中国人の生活と文化

朱 恵良
筒井茂徳訳

ニ玄社
1994年

蔡倫が紙の発明者ではなく、むしろ改良者であることを初めて知った。豊富に画像が掲載されている反面、中国の衣食住についての記載は中国国内発売本であるためか少ない


p151
春秋戦国時代(前771-前221)には楼車という戦車があり、
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司馬遼太郎:耽羅紀行(カッコ内は私)
そのころ(=18世紀終わり頃である)朝鮮には、肩引きや動物にひかせる車さえなかったというのは、文明史的な驚異である。(略) ついでながら、多少の車は存在していた。 物資の流通のために使われる車(=大八車のような車のことである)がなかったということなのである。(P231)

中国を宗主国としていた朝鮮では上の状況である、何でもかんでもDNAが原因だというつもりはないものの、やはり集団固有の遺伝子の差としか言いようがない。

p164
中国では古くは外国人を全て胡人と呼び、後に夷人あるいは洋人と言うようになった。
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p182
一般に紙は後漢時代の蔡倫(?-121)という宦官によって発明されたと考えられてきた。
この十数年来、中国西北の陝西省や新疆地区、甘粛省などから前漢の古い紙が続々と出土し、蔡倫の時代以前に中国人は既に紙を知っていたが証明されてきたからである。けれどもこれらの古紙の質はかなり粗悪なものであった。蔡倫は紙の発明者でこそなかったが、その改良者であったのである。