ヒンズー教
ーーインドの聖と俗
森本達夫
中公新書
2003年
p16
現生での善行、悪行はその結果として来世での幸不幸に結びつくのだとの「業(カルマ)」の思想と一体化して、ヒンズー固有の宗教的倫理観を形成してきたのである。
p25
ヒンズー教全般に通用する明確な教義、教理も存在しない。
制度化された教団組織ではない。
各寺院は、同じ宗派に属する時でも、互いに独立、併存の関係にあり、いわゆる縦の上下関係も、横の連携も持たない。
p31
西欧のこの宗教概念をもってヒンズー教を論ずることは難しい。
p44
バラモン店主の長時間にわたる朝の礼拝といい、昼下がりの農村の女達の切実な祈願といい、
あまりにも即物的でご利益主義的に思われた。
p66
インドに西欧の歴史の観念が導入されるまでは、この国には歴史に相当する言葉はなかった。
p83
ヴェーダが文字に書き記されたのは、ようやく紀元8世紀ごろになってからである。
p139
独立後、半世紀、インドは
近隣の新興独立国に見られるようないわゆる軍事クーデターによる政権交代劇は起こらなかった。
p141
この再生族と一生族からなるヴァルナ制度の成立は
前8世紀ごろとされている。
司祭の子は司祭、鍛治職人の子は鍛治職人
人は生まれによってどの社会集団に属するのかが先天的に決められることになった。この職業の世襲、婚姻、食卓を共にしうる社会集団は、ジャーティ(生まれ、出生)と呼ばれた。
p142
現実のインド社会では、人はどのヴァルナに属しているかということよりも、どのジャーティ(いわゆるカースト)に属しているかの方が重要である。
近年、ジャーティの分化はますます進行する方向にあり、今日その数は二千とも三千とも言われている。
p145
今日、我々がインド社会をカースト社会としてとらえる時、言うところのカーストはジャーティを指す場合がほとんどである。
p154
ヒンズー教は極度に死と血を忌み嫌う
p191
女性は宗教上のシュードラ
p192
夫婦は別々に食事をとらなければならなかった。
p337
N、チョウドリー
ヒンズー教【から引用し】
解脱は決してヒンズーの宗教儀式や礼拝の目的ではない。ヒンズーの儀式や礼拝の中心目的は現世的な繁栄である。
ーーインドの聖と俗
森本達夫
中公新書
2003年
ヒンズー教に関する優れた著作であるが、私には、ヒンズー教はインドの最大の弊害、インドのガンともいうべき社会制度であるように思えた。イスラム教、キリスト教、仏教はいずれも、ヒトは等しい存在であることが前提である。特に、イスラム教はムハンマドの死の直前の説法により、同じイスラム教徒を奴隷とすることは厳しく禁止されている。これに対し、宗教とは呼べない儒教とヒンズー教は、ヒトは等しい存在ではないことを自明のこととしている。本書によって、ヒンズー教とは宗教では断じてなく、インド社会の単なる馬鹿げた制度に過ぎないことを初めて知った。インドにおける諸問題の根源である。同様に、儒教も同じ側面を有している。中国の場合には、毛沢東が伝統中国を文化大革命で完全にぶち壊した。結果として、拝金主義の蔓延を招いたが、インドよりはましである。インドのようにヒンズー教という仮面をかぶっているわけではない。
p16
現生での善行、悪行はその結果として来世での幸不幸に結びつくのだとの「業(カルマ)」の思想と一体化して、ヒンズー固有の宗教的倫理観を形成してきたのである。
p25
ヒンズー教全般に通用する明確な教義、教理も存在しない。
制度化された教団組織ではない。
各寺院は、同じ宗派に属する時でも、互いに独立、併存の関係にあり、いわゆる縦の上下関係も、横の連携も持たない。
p31
西欧のこの宗教概念をもってヒンズー教を論ずることは難しい。
p44
バラモン店主の長時間にわたる朝の礼拝といい、昼下がりの農村の女達の切実な祈願といい、
あまりにも即物的でご利益主義的に思われた。
p66
インドに西欧の歴史の観念が導入されるまでは、この国には歴史に相当する言葉はなかった。
p83
ヴェーダが文字に書き記されたのは、ようやく紀元8世紀ごろになってからである。
p139
独立後、半世紀、インドは
近隣の新興独立国に見られるようないわゆる軍事クーデターによる政権交代劇は起こらなかった。
p141
この再生族と一生族からなるヴァルナ制度の成立は
前8世紀ごろとされている。
司祭の子は司祭、鍛治職人の子は鍛治職人
人は生まれによってどの社会集団に属するのかが先天的に決められることになった。この職業の世襲、婚姻、食卓を共にしうる社会集団は、ジャーティ(生まれ、出生)と呼ばれた。
p142
現実のインド社会では、人はどのヴァルナに属しているかということよりも、どのジャーティ(いわゆるカースト)に属しているかの方が重要である。
近年、ジャーティの分化はますます進行する方向にあり、今日その数は二千とも三千とも言われている。
p145
今日、我々がインド社会をカースト社会としてとらえる時、言うところのカーストはジャーティを指す場合がほとんどである。
p154
ヒンズー教は極度に死と血を忌み嫌う
p191
女性は宗教上のシュードラ
p192
夫婦は別々に食事をとらなければならなかった。
p337
N、チョウドリー
ヒンズー教【から引用し】
解脱は決してヒンズーの宗教儀式や礼拝の目的ではない。ヒンズーの儀式や礼拝の中心目的は現世的な繁栄である。
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