目撃者が語る昭和史 第三巻
満州事変 
昭和3年の張作霖爆殺事件から満州建国

監修:猪瀬直樹
編集:平塚柾緒

新人物往来社
1989年

現代史の研究は、資料と証言の収集と検証からなされる。例えば、南京事件に関しては資料はほぼ皆無に等しいものの、日本側証言と中国側証言があり私が読んだ範囲では両者は一致しており、特に中国側証言に大きな嘘は見られない。これに対して、従軍慰安婦問題では日本側証言・資料はほぼ皆無であることは、吉見先生も従軍慰安婦資料集で明言しておられる。存在するのは朝鮮人どもの証言のみであり、その内容も強制されたという箇所の証言は嘘であるとすぐにわかる場合が多い。

この証言集は、各ページ上部掲載された画像が効果的であるものの、内容的には、令和時点では、めぼしい証言はない。ただし、昭和31年頃まで関東軍が阿片を機密費資金源としていたことは知られていなかったようであり、人物往来社の功績といえるかもしれない

p29
証言者:小日向白朗
私は十年来の阿片の喫み友達である張学良に
この頃阿片と女に無茶苦茶に身を持ち崩していた張学良には、到底日本に対して復仇の念などあるはずはなく、
ところが、その時既に張学良は阿片を絶っていたのだった。一旦中毒になった辺を絶つということは死よりも苦痛なのであるが

人物往来:昭和32年掲載

証言者はいわゆる満州浪人である。証言の内容には疑問を感ずるものの、この証言から張学良はアヘン中毒を克服したことになっている。

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アメリカ中立法発動によるアメリカからの物資輸入杜絶を恐れて、日本・中国とも正式の宣戦布告を行わなかった。従って、占領地域に憲兵隊によるは軍政は実施されなかった。このことの影響は、考えられているよりもはるかに大きいであろう。


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大平原をどこまでも続く兵士の列を見ると実感する。ハルハ河会戦=ノモンハン事件におけるロシア側死傷者が、3万人程度にも達することが、つい最近明らかとなった

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p111
証言者:橋本登美三郎(朝日新聞記者、戦後は国会議員)

10月事件の真相
【橋本を訪れた二人の大尉の話として】
「桜会の連中は重藤大佐を中軸として、時局解決の方法を研究してきましたが、その中心はロシア課の橋本欣五郎中佐に移行してしまい、次第に急激となり、”非常手段により現政府を転覆するのでなければ、到底満州問題は解決できない”と決断し、クーデターの計画を進めております」

人物往来:昭和39年掲載

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p203
証言者:元満州日報支配人 太原 要

20倍近い抗日軍の討伐容易ならず、
軍費の現地調達は並大抵ではなかった。そこで取られた政策は満州内で最も財源のある首都ハルビンにおける経済工作であった。即ち、①阿片の輸出は軍の直営②阿片窟、麻薬調剤所、賭博場、遊女屋、カフェー、ダンスホール等の享楽場と女たちの輸入配給は、関係業者にシンジケートを組織させ、独占権を与える代償としてそれぞれ300万円程度の権利金を納付させる。③ハルビン市内外居留の富豪からは、その国籍の如何を問わず一切の財産を没収する④鉄道は満州鉄道一手に経営させ北満の物資は大連に集中せしめる。その代償として軍用は一切無償。

関東軍の機密費調達に大きな役割を果たしたのは、阿片の輸出であった。
経理人はもとより幹部職員はみな平服姿の日本人将校である

人物往来:昭和32年掲載

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未だに、この書で登場する抗日義勇軍なるものの実態は不明のままである。

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p233
証言者:石原莞爾実弟石原六郎

(石原の)性格は「粗野にして無頓着」であるとも言われた
陸大の教官の評語だと聞けばなるほどと納得がいく。

綿密にして豪気
兄はおよそ「粗野にして無頓着」とは正反対であった

理解されぬ最終戦争論

人物往来:昭和41年掲載