残留日本人兵
アジアに生きた一万人の戦後
林 英一
中公新書
2012年
700~800人の残留日本兵が発生した。
オランダ領東インドでは903人の残留日本兵が発生したとされる
【表がある】
ソ連・モンゴル 最大で800人余り(1939年ノモンハン事件の残留捕虜)
中国 5600人(共産党側3000人、国民党側2600人)
インドシナ(ベトナム。ラオス、カンボジア)700~800人
タイ 約1000人
マラヤ(マレーシア、シンガポール)200~400人
オランダ領東インド(インドネシア)903人
司馬さんの随筆によれば、ノモンハン事件=ハルハ河会戦の日本兵捕虜に対するソ連軍の扱いは丁重であり、ソ連への帰化を勧められたそうである
p37
本書では残留日本兵の総数を1万人と仮定する
この書で初めて概算総数が明らかになった。敗戦末期の関東軍を除くシナ派遣軍約90万人、東南アジア各国と太平洋諸島合計で約100万人と仮定すると0.5%もの者が残留日本兵となったことになる。
p100
残留動機の分類
【著者の表では軍属・居留民・植民地出身者を含めて100名の動機を調べているが、軍人だけに絞った場合は、下記の通り】
*憲兵の場合には、戦犯を恐れた自由意志と推測されるものの、国民党が住民統制テクニックやマニュアル入手しようとしたのかもしれない。
*下士官・兵の場合ですら、完全な自由意志と申告したのは1割程度に過ぎない。司馬さんの随筆で、中国戦線での実例らしき内容を書いたものがある。ただし、戦車兵の場合である。関東軍戦車第一師団戦車第一連隊の小隊長(戦車4両の指揮者)であった司馬さんが、戦後に当時の同僚から聞いた話であろう。
*比率的には、将校が残留日本兵として、高い数値を示している。
(最下級将校である少尉は、歩兵の場合には、将校1名に対して下士官・兵は、約40名程度である)
アジアに生きた一万人の戦後
林 英一
中公新書
2012年
残留日本人兵に関する初の総合的著作である。驚いたのはp100に記載された残留動機の自己申告である。サンプル的に100名を調べているが、17名が自由意志としているものの、22名は強制性を伴っていたと自己申告している点である。
第二次大戦関連著作でいつも感ずることであるが、DNAに明らかに異常をきたしている朝鮮民族は、日本は戦犯国などとSNSやネット上の書き込みで呼ぶ場合が多い、しかし、自分たちが戦犯国の一部であったことすら知らないか又は完全無視している。韓国人の論法では、「優秀な民族である我々朝鮮人の政府は大韓民国臨時政府として朝鮮半島以外にあった」ということなのであろう。北朝鮮という金王朝は金日成様が朝鮮半島を日本との独立戦争に勝利し解放したとしている。
いずれもバカバカしいの一言に尽きるが、集団としてのヒトの遺伝子異常集団の発現の一つなのであろう。単なる知能の低さのみが原因ではない、完全に異常性を伴っている。何もする必要性はない、朝鮮半島に封じ込めるだけで自らの宿すDNAの異常性ゆえに消滅する宿命にある。

p33 第二次大戦関連著作でいつも感ずることであるが、DNAに明らかに異常をきたしている朝鮮民族は、日本は戦犯国などとSNSやネット上の書き込みで呼ぶ場合が多い、しかし、自分たちが戦犯国の一部であったことすら知らないか又は完全無視している。韓国人の論法では、「優秀な民族である我々朝鮮人の政府は大韓民国臨時政府として朝鮮半島以外にあった」ということなのであろう。北朝鮮という金王朝は金日成様が朝鮮半島を日本との独立戦争に勝利し解放したとしている。
いずれもバカバカしいの一言に尽きるが、集団としてのヒトの遺伝子異常集団の発現の一つなのであろう。単なる知能の低さのみが原因ではない、完全に異常性を伴っている。何もする必要性はない、朝鮮半島に封じ込めるだけで自らの宿すDNAの異常性ゆえに消滅する宿命にある。

700~800人の残留日本兵が発生した。
オランダ領東インドでは903人の残留日本兵が発生したとされる
【表がある】
ソ連・モンゴル 最大で800人余り(1939年ノモンハン事件の残留捕虜)
中国 5600人(共産党側3000人、国民党側2600人)
インドシナ(ベトナム。ラオス、カンボジア)700~800人
タイ 約1000人
マラヤ(マレーシア、シンガポール)200~400人
オランダ領東インド(インドネシア)903人
司馬さんの随筆によれば、ノモンハン事件=ハルハ河会戦の日本兵捕虜に対するソ連軍の扱いは丁重であり、ソ連への帰化を勧められたそうである
p37
本書では残留日本兵の総数を1万人と仮定する
この書で初めて概算総数が明らかになった。敗戦末期の関東軍を除くシナ派遣軍約90万人、東南アジア各国と太平洋諸島合計で約100万人と仮定すると0.5%もの者が残留日本兵となったことになる。
p100
残留動機の分類
【著者の表では軍属・居留民・植民地出身者を含めて100名の動機を調べているが、軍人だけに絞った場合は、下記の通り】
残留動機の分類(軍人のみを抽出) | ||||
自由意志 | 中間 | 強制性 | 合計 | |
軍人(将校) | 3 | 6 | 3 | 12 |
軍人(憲兵) | 1 | 5 | 0 | 6 |
軍人(下士官・兵) | 5 | 39 | 11 | 55 |
合計 | 9 | 50 | 14 | 73 |
同上で%で表示 | ||||
自由意志 | 中間 | 強制性 | 合計 | |
軍人(将校) | 25.0% | 50.0% | 25.0% | 100.0% |
軍人(憲兵) | 16.7% | 83.3% | 0.0% | 100.0% |
軍人(下士官・兵) | 9.1% | 70.9% | 20.0% | 100.0% |
*憲兵の場合には、戦犯を恐れた自由意志と推測されるものの、国民党が住民統制テクニックやマニュアル入手しようとしたのかもしれない。
*下士官・兵の場合ですら、完全な自由意志と申告したのは1割程度に過ぎない。司馬さんの随筆で、中国戦線での実例らしき内容を書いたものがある。ただし、戦車兵の場合である。関東軍戦車第一師団戦車第一連隊の小隊長(戦車4両の指揮者)であった司馬さんが、戦後に当時の同僚から聞いた話であろう。
*比率的には、将校が残留日本兵として、高い数値を示している。
(最下級将校である少尉は、歩兵の場合には、将校1名に対して下士官・兵は、約40名程度である)
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