誰も知らなかった皇帝たちの中国
岡田 英弘
WAC 文庫
2006年
p19
中国文明には、最も重要な要素が3つある。皇帝と都市と漢字である。
p86
秦・漢の中国人は二世紀の末にはほとんど絶滅したので、隋・唐の中国人はもはやその子孫ではなかったのである。
p109
【唐の大宗について】中国の皇帝が遊牧帝国の君主を兼ねるのは、史上初めてのことだった。
p118
660年、唐軍は海上から韓半島南部に上陸作戦を行って百済王国を滅ぼし、背後から高句麗をついた。この戦略が成功して、668年に唐は高句麗を滅ぼすことが出来た。こうして、韓半島は唐の支配下に入った。
p128
北宋時代に
中華思想が生まれた。
p132
【モンゴル帝国に関して】帝国の絆は婚姻関係にあった。
p134
遊牧民の婚姻は族外婚制度で、同じ部族・氏族内の、父方先祖が同じ者同士の結婚は血が濃くなるといって嫌った。これは家畜の交配の経験から得た知恵だろうが、
p159
【文永の役に関して】魏志倭人伝以来、大陸では、日本列島は南北に細長く伸びて、華南の東方海上に達していると思われていた。そこで、フビライ・ハーンは、南宋に対する作戦の一環として、日本列島を、占領して背後か、南宋を突こうと考え
【弘安の役に関して】1279年に南宋の残党の掃討作戦が完了したので、フビライ・ハーンは、旧南宋の水軍を五島列島に回航させ、これを中核部隊として、再び北九州に上陸作戦をこころみたが、
p160
モンゴル帝国には全体を統治する中央政府はなく、多数の領主のウルス(所領)の集合であった。それらの領主たちの中で筆頭の地位を占めたが、フビライ家の元朝皇帝だった。
p172
中国の皇帝は非漢人の方が普通だ。
漢人出身の皇帝が在位した期間は、そうでない皇帝の時代よりも短い。
隋・唐の皇帝は鮮卑人である。
秦の始皇帝【即位から清朝末まで】2132年間のおよそ4分の3が、非漢人の皇帝の時代だとわかる。
皇帝制度は中国文明の本質であるが、その皇帝は非漢人のほうが圧倒的に多いのだから、中国文明は漢人の専売特許ではない。
p205
洪武帝が自分の子孫に残した遺言は、皇明祖訓
その中に、不征の国として、手を出してはならない外国を15列挙し、その中に日本も入っている。
皇明祖訓の全文は現代中国語でこのサイトで見れる
不征の国は、下記の通りである。正東偏北は、南京からみての日本列島の位置であろう。
p223
【満州人、モンゴル人、チベット人、オアシス都市のトルコ語を話すイスラム教徒、漢人】
これらの五大種族は、それぞれ別々の独自の法典を持っていた。漢人は清朝皇帝の使用人である官僚を通じて統治されていたが、他の4つの種族には、官僚制度の管轄は及ばす、原則として自治は認められていた。漢人が中国以外の辺境に立ち入ることは、厳重に制限されていた。
p224
清帝国の第一公用語はもちろん満州語だった。
第二公用語は、モンゴル語だった。そして、第三公用語が、漢文だった。
p227
清帝国が中華帝国だったという誤解には、第二の原因がある。それは20世紀の中国人の宣伝である。
p228
大漢族主義の主張が強くなる。
「満州人も漢人も、もともと同じ中華民族、つまり漢族だ。だから清帝国は漢族の国民国家だ」
集団遺伝学論文は上記が正しいことを明白に示す。CHB=満州人と漢人の混血と見做しうる。
p247
満州人というのは主従の結びつきが非常に強い。一つの家族のなかに主人の家系と奴隷の家系が代々あり、身分の違いがハッキリしている。しかもその主従関係は、子々孫々、永久に続くのである。奴隷の家系の者でも皇帝に気に入られれば出世できるが、如何に高い地位に登っても、主筋の人に対しては土下座して挨拶しなければならない。
岡田 英弘
WAC 文庫
2006年
岡田英弘氏の著作は、東京外大という一次資料面では非常に不利な環境にもかかわらず、恐らくは、東京外大には東アジアの各言語に真に精通した者が多数いるという利点を活かして、内藤湖南・桑原実蔵以来の長いシナ学の歴史を有する京大系列の主流派の中国史家に反旗を翻し、自信たっぷりに、中国史に新たな視点を切り開いてくれる。特に、弘安の役に関する視点は、正統派の京大系列のキングである杉山正明氏の主張と正面からぶつかる。私は、岡田英弘氏に軍配を上げたい
岡田英弘氏は絶対にご存知ないであろうが、中国人は東アジア人を対象とする集団遺伝学論文に掲載される主成分分析図では、一つの例外もなく、ダイ族を起点にCHS~CHBに至る長く伸びた分布を示す。従って、中国人=漢民族には、岡田英弘氏の主張に反して、満州族が遺伝的に見た場合には完全に含まれる。集団遺伝学論文の主成分分析図で、漢民族から除外されるのは、モンゴル・チベット・ウイグルである。
岡田英弘氏が同様に絶対にご存知でないのは、朝鮮民族の遺伝的な特異性=ほとんどDNA異常民族という極端な表現さえもあながち誤りとは言えないレベルの朝鮮民族のDNAの特殊性である。岡田氏は、13世紀を境にして朝鮮史の全体的な動きが全く異なっているという印象を持たれないのであろうか?
恐らくは、日本でただ一人であろう集団遺伝学マニア 兼 中国史マニアの私は、強くそのように感じる。「我々は優秀な民族」=全ての韓国人が信じて疑わない集団的妄想は、データによって完全に否定されるとともに、朝鮮民族の精神面で強く表れているDNA異常性を強く示唆する。従って、集団遺伝学論文の示すデータが正しいのであれば、日韓併合こそ、日本史上、最大かつ最悪の事態であったのだ


韓国人は、何故、自然科学系のノーベル賞受賞者がいない。理由は単純でIQが下方にずれて分布しているからである。岡田氏はどうお考えになるであろうか?

岡田英弘氏は絶対にご存知ないであろうが、中国人は東アジア人を対象とする集団遺伝学論文に掲載される主成分分析図では、一つの例外もなく、ダイ族を起点にCHS~CHBに至る長く伸びた分布を示す。従って、中国人=漢民族には、岡田英弘氏の主張に反して、満州族が遺伝的に見た場合には完全に含まれる。集団遺伝学論文の主成分分析図で、漢民族から除外されるのは、モンゴル・チベット・ウイグルである。
岡田英弘氏が同様に絶対にご存知でないのは、朝鮮民族の遺伝的な特異性=ほとんどDNA異常民族という極端な表現さえもあながち誤りとは言えないレベルの朝鮮民族のDNAの特殊性である。岡田氏は、13世紀を境にして朝鮮史の全体的な動きが全く異なっているという印象を持たれないのであろうか?
恐らくは、日本でただ一人であろう集団遺伝学マニア 兼 中国史マニアの私は、強くそのように感じる。「我々は優秀な民族」=全ての韓国人が信じて疑わない集団的妄想は、データによって完全に否定されるとともに、朝鮮民族の精神面で強く表れているDNA異常性を強く示唆する。従って、集団遺伝学論文の示すデータが正しいのであれば、日韓併合こそ、日本史上、最大かつ最悪の事態であったのだ


韓国人は、何故、自然科学系のノーベル賞受賞者がいない。理由は単純でIQが下方にずれて分布しているからである。岡田氏はどうお考えになるであろうか?

p19
中国文明には、最も重要な要素が3つある。皇帝と都市と漢字である。
p86
秦・漢の中国人は二世紀の末にはほとんど絶滅したので、隋・唐の中国人はもはやその子孫ではなかったのである。
p109
【唐の大宗について】中国の皇帝が遊牧帝国の君主を兼ねるのは、史上初めてのことだった。
p118
660年、唐軍は海上から韓半島南部に上陸作戦を行って百済王国を滅ぼし、背後から高句麗をついた。この戦略が成功して、668年に唐は高句麗を滅ぼすことが出来た。こうして、韓半島は唐の支配下に入った。
p128
北宋時代に
中華思想が生まれた。
p132
【モンゴル帝国に関して】帝国の絆は婚姻関係にあった。
p134
遊牧民の婚姻は族外婚制度で、同じ部族・氏族内の、父方先祖が同じ者同士の結婚は血が濃くなるといって嫌った。これは家畜の交配の経験から得た知恵だろうが、
p159
【文永の役に関して】魏志倭人伝以来、大陸では、日本列島は南北に細長く伸びて、華南の東方海上に達していると思われていた。そこで、フビライ・ハーンは、南宋に対する作戦の一環として、日本列島を、占領して背後か、南宋を突こうと考え
【弘安の役に関して】1279年に南宋の残党の掃討作戦が完了したので、フビライ・ハーンは、旧南宋の水軍を五島列島に回航させ、これを中核部隊として、再び北九州に上陸作戦をこころみたが、
p160
モンゴル帝国には全体を統治する中央政府はなく、多数の領主のウルス(所領)の集合であった。それらの領主たちの中で筆頭の地位を占めたが、フビライ家の元朝皇帝だった。
p172
中国の皇帝は非漢人の方が普通だ。
漢人出身の皇帝が在位した期間は、そうでない皇帝の時代よりも短い。
隋・唐の皇帝は鮮卑人である。
秦の始皇帝【即位から清朝末まで】2132年間のおよそ4分の3が、非漢人の皇帝の時代だとわかる。
皇帝制度は中国文明の本質であるが、その皇帝は非漢人のほうが圧倒的に多いのだから、中国文明は漢人の専売特許ではない。
p205
洪武帝が自分の子孫に残した遺言は、皇明祖訓
その中に、不征の国として、手を出してはならない外国を15列挙し、その中に日本も入っている。
皇明祖訓の全文は現代中国語でこのサイトで見れる
不征の国は、下記の通りである。正東偏北は、南京からみての日本列島の位置であろう。
東北:
- 朝鮮國(即高麗。其李仁人,及子李成桂今名旦者,自洪武六年至洪武二十八年,首尾凡弑王氏四王,故待之)
正東偏北:
- 日本國(雖朝實詐,暗通奸臣胡惟庸,謀為不軌,故絕之)
正南偏東:
- 大琉球國(朝貢不時,王子及陪臣之子,皆入太學讀書,禮待甚厚)
- 小琉球國(不通往來,不曾朝貢)
西南:
- 安南國(三年一貢)
- 真臘國(朝貢如常,其國濱海)
- 暹羅國(朝貢如常,其國濱海)
- 占城國(自占城以下諸國來朝貢時,內帶行商,多行譎詐,故沮之。自洪武八年沮至洪武十二年,方乃得止。其國濱海)
- 蘇門答剌(其國濱海)
- 西洋國(其國濱海)
- 爪洼國(其國居海中)
- 湓亨國(其國居海中)
- 白花國(其國居海中)
- 三弗齊國(其國居海中)
- 渤泥國(其國居海中)
グーグル機械翻訳では日本に関する翻訳結果が明らかにおかしい。deeplでは別の内容。 - 朝鮮(高麗とも呼ばれる。朝鮮の指導者である李仁仁とその息子である李成桂(現在は丹として知られる)は、洪武6年から28年にかけて王家の四王を皆殺害したため、高麗人として扱われた。)
- 真北東:
- 日本(朝鮮王朝は実際には欺瞞に満ちており、裏切り者の大臣胡衛容と密かに共謀して反逆を企てていたが、日本から切り離された。)
上が明らかに???であるグーグル機械翻訳結果、下がdeeplの機械翻訳結果。
日本国(表向きは忠誠を装いながら、密かに奸臣胡惟庸と通じ、不軌の謀を企てたため、断絶した)
「故に之を絶す」は日本との国交断絶の意味と思われる。李氏朝鮮に関する「故に之を待つ」は意味不明である。 - 真南東:
- 琉球(定期的に貢物を納め、王子と大臣の息子たちは皆、皇室学院に入学し、厚遇された。)
- 琉球(通信がなく、貢物も納められなかった。)
- 南西:
- 安南(3年ごとに貢物を納めていた。)
- ラマ(沿岸部に位置し、通常通り貢物を納めていた。)
- シャム(貢物(いつものように海岸沿いに位置する)
- チャンパ(チャンパなどの国々は貢物を納める際に詐欺を働く商人を連れてきたため、辟易した。洪武帝の8年から12年にかけて、ついに彼らは阻止された。海岸沿いに位置する)
- スマトラ(海岸沿いに位置する)
- オセアニア(海岸沿いに位置する)
- ジャワ(海の真ん中に位置する)
- ペナン(海の真ん中に位置する)
- バイフア(海の真ん中に位置する)
- サヴァ(海の真ん中に位置する)
- ボルネオ(海の真ん中に位置する)
p223
【満州人、モンゴル人、チベット人、オアシス都市のトルコ語を話すイスラム教徒、漢人】
これらの五大種族は、それぞれ別々の独自の法典を持っていた。漢人は清朝皇帝の使用人である官僚を通じて統治されていたが、他の4つの種族には、官僚制度の管轄は及ばす、原則として自治は認められていた。漢人が中国以外の辺境に立ち入ることは、厳重に制限されていた。
p224
清帝国の第一公用語はもちろん満州語だった。
第二公用語は、モンゴル語だった。そして、第三公用語が、漢文だった。
p227
清帝国が中華帝国だったという誤解には、第二の原因がある。それは20世紀の中国人の宣伝である。
p228
大漢族主義の主張が強くなる。
「満州人も漢人も、もともと同じ中華民族、つまり漢族だ。だから清帝国は漢族の国民国家だ」
集団遺伝学論文は上記が正しいことを明白に示す。CHB=満州人と漢人の混血と見做しうる。
p247
満州人というのは主従の結びつきが非常に強い。一つの家族のなかに主人の家系と奴隷の家系が代々あり、身分の違いがハッキリしている。しかもその主従関係は、子々孫々、永久に続くのである。奴隷の家系の者でも皇帝に気に入られれば出世できるが、如何に高い地位に登っても、主筋の人に対しては土下座して挨拶しなければならない。
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