつそのものを回避するとき がある。

両班の家であいさつをするときも,常 民は戸の外の板間からおじぎをすることになっ ていた。

服装にも差があった。Y部落の両班た ちは,植民地末期にいたるまでマゲを結い,周 衣,馬毛帽(馬の毛でつくった冠)を着用して いた。トゥルマギとカッはおもに外出用の衣冠 であるが, 1972年当時も両班のなかには,突 然の訪問客を家で迎えるときは,平服の上に トゥルマギを着てあいさつを交わすひとが多 かった。しかし,常民たちはマゲを結うひとは いたが,トゥルマギとカッを着用するひとはい なかった。常民もトゥルマギを着るようになっ たのは解放後である。

常民は両班と通竹(一緒 にタバコを喫うこと)できないために,キセル はつねに隠しもっていた。そのため常民のキセ ルは両班にくらべて短く作られていた。

メガネ も両班の前ではかけることはできなかった。

Y部落の両班と常民の居住位置をみてみる と,Y部落の2大同族両班は大部分が高いとこ ろに住み,勢力の弱い他姓両班や常民は谷間の 低いところに住んでいる。

家屋の形態も,2大 同族は瓦家が多いが,そのほかは草家(ワラ葺 きの家)である。 労役の提供では,かつて「奴婢」は義務的に 両班の家で使役したが,常民には労賃を支払っ たという。労賃は穀物やお金で毎月一定額で支払われ,常民は1日何桶か水くみをした。

明らかに差別があるにもかかわらず,常民の 抵抗は一度も目にすることはなかったという。 常民の内心には深い不満がたまっているだろう が,数のうえでも少なく,経済的に抑えつけら れた状態では反抗する余力もなかった。ただ伝 統的因習に服従するしかなかったのである。36)

これは両班同族部落において根深い身分差別 があることを示す例である。Y部落は著名人を 祖先に戴く2大両班がいる典型的な両班部落である。

(3) 「郷約」と「契」

郷村社会は両班支配の掌中にあった。両班が 特権階級というだけでなく,在野儒林たちが主 導する「郷約」 37) が郷村社会につよい影響力を およぼしていたからである。郷約は洞民相互の 倫理条目38) を定め,洞民を褒賞罰則するなど行 政機関を「代行」するような権限をもってい た。

論文著者さんよ、恐らくは、承政院日記と言われても何のことか知らないであろう。
1792年
坡州牧使李敏輔【略】敏輔曰, 本邑壤小民殘, 雖以后妃姓鄕, 稱牧已久, 而實則幅員田戶, 反不及高陽矣。防營設置以來, 所賴成樣者, 不過軍校, 而三千戶中, 班戶過半,

坡州は京畿道。18世紀時点で、3000戸中、既に両班戸が半数。同じ記述が他道でも多いが、黄海道等の北部3道は記述がない。
両班戸が半数→朝鮮が中世的どころか、古代的社会であったとみなせる。
李氏朝鮮は、古代的な氏族性社会であったのだ。だから、同姓同本は氏族制により、全員が自称両班となり、父系の
同姓同本者=同じ氏族に属する者は、多くの文化人類学論文で見るように、発展途上国の農村社会ですら婚姻出来なかったのと同様に婚姻不可であった。
嘘と歴史の捏造の韓国人ども、反論できるものならしてみよ。

以下、あまりにもくだらん内容のため全てメモ省略。頭がおかしいって!としか言いようがない。

2) 本稿は,植民地時代朝鮮総督府調査資料であ る,
『朝鮮の聚落』
『朝鮮の契』
『朝鮮の郷土祭祀  部落祭』や
鈴木榮太郎の朝鮮農村社会研究, 1945年以降の崔在錫による韓国農村社会研究, そして韓国精神文化研究院編集『韓国 社会  文化』に収録されている郷村社会研究論文と四方博の朝鮮社会経済史研究等に基づいて作成し たことを付記しておきたい


4)5) 善生永助『朝鮮の聚落[前編]』(朝鮮総督 府,1933年。復刻版,景仁文化社,1983)590 頁。
6) 四方博『朝鮮社会経済史研究[下]』(国書刊 行会,1987)120頁の再引用。

11) 善生永助『朝鮮の契』(朝鮮総督府,1926)