最終戦争論
石原莞爾
青空文庫
第一部 最終戦争論
昭和十五年五月二十九日京都義方会に於ける講演速記で同年八月若干追補した
第一章 戦争史の大観
シュリーフェンは一九一三年、欧州戦争の前に死んでおります。つまり第一次欧州大戦は決戦戦争発達の頂点に於て勃発したのです。誰も彼も戦争は至短期間に解決するのだと思って欧州戦争を迎えたのであります。ぼんくらまで、そう思ったときには、もう世の中は変っているのです。あらゆる人間の予想に反して四年半の持久戦争になりました
叔父さんの威光で参謀総長になった小モルトケがシュリーフェンプランを修正しなければ、石原莞爾が明言している様に、第一次世界大戦はドイツの勝利となったと今日でも軍事研究家は見做している様である。死の床についたシュリーフェンは、右翼を徹底的に強大化しておけ!と遺言しているはずである。石原の遺言は?
第二章 最終戦争
第二次欧州戦争で所々に決戦戦争が行なわれても、時代の本質はまだ持久戦争の時代であることは前に申した通りでありますが、やがて次の決戦戦争の時代に移ることは、今までお話した歴史的観察によって疑いのないところであります。
戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる──即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。 これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私は理論的に正しいものであることを確信いたします。戦争発達の極限が戦争を不可能にする。
まさしく、その通りであり、核兵器の発達は戦争を不可能とし、冷戦時代が続いた。
次の決戦戦争では敵を撃つものは少数の優れた軍隊でありますが、我慢しなければならないものは全国民となるのです
驚愕した、多分偶然ではない。!少数の優れた軍隊とは、ミサイル戦略軍にドンピシャである。単なる偶然ではなく、石原莞爾の優れた頭脳と宗教心を基盤とする直感力は、見通していたと、おもわれる。
例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。
科学の進歩から、どんな恐ろしい新兵器が出ないとも言えません。
石原莞爾は、宗教心から上記の如く明言したのか?それとも、当時の陸軍中枢部を渡り歩いた故に、核兵器について何らかの知識を有していたのか?どちらかはわからないが、結果として正しい。
残念ながら、石原莞爾の頭脳が出した結論が正しいのであれば、アメリカと中国の核戦争の勝者は、中国である。人口及びアメリカ人の生活状況からして、アメリカ人は核戦争後の生活には絶対に耐えられない。
第三章 世界の統一
この最終戦争の期間はどのくらい続くだろうか。これはまた更に空想が大きくなるのでありますが、例えば東亜と米州とで決戦をやると仮定すれば、始まったら極めて短期間で片付きます。しかし準決勝で両集団が残ったのでありますが、他にまだ沢山の相当な国々があるのですから、本当に余震が鎮静して戦争がなくなり人類の前史が終るまで、即ち最終戦争の時代は二十年見当であろう。言い換えれば今から三十年内外で人類の最後の決勝戦の時期に入り、五十年以内に世界が一つになるだろう。こういうふうに私は算盤を弾いた次第であります。
第四章 昭和維新
最後の大決戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。
核兵器を知らなかった石原莞爾は何故この様に明言できたのであろうか?世界の人口は半分になる、完全に正しい。
それで東亜連盟協会の「昭和維新論」には、昭和維新の目標として、約三十年内外に決勝戦が起きる予想の下に、二十年を目標にして東亜連盟の生産能力を西洋文明を代表するものに匹敵するものにしなければならないと言って、これを経済建設の目標にしているのであります。
第五章 仏教の預言
そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。
世界の統一は本当の歴史上の仏滅後二千五百年に終了すべきものであろうと私は信ずるのであります。
従って、石原莞爾の預言=今日な目線では事実上は全面核戦争勝者国による世界統一の時期がズレているのは、宗教的根拠である。
そうなって参りますと、仏教の考える世界統一までは約六、七十年を残されているわけであります。私は戦争の方では今から五十年と申しましたが、不思議に大体、似たことになっております。
第六章 結び
世の中には、この支那事変を非常時と思って、これが終れは和やかな時代が来ると考えている人が今日もまだ相当にあるようです
われわれが仮にヨーロッパの組とか、あるいは米州の組と決勝戦をやることになっても、断じて、かれらを憎み、かれらと利害を争うのでありません。恐るべき惨虐行為が行なわれるのですが、根本の精神は武道大会に両方の選士が出て来て一生懸命にやるのと同じことであります。人類文明の帰着点は、われわれが全能力を発揮して正しく堂々と争うことによって、神の審判を受けるのです。
恐るべき惨虐行為 とは今日から見れば、広島、長崎への原爆投下である。
東洋人、特に日本人としては絶えずこの気持を正しく持っていやしくも敵を侮辱するとか、敵を憎むとかいうことは絶対にやるべからざることで、敵を十分に尊敬し敬意を持って堂々と戦わなければなりません。
鬼畜米英 とは全く異なる。
石原莞爾の朝鮮人どもに対する見解を知りたい。「朝鮮は、バケモノ屋敷であり、朝鮮人を猜疑心に富み且つ殆んど先天的に詭弁を弄し中傷を策する雑輩」と切り捨てた大谷日記と同じなのであろうか?
彼の優れた頭脳と直感力は、DNA分析など夢であった時代にも答えを出しているはずである。
石原莞爾
青空文庫
この石原莞爾の講演が昭和15年に行われた当時、日本は泥沼化した日中戦争の解決方法を見つけられず、アメリカとの対立が激化していた。
当時、アメリカはまだ核爆弾製造に着手していない。言うまでもなく、ICBM、SLBM、戦略爆撃機など存在しない。にも関わらず、石原莞爾は事実上、明確に預言している。
昭和15時当時に彼の講演を聞いた人々は、石原莞爾は頭がおかしくなっているか?又は、日蓮宗の影響だと全員思ったはずである。しかし、今日から見れば、まさに驚異的であるが、石原莞爾は米ソ冷戦時代を完全に預言している。「戦争がなくなる」と明言しているが、確かに、正確には、本気での戦争が出来なくなり、米ソ冷戦時代が生じた。ここまでは、石原莞爾の預言どおりである。
しかし、石原の預言が正しいのであれば、今日の表現では、人類の全面核戦争不可避論 となる。また、石原莞爾の時間的預言が正しいのであれば、20世紀末には、米ソ間で全面核戦争となっていたはずである。
更に、石原莞爾の預言が正しいのであれば、アメリカと中国の全面核戦争の勝者は間違いなく中国である。
万一、石原莞爾が参謀総長となっていたら?そう思わざるを得ない。しかし、日本はもっとスザまじい惨状となり、恐らくは私が生まれることもなかったであろう。
当時、アメリカはまだ核爆弾製造に着手していない。言うまでもなく、ICBM、SLBM、戦略爆撃機など存在しない。にも関わらず、石原莞爾は事実上、明確に預言している。
昭和15時当時に彼の講演を聞いた人々は、石原莞爾は頭がおかしくなっているか?又は、日蓮宗の影響だと全員思ったはずである。しかし、今日から見れば、まさに驚異的であるが、石原莞爾は米ソ冷戦時代を完全に預言している。「戦争がなくなる」と明言しているが、確かに、正確には、本気での戦争が出来なくなり、米ソ冷戦時代が生じた。ここまでは、石原莞爾の預言どおりである。
しかし、石原の預言が正しいのであれば、今日の表現では、人類の全面核戦争不可避論 となる。また、石原莞爾の時間的預言が正しいのであれば、20世紀末には、米ソ間で全面核戦争となっていたはずである。
更に、石原莞爾の預言が正しいのであれば、アメリカと中国の全面核戦争の勝者は間違いなく中国である。
万一、石原莞爾が参謀総長となっていたら?そう思わざるを得ない。しかし、日本はもっとスザまじい惨状となり、恐らくは私が生まれることもなかったであろう。
第一部 最終戦争論
昭和十五年五月二十九日京都義方会に於ける講演速記で同年八月若干追補した
第一章 戦争史の大観
シュリーフェンは一九一三年、欧州戦争の前に死んでおります。つまり第一次欧州大戦は決戦戦争発達の頂点に於て勃発したのです。誰も彼も戦争は至短期間に解決するのだと思って欧州戦争を迎えたのであります。ぼんくらまで、そう思ったときには、もう世の中は変っているのです。あらゆる人間の予想に反して四年半の持久戦争になりました
叔父さんの威光で参謀総長になった小モルトケがシュリーフェンプランを修正しなければ、石原莞爾が明言している様に、第一次世界大戦はドイツの勝利となったと今日でも軍事研究家は見做している様である。死の床についたシュリーフェンは、右翼を徹底的に強大化しておけ!と遺言しているはずである。石原の遺言は?
第二章 最終戦争
第二次欧州戦争で所々に決戦戦争が行なわれても、時代の本質はまだ持久戦争の時代であることは前に申した通りでありますが、やがて次の決戦戦争の時代に移ることは、今までお話した歴史的観察によって疑いのないところであります。
戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる──即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。 これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私は理論的に正しいものであることを確信いたします。戦争発達の極限が戦争を不可能にする。
まさしく、その通りであり、核兵器の発達は戦争を不可能とし、冷戦時代が続いた。
次の決戦戦争では敵を撃つものは少数の優れた軍隊でありますが、我慢しなければならないものは全国民となるのです
驚愕した、多分偶然ではない。!少数の優れた軍隊とは、ミサイル戦略軍にドンピシャである。単なる偶然ではなく、石原莞爾の優れた頭脳と宗教心を基盤とする直感力は、見通していたと、おもわれる。
例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。
科学の進歩から、どんな恐ろしい新兵器が出ないとも言えません。
石原莞爾は、宗教心から上記の如く明言したのか?それとも、当時の陸軍中枢部を渡り歩いた故に、核兵器について何らかの知識を有していたのか?どちらかはわからないが、結果として正しい。
残念ながら、石原莞爾の頭脳が出した結論が正しいのであれば、アメリカと中国の核戦争の勝者は、中国である。人口及びアメリカ人の生活状況からして、アメリカ人は核戦争後の生活には絶対に耐えられない。
第三章 世界の統一
この最終戦争の期間はどのくらい続くだろうか。これはまた更に空想が大きくなるのでありますが、例えば東亜と米州とで決戦をやると仮定すれば、始まったら極めて短期間で片付きます。しかし準決勝で両集団が残ったのでありますが、他にまだ沢山の相当な国々があるのですから、本当に余震が鎮静して戦争がなくなり人類の前史が終るまで、即ち最終戦争の時代は二十年見当であろう。言い換えれば今から三十年内外で人類の最後の決勝戦の時期に入り、五十年以内に世界が一つになるだろう。こういうふうに私は算盤を弾いた次第であります。
第四章 昭和維新
最後の大決戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。
核兵器を知らなかった石原莞爾は何故この様に明言できたのであろうか?世界の人口は半分になる、完全に正しい。
それで東亜連盟協会の「昭和維新論」には、昭和維新の目標として、約三十年内外に決勝戦が起きる予想の下に、二十年を目標にして東亜連盟の生産能力を西洋文明を代表するものに匹敵するものにしなければならないと言って、これを経済建設の目標にしているのであります。
第五章 仏教の預言
そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。
世界の統一は本当の歴史上の仏滅後二千五百年に終了すべきものであろうと私は信ずるのであります。
従って、石原莞爾の預言=今日な目線では事実上は全面核戦争勝者国による世界統一の時期がズレているのは、宗教的根拠である。
そうなって参りますと、仏教の考える世界統一までは約六、七十年を残されているわけであります。私は戦争の方では今から五十年と申しましたが、不思議に大体、似たことになっております。
第六章 結び
世の中には、この支那事変を非常時と思って、これが終れは和やかな時代が来ると考えている人が今日もまだ相当にあるようです
われわれが仮にヨーロッパの組とか、あるいは米州の組と決勝戦をやることになっても、断じて、かれらを憎み、かれらと利害を争うのでありません。恐るべき惨虐行為が行なわれるのですが、根本の精神は武道大会に両方の選士が出て来て一生懸命にやるのと同じことであります。人類文明の帰着点は、われわれが全能力を発揮して正しく堂々と争うことによって、神の審判を受けるのです。
恐るべき惨虐行為 とは今日から見れば、広島、長崎への原爆投下である。
東洋人、特に日本人としては絶えずこの気持を正しく持っていやしくも敵を侮辱するとか、敵を憎むとかいうことは絶対にやるべからざることで、敵を十分に尊敬し敬意を持って堂々と戦わなければなりません。
鬼畜米英 とは全く異なる。
石原莞爾の朝鮮人どもに対する見解を知りたい。「朝鮮は、バケモノ屋敷であり、朝鮮人を猜疑心に富み且つ殆んど先天的に詭弁を弄し中傷を策する雑輩」と切り捨てた大谷日記と同じなのであろうか?
彼の優れた頭脳と直感力は、DNA分析など夢であった時代にも答えを出しているはずである。
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