日中戦争
目撃者が語る昭和史 第5巻
泥沼化する中国戦線
新人物往来社
1989年

現代史は、資料と証言から構成される。南京虐殺事件に関しては、資料・中国側証言・日本側証言の3つから見て、少なくとも4万人以上の中国民間人が虐殺されたことが確実であるにもかかわらず、その史実を否定しようとする動きが散見されることが残念である。
韓国人連中が、創出した従軍慰安婦性奴隷という虚構の場合、資料は皆無、日本側証言も朝日新聞ですら誤報と認めた以外は皆無、朝鮮側証言は酷い内容であり、嘘とすぐにわかる
この二つの差は、明確であるにもかかわらず、両者を同一視することは、韓国人という絶対に確実に遺伝的には極めて特異な連中を利するだけである。

今日、渡韓するバ韓女子=バカん女子は、アメリカ及びカナダ政府が政府公式サイトに渡韓レイプ警告を明記していることすら、知らないであろう。

下は自分で見つけた一次資料である。残念ながら、12月13日で終わっている。やはり、第六師団は無関係であるようだ。南京入城式は、17日に行われた。

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第10軍は、俗称 柳川兵団で、上海攻略のために編成され、上海派遣軍と一緒に南京城内に突入した

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p48
証言者:元東京朝日新聞記者 今井 正剛、当時の南京支局長

虐殺事件の原因

南京大虐殺事件の、直接の原因ではないけれども、これを推進させた一番大きな理由は日本軍の南京入城式であった。
敵の一兵たりとも南京に残存するのを許さずとした、当時の軍司令部の意向が、あのような徹底的な残敵掃討となり、そして、勢いのおもむくところ一人残らず殺してしまえ、という凶暴な行為にまで発展してしまったに違いない。
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見当たらぬ民衆
南京入城式
新聞記者の他は、一般民衆と名のつくものは誰一人いなかったことである。
こういう入城式を挙行するために、2、3日前から南京城内に敵の一兵たりとも残存するを許さず、という軍令が入城部隊に厳達されていた。
南京突入の13日夜から、14、15日の両日は殊にこの残敵掃討が苛烈であった。
15日は、いよいよ入城式を明後日にひかえて行動は掃討に集中された。南京大虐殺事件というのは、この15日の夕刻から深夜にかけて行われたのである。
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【この後、民間人らしき中国人男性を連行する様子を記述】
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虐殺を眺める女子供
【支局の中国人スタッフから日本兵が中国人男性を殺していると聞いて】中村昭吾特派員と私はあわてふためいて飛び出した。
4、5百人もの中国人の男達がしゃがんでいる。
2、30歩離れた後から日本兵が小銃の一斉射撃
その周りをいっぱい取り囲んで、女や子供達が茫然と眺めているのだ。
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消えた2万人
河岸へ出た。
もう直ぐ朝が、来る。
「約2万人ぐらい」と、ある将校は言った。その多くは恐らく左右両方から集中する機銃弾の雨の中を、どよめきよろめいて、凍る霜夜の揚子江に落ちて行っただろう。

文藝春秋昭和31年12月 

証言者:河野 公輝、62歳、昭和7年から中国戦線の従軍カメラマン


p62
【杭州湾上陸部隊、通称柳川兵団に従軍カメラマンの河野さんは加わっていた。】
みんな殺せという命令が、杭州湾上陸の直後に出された。河野さんは、確かに命令伝達書を見た。
何処へ行っても死体の山だった。
片っ端から強姦した。

断定し得ないが、大佐即ち連隊長クラスの上級将校でなければ、そのような命令書を直接みることはあり得ず、また、連隊長が従軍カメラマンにそのようは命令書を見せることはないと思われる。かつ、上記のような命令であれば、文書ではなく、ほぼ確実に師団司令部に集合した大佐クラスに口頭で伝達されるはずである。従軍慰安婦に関する朝日新聞の誤報と同じと推測される。


証言者:下野 一霞 81歳 第6師団参謀長

p69
南京大虐殺は全て事実無根である。多少の行き過ぎはあったかもしれないが、6師団は無実である。

証言者:三明 保真 63歳、第六師団47連隊の将校又は下士官【どちらかは書いていない】

攻略後の掃討戦を、虐殺と言っているじゃないですかね。便衣兵か一般人かわからないから、えい、ここにいるのを皆んなやってしまえ、というようなことが一部にはあったかもしれませんけど、しかし、我々第一線の者は、後の警備隊に申し送って城外に出たから、その後どうなったか知らないんですよ。

証言者:津崎 覚寿 57歳、第6師団47連隊の砲兵伍長。

虐殺は後続部隊がやるんです。
以降は、画像にした。

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証言者:井上 基喜 53歳、第六師団47連隊の機銃機隊の伍長

なにしろ、入城式のあと入ったから。

第六師団は、13日には、砲兵連隊=47連隊長も含めて南京城に入っているはずである。
入城式は17日であり、資料と他の証言者からして記憶間違いの可能性が高い。


画像にした。
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証言者:田所 耕三、53歳、114師団の一等兵

全て画像にした。

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南京虐殺事件については、軍規の崩壊がよく指摘される。憲兵が全く同行していないことが、あくまでも、表面上の原因かもしれない?証言内容に誇張はあっても虚偽はないと推定される。
性格異常者は、どのような民族集団でも、最低でも0.3%存在する。

悲しくて仕方ないのは、強姦した後、何故殺した?ソ連兵の常習的な強姦はよく知られている、しかし、彼らはその後に殺すことはなかった!この日本人?は、憲兵はいなかったと明言している。調べてみると、日本語ウキペディアでは、下記のとおりであるが、この人は朝鮮人志願兵かもしれない?

わたしはいっそう膨らまして話をした。ルポライターはさらにのってきた。それがあの証言で、私自身は城内に入ってもいなければ、下関にも行っていない。あの話はまったくのウソなのだ」と言ったとする。


まさしく、南京虐殺事件など無かったと主張する場合には喜ぶだろう。