新訂 幕末下級武士の絵日記
その暮らしの風景を読む
大岡 敏昭
水曜社
2019年
p6
畳の上に料理の容器を置いた食事である。さらに大勢の人が集まっての酒宴風景も多く描かれているが、その真ん中に大皿や大鍋を盛り、それを銘々が取り皿にとって食べている。このような食事風景もこれまで考えられなかった

p26
絵日記を記した文久二年から9年後の明治4年に忍県が調査した士族数は1365人であった。よって当時もそれぐらいの武士人数であったと思われる
忍藩は10万石であり、1万石当たり約130人の武士がいたことになる。戦国時代には、1万石当たり300人の動員が可能とされているが、初めて江戸時代の1万石当たりの武士数の概算値がわかった

p44
【絵日記の著者である武士は】売却してきた書物名を忘れることが無いように絵日記に記しているが、そこからどんな書物を読んでいたかわかる。その冊数は408冊に及び、その内容は実に多彩である。
文選、史記、和歌の手引書、徒然草、論語及びその関連書、平家物語、俳諧関連書、源氏物語、等々であり、幕末において既に相当なレベルで武士は書籍を読んでいたことがよくわかる。現代人と何ら変わらないか、むしろ多いぐらいである。江戸時代には、貸本屋で借りて読むことが一般的であったようである。下の絵の右側は貸本屋が訪れた場面を描いている
私の本棚には数えたことはないが、最低でも2000冊はあるが、半分くらいは文庫本・新書本である。安いからだ。この武士は、170年前に最低でも400冊を所蔵し、売っては買いを繰り返していた。驚くしかない。


忍藩は関東平野の内陸にある。にもかかわらず、この絵日記には、マグロの刺身等々の海産物が比較的よく出てくる

食事の際には、ちゃぶ台ではなく個別の膳で食べていたようである

著者も明記しているが、江戸時代の飲み屋にはテーブルや椅子など皆無であったようだ。従って、テレビの時代劇の飲み屋のシーンは、時代考証が全くなされていない
その暮らしの風景を読む
大岡 敏昭
水曜社
2019年
元来は工学系研究者の方による江戸時代の忍藩の下級武士(尾崎石城)が残した幕末の武士の暮らしぶりが良く分かる絵日記。極めて興味深い内容であり、学者先生によるもったいぶった解説本よりもはるかに優れている。
絵日記の内容から、幕末武士の尾崎石城(絵日記執筆時点で29歳から30歳前半)は「閑であり時間を持て余していた」しかし、「剣術に励む」などの自分を磨く努力や最も重要な「深く考えること」は一切していない。時間は十分あるのに「深く考えることができない」は、日本人のDNAに刻まれた形質なのだろうか?毎日、知人・友人宅を訪れては「遊び惚けていた」。
しかし、現代人と変わらないレベルで読書をしていた。等々がよくわかる。特に重要なのは尾崎石城が読んだ書籍には、西欧系書籍の翻訳書が一切ない点であり、全て中国の訳書である。
肉体労働せずともよい環境こそが、文明・文化の発展につながる最大の基礎的要因であるが、絵日記著者は、その十分ある時間を絵日記や掛軸・襖絵制作に費やしたようである。
絵日記の内容から、幕末武士の尾崎石城(絵日記執筆時点で29歳から30歳前半)は「閑であり時間を持て余していた」しかし、「剣術に励む」などの自分を磨く努力や最も重要な「深く考えること」は一切していない。時間は十分あるのに「深く考えることができない」は、日本人のDNAに刻まれた形質なのだろうか?毎日、知人・友人宅を訪れては「遊び惚けていた」。
しかし、現代人と変わらないレベルで読書をしていた。等々がよくわかる。特に重要なのは尾崎石城が読んだ書籍には、西欧系書籍の翻訳書が一切ない点であり、全て中国の訳書である。
肉体労働せずともよい環境こそが、文明・文化の発展につながる最大の基礎的要因であるが、絵日記著者は、その十分ある時間を絵日記や掛軸・襖絵制作に費やしたようである。
p6
畳の上に料理の容器を置いた食事である。さらに大勢の人が集まっての酒宴風景も多く描かれているが、その真ん中に大皿や大鍋を盛り、それを銘々が取り皿にとって食べている。このような食事風景もこれまで考えられなかった

p26
絵日記を記した文久二年から9年後の明治4年に忍県が調査した士族数は1365人であった。よって当時もそれぐらいの武士人数であったと思われる
忍藩は10万石であり、1万石当たり約130人の武士がいたことになる。戦国時代には、1万石当たり300人の動員が可能とされているが、初めて江戸時代の1万石当たりの武士数の概算値がわかった

p44
【絵日記の著者である武士は】売却してきた書物名を忘れることが無いように絵日記に記しているが、そこからどんな書物を読んでいたかわかる。その冊数は408冊に及び、その内容は実に多彩である。
文選、史記、和歌の手引書、徒然草、論語及びその関連書、平家物語、俳諧関連書、源氏物語、等々であり、幕末において既に相当なレベルで武士は書籍を読んでいたことがよくわかる。現代人と何ら変わらないか、むしろ多いぐらいである。江戸時代には、貸本屋で借りて読むことが一般的であったようである。下の絵の右側は貸本屋が訪れた場面を描いている
私の本棚には数えたことはないが、最低でも2000冊はあるが、半分くらいは文庫本・新書本である。安いからだ。この武士は、170年前に最低でも400冊を所蔵し、売っては買いを繰り返していた。驚くしかない。


忍藩は関東平野の内陸にある。にもかかわらず、この絵日記には、マグロの刺身等々の海産物が比較的よく出てくる

食事の際には、ちゃぶ台ではなく個別の膳で食べていたようである

著者も明記しているが、江戸時代の飲み屋にはテーブルや椅子など皆無であったようだ。従って、テレビの時代劇の飲み屋のシーンは、時代考証が全くなされていない
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