アンデス文明ガイドブック 
松本雄一 
新泉社 
2025年

著者の方は、アンデス地域の遺跡が文明の名に値する点について一切疑問を感じておられない。また、一般にもアンデス「文明」であると承認されている。確かに、何をもって文明と呼びうるのかの定義は存在しない。しかし、少なくとも文字のない社会をもって文明と呼びうるのであれば、長江文明が確実に存在していたことになる。相違点は自然環境にあり、単に長江流域は高温多湿で木材に建築物であるため遺跡が残りにくいという相違があったに過ぎない。
果たして文字と言えるのかどうかが疑問であるマヤ文明同様に誤って高評価されている可能性が非常に大きいように感じられる。


p4  
インカ文明の歴史は15世紀後半から1532年にスペイン人によって征服されるまで1世紀に満たない

p5 
アンデス文明の特色 
第一に他の文明から影響を受けることなく出現した文明
第二に他の文明では非常に重要であった幾つかの要素が存在しません。 
文字、鉄、車輪 
記録手段、道具の材料、移動手段が他の文明とは大きく異なっていた

第三にアンデス地域の自然環境の多様性

p17 
アンデスでは先土器時代に既に神殿が建造されていたことが現在では広く受け入れられています
アンデスでは紀元前1800年ごろにはじまる土器の導入以前に規模の大きな社会が形成されていたことを示しています
土器を持たない社会の公共祭祀建造物
【遺跡画像あり】

p21 
神殿は小規模な社会の人々が何百年にもわたって造り続けたことで結果として巨大化することになったのです

p44 
ワリ インカの先立つ帝国 
ワリ期:紀元後600~1000年
紀元後600年頃 
初めて明確に都市と見做すことができる遺跡が出現します

p68 
インカ期 紀元後1400年~1532年 
何故広大なインカ帝国が少数のスペイン人によって滅ぼされてしまったのでしょうか
王位継承に争いにつけこまれたこと、インカの支配に抵抗する民族集団が利用されたことなども大きく影響しました。

p73 
【イェール大学の研究者2名の人名】マチュピチュは王の私有地(王領)の一つであり、クスコの冬の寒さを避けて温暖な場所で短期間過ごすためのいわば王のための保養地のようなものであったと結論付けています

p76 
文字なき社会の情報メディア
キープ 
アンデス文明には文字が存在しませんでした