朝鮮の研究
山口 豊正
明治44年=1911年
著者については、元韓国財務官であること以外は不明であるが優れた内容であり、1911年時点の朝鮮半島の状況が全て網羅されており、1911年時点の各道ごとの戸数・人口その他のほぼ正確な基礎データが得られる。また、日韓併合直後の朝鮮総督府の組織図がある。
朝鮮総督府の慣習調査報告書でも記載がある開国二百七十二年北部帳戸籍の抜粋とは別に、「開国二百七十二年癸卯式年北部帳戸籍」とだけある資料について、度支 部とは何のことであろうか?とのみ思い調べていなかったが、この書籍で明らかとなった。
朝鮮総督府の度支 部とは今日の表現では、実際には大蔵部又は財務部であり、特殊な表現を使用したのは、1894年以降、朝鮮では歳入・歳出管理部署のことを度支部と名付けていたことを継承したからである。
承政院日記
1895年開國 504年
勅令, 金弘集·鄭範朝·金永壽爲特進官。 度支部財務官尹景根, 漢城裁判所判事任大準·李根敎, 檢事李度翼, 法部檢事安寧洙, 依願免本官。 任度支部參書官四等柳正秀, 財務官六等魚秉璿, 任漢城裁判所判事六等趙漢復·李度翼, 檢事六等金基肇, 法部檢事六等吳容默, 農商工部技師六等金樂集。
朝鮮王朝実録にも、韓国サイトでは度支部の記述が多い。中国サイトでヒットしない、何故なら、漢文で書かれていないからである。
当然であるが、中国清朝の真似。度支部は、清史稿によれば戸部の改称である。
光緒帝32年
內閣、軍機處、外務、吏、禮、學部、宗人府、翰林院等仍舊。改巡警部為民政部,戶部為度支部 ,兵部為陸軍部,刑部為法部,工部併入商部為農工商部,理藩院為理藩部。各設尚書一人,侍郎二人,不分滿、漢。都察院都御史一人,副都御史二人。
しかし、
従ってこの「開国二百七十二年癸卯式年北部帳戸籍」の戸籍大帳は本物と断定できる。
ただし、1664年の戸籍大帳原本をなんとか読み取って和文タイプ打ちしたことになる。現在、残っている中では、断トツに古い、従って、朝鮮人によるいつもの嘘と詐欺に過ぎない可能性も完全に否定しえない。(反面、朝鮮人によるいつもの「嘘と騙し」と仮定しても、あまりにも手間がかかりすぎる)
明治43年=1910年に朝鮮総督府司税局度支部が寄贈を受けたものである。朝鮮総督府の慣習調査報告書にも一部抜粋されていることから、当時の朝鮮総督府が本物と断定していたことは間違いない。
山口 豊正は「朝鮮人の性情」という章で①愛国心②事大思想③競争心を朝鮮人の集団的精神的特質として指摘しているが、驚くほど正確である

身分制に関する記述は不十分である

いわゆる行列字に関する内容を初めて読んだ。

山口 豊正
明治44年=1911年
著者については、元韓国財務官であること以外は不明であるが優れた内容であり、1911年時点の朝鮮半島の状況が全て網羅されており、1911年時点の各道ごとの戸数・人口その他のほぼ正確な基礎データが得られる。また、日韓併合直後の朝鮮総督府の組織図がある。
朝鮮総督府の慣習調査報告書でも記載がある開国二百七十二年北部帳戸籍の抜粋とは別に、「開国二百七十二年癸卯式年北部帳戸籍」とだけある資料について、度支 部とは何のことであろうか?とのみ思い調べていなかったが、この書籍で明らかとなった。
朝鮮総督府の度支 部とは今日の表現では、実際には大蔵部又は財務部であり、特殊な表現を使用したのは、1894年以降、朝鮮では歳入・歳出管理部署のことを度支部と名付けていたことを継承したからである。
承政院日記
1895年開國 504年
勅令, 金弘集·鄭範朝·金永壽爲特進官。 度支部財務官尹景根, 漢城裁判所判事任大準·李根敎, 檢事李度翼, 法部檢事安寧洙, 依願免本官。 任度支部參書官四等柳正秀, 財務官六等魚秉璿, 任漢城裁判所判事六等趙漢復·李度翼, 檢事六等金基肇, 法部檢事六等吳容默, 農商工部技師六等金樂集。
朝鮮王朝実録にも、韓国サイトでは度支部の記述が多い。中国サイトでヒットしない、何故なら、漢文で書かれていないからである。
当然であるが、中国清朝の真似。度支部は、清史稿によれば戸部の改称である。
光緒帝32年
內閣、軍機處、外務、吏、禮、學部、宗人府、翰林院等仍舊。改巡警部為民政部,戶部為度支部 ,兵部為陸軍部,刑部為法部,工部併入商部為農工商部,理藩院為理藩部。各設尚書一人,侍郎二人,不分滿、漢。都察院都御史一人,副都御史二人。
しかし、
従ってこの「開国二百七十二年癸卯式年北部帳戸籍」の戸籍大帳は本物と断定できる。
ただし、1664年の戸籍大帳原本をなんとか読み取って和文タイプ打ちしたことになる。現在、残っている中では、断トツに古い、従って、朝鮮人によるいつもの嘘と詐欺に過ぎない可能性も完全に否定しえない。(反面、朝鮮人によるいつもの「嘘と騙し」と仮定しても、あまりにも手間がかかりすぎる)
明治43年=1910年に朝鮮総督府司税局度支部が寄贈を受けたものである。朝鮮総督府の慣習調査報告書にも一部抜粋されていることから、当時の朝鮮総督府が本物と断定していたことは間違いない。
山口 豊正は「朝鮮人の性情」という章で①愛国心②事大思想③競争心を朝鮮人の集団的精神的特質として指摘しているが、驚くほど正確である

身分制に関する記述は不十分である

いわゆる行列字に関する内容を初めて読んだ。

身分制度
両班は全国で5万戸前後とされ、漢城=京城に1万、忠清道が最多、慶尚北道、全羅道。逆に少ないのは、咸鏡道。
中人は畢竟常人の一種。
土地制度
駅田
学田
書院田
一等田から6等田に区分。
全羅道、慶尚道は1等、2等。忠清道は2等以下、京畿道は両班所有が多い為4道以下、他の道は3等以下。
税法
一結につき、正税4斗
各道毎の耕地面積表があるが、省略
交通
朝鮮全土に道路らしき道路は、ない。皆知るところである。
貨物の運搬は、人が背負うか、馬に乗せる。
朝鮮では、15斗で1石、度量衡が同じなら、1町約3000坪で18斗、1.2石。


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