東アジア三国史
日本・中国・朝鮮
田中 俊明 監修
日本実業出版社
2010年
p29
坑殺された儒者は不死の薬を献上すると言って始皇帝から巨額の資金を騙しとっていた神仙道を信奉する一派で、純粋な儒教信者はいなかったとする説もある。

p32
鉄はインド、中国、朝鮮を経て日本へ
地中海で発見された鉄とその影響
鉄の精錬技術は、インド、中国を経由して朝鮮半島に伝わり、弥生時代中期頃、日本に持ち込まれた。
朝鮮半島では、各地に鉄鉱石を産出する鉱山が点在した。
日本のコメは長江流域から伝播
長江から直接伝承した日本の稲作
弥生時代の池上・曽根遺跡と唐古・鍵遺跡から出土した2200〜2300前の炭化した米のDNAを分析したところ、塩基配列が長江流域の水稲と一致した。一方、この塩基配列をもつ米は朝鮮半島には存在しない。
従来、日本の稲作は渡来系弥生人とともに持ち込まれたとされてきたが、長江から直接伝わった可能性が高くなってきたのである。
朝鮮への稲作伝来は大陸経由
【朝鮮の遺跡名】の石器構成は、山東半島の黒陶文化遺物とほぼ一致する。

上記の記述根拠は、佐藤洋一郎氏の一連の著作・論文が根拠であろう。私が読んだ佐藤洋一郎氏の著作は下記のとおり。
①食の人類史 ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧
p125
高麗の民たちは、高麗の王族たちを竜の末裔と信じていた。
この記述が、本書で最も意味があった。王建は、異母の息子と娘に近親相姦を命じている。エジプト王家でも、王族の血を護るために近親相姦がされていたのと同様であり、ハプスブルグ家の近親交配もあまりにも有名である。しかし、王族又は支配階級の近親交配とは別に、その後の李氏朝鮮時代には、明らかに意図せざる近親相姦が異様なレベルで多数生じたと推定して間違いない。朝鮮人DNAに生じている特異性は、この二つが要因である可能性が極めて高い。
く
p143
元軍の不可解な撤退
元軍の攻勢により博多を占拠された幕府軍の前で、元軍は不可解な行動をとる。日没とともに軍船に戻ってしまったのだ。通説では、
11月下旬となるので、これは台風ではなく季節風と考えられる。また、別の見方として、今回の侵攻は元からすれば威嚇・偵察に過ぎず、予定通りの撤退であったとも考えられている。さらに、三別抄の乱の影響とする説もある。高麗で抵抗を続けた三別抄を鎮圧するため、日本への攻撃が遅れただけでなく、用意していた軍備が少なくなり、文永の役では1日で矢が底をついてしまったというものだ。
杉山正明は、偵察説を提唱した、しかし、常識的には考えにくい。後者の三別抄説は確実に在日コリアンの朝鮮史美化運動家どもである。バカとしか言いようがない。文役の役前年に、三別抄など消えた。在日コリアンの朝鮮史美化運動家どもよ、三別抄と称する連中は、何人いたのだ!示せ、バカども。1273年の時点では恐らくは、多くとも数百人程度であろう。
従って、爆弾低気圧が発生し、波浪警報レベルの大波により、やむなく撤退したと考えるのが妥当である。

p160
対馬を通した日朝交渉
秀吉は朝鮮が対馬宗氏に従属する国家であると認識していたため、宗氏を仲介役とすれば、朝鮮は簡単に屈服すると思っていた。一方、朝鮮の認識では対馬は慶尚道の属島と見做しており、政治的にも経済的にも朝鮮側にたったパートナーと考えていたのである。
宗氏は、まず朝鮮に対して、秀吉の要求する「従属」を「通信使派遣要請」という友好的な形にすり替えて交渉することにした。
日本・中国・朝鮮
田中 俊明 監修
日本実業出版社
2010年
日本・中国・朝鮮の通史を朝鮮史以外は200ページで重要トピック毎にコンパクトに上手くまとめてある。執筆者は不明(多分、大学院生?)で、監修者が内容をチェックしたと思われる。
非常に???と思う記述も散見されるが、その点は仕方がない。
また、朝鮮史に関しては、李氏朝鮮時代以降は「橋にも棒にもかからない」、コメントに値しない内容である。ほぼ、韓国内で信じられている、信仰されている内容である。
例えば、1945年に、米ソ両国が朝鮮人には自治能力なしとして、それぞれ30年アメリカ、5年ソ連の長期の信託統治を主張したことは史実であるが、完全無視している。日本における在日コリアンどもの朝鮮史美化運動家連中の影響下にある大学院生又は韓国人(国籍)が書いたと推定して間違いない。
非常に???と思う記述も散見されるが、その点は仕方がない。
また、朝鮮史に関しては、李氏朝鮮時代以降は「橋にも棒にもかからない」、コメントに値しない内容である。ほぼ、韓国内で信じられている、信仰されている内容である。
例えば、1945年に、米ソ両国が朝鮮人には自治能力なしとして、それぞれ30年アメリカ、5年ソ連の長期の信託統治を主張したことは史実であるが、完全無視している。日本における在日コリアンどもの朝鮮史美化運動家連中の影響下にある大学院生又は韓国人(国籍)が書いたと推定して間違いない。
p29
坑殺された儒者は不死の薬を献上すると言って始皇帝から巨額の資金を騙しとっていた神仙道を信奉する一派で、純粋な儒教信者はいなかったとする説もある。

p32
鉄はインド、中国、朝鮮を経て日本へ
地中海で発見された鉄とその影響
鉄の精錬技術は、インド、中国を経由して朝鮮半島に伝わり、弥生時代中期頃、日本に持ち込まれた。
朝鮮半島では、各地に鉄鉱石を産出する鉱山が点在した。
日本のコメは長江流域から伝播
長江から直接伝承した日本の稲作
弥生時代の池上・曽根遺跡と唐古・鍵遺跡から出土した2200〜2300前の炭化した米のDNAを分析したところ、塩基配列が長江流域の水稲と一致した。一方、この塩基配列をもつ米は朝鮮半島には存在しない。
従来、日本の稲作は渡来系弥生人とともに持ち込まれたとされてきたが、長江から直接伝わった可能性が高くなってきたのである。
朝鮮への稲作伝来は大陸経由
【朝鮮の遺跡名】の石器構成は、山東半島の黒陶文化遺物とほぼ一致する。

上記の記述根拠は、佐藤洋一郎氏の一連の著作・論文が根拠であろう。私が読んだ佐藤洋一郎氏の著作は下記のとおり。
①食の人類史 ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧
②イネとコメの民族誌 アジアの稲作景観を歩く
③稲の日本史
④ DNA考古学
しかし、佐藤洋一郎氏の見解は明らかに通説とは言えない。また、塩基配列としているが、短い繰り返し配列=STRの分析である。この書の最大の特徴である箇所である。この分野を専門とする博士課程の方が書いたのであろう。柳田の「海上の道 」は単なる空想に過ぎないし、稲作伝来は、長江→山東半島→朝鮮→九州で、間違いないであろう。単に朝鮮で同じ繰り返し配列のコメが見つかっていないだけであると断定して良い。
④ DNA考古学
しかし、佐藤洋一郎氏の見解は明らかに通説とは言えない。また、塩基配列としているが、短い繰り返し配列=STRの分析である。この書の最大の特徴である箇所である。この分野を専門とする博士課程の方が書いたのであろう。柳田の「海上の道 」は単なる空想に過ぎないし、稲作伝来は、長江→山東半島→朝鮮→九州で、間違いないであろう。単に朝鮮で同じ繰り返し配列のコメが見つかっていないだけであると断定して良い。
p125
高麗の民たちは、高麗の王族たちを竜の末裔と信じていた。
この記述が、本書で最も意味があった。王建は、異母の息子と娘に近親相姦を命じている。エジプト王家でも、王族の血を護るために近親相姦がされていたのと同様であり、ハプスブルグ家の近親交配もあまりにも有名である。しかし、王族又は支配階級の近親交配とは別に、その後の李氏朝鮮時代には、明らかに意図せざる近親相姦が異様なレベルで多数生じたと推定して間違いない。朝鮮人DNAに生じている特異性は、この二つが要因である可能性が極めて高い。
くp143
元軍の不可解な撤退
元軍の攻勢により博多を占拠された幕府軍の前で、元軍は不可解な行動をとる。日没とともに軍船に戻ってしまったのだ。通説では、
11月下旬となるので、これは台風ではなく季節風と考えられる。また、別の見方として、今回の侵攻は元からすれば威嚇・偵察に過ぎず、予定通りの撤退であったとも考えられている。さらに、三別抄の乱の影響とする説もある。高麗で抵抗を続けた三別抄を鎮圧するため、日本への攻撃が遅れただけでなく、用意していた軍備が少なくなり、文永の役では1日で矢が底をついてしまったというものだ。
杉山正明は、偵察説を提唱した、しかし、常識的には考えにくい。後者の三別抄説は確実に在日コリアンの朝鮮史美化運動家どもである。バカとしか言いようがない。文役の役前年に、三別抄など消えた。在日コリアンの朝鮮史美化運動家どもよ、三別抄と称する連中は、何人いたのだ!示せ、バカども。1273年の時点では恐らくは、多くとも数百人程度であろう。
従って、爆弾低気圧が発生し、波浪警報レベルの大波により、やむなく撤退したと考えるのが妥当である。

p160
対馬を通した日朝交渉
秀吉は朝鮮が対馬宗氏に従属する国家であると認識していたため、宗氏を仲介役とすれば、朝鮮は簡単に屈服すると思っていた。一方、朝鮮の認識では対馬は慶尚道の属島と見做しており、政治的にも経済的にも朝鮮側にたったパートナーと考えていたのである。
宗氏は、まず朝鮮に対して、秀吉の要求する「従属」を「通信使派遣要請」という友好的な形にすり替えて交渉することにした。
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