イザベラ・バード 旅の生涯
O.チェックランド
川勝貴美 訳
1995年 日本経済評論社

日本奥地紀行は、イザベラの主著とも言うべき著作であった。また、日本訪問当時は、ビショプ夫人ではなく、イザベラ・バードであったのだ

pⅳ
22歳から70歳まで、イザベラは大きな旅行を7回している

pⅶ
医師ジョン・ビショップと結婚した
ジョン40歳、イザベラ50歳の時である

p5
父エドワード・バードは
法廷弁護士をしていた【その後】
聖職に就いた

【伝記の内容から、やはりイザベラは当時の女性として今日の女性のような教育は全く受けてはいない。父が法廷弁護士であり、区分すれば、イギリスのミドルクラスの最上位に当たる階層の女性である】


p85
1878年6月~9月
日本==未踏の地へ

p107
マラヤ 1879年
イザベラはマレー半島を旅し

p138
1886年【夫が死去】

p167
1894年~1896年
朝鮮・中国北部

イザベラは朝鮮を合計4回訪問した。期間は合わせて9カ月である

p170
朝鮮各地を旅するのに通訳が不可欠だった。長老派教会の若き宣教師ミラーが救いの手を差し伸べた

p176
1895年1月に再び挑戦を訪れたイザベラは
国王夫妻に謁見した

p185
1895年 & 1896年
【中国訪問】

p205
モロッコ 1901年
【イザベラは訪問記を書いてはいない】

p217
1880年イザベラの日本奥地紀行
出版された

p230
1880年の秋に日本奥地紀行を出版すると直ちに批評家から喝さいを浴びた
【出版社の編集者からイザベラに宛てた手紙の内容として】
「長い間出版に携わってきましたが、これほどまでの勝算を得たことは初めてです。あなたをたたえる声でどれほどここが大騒ぎになっていることか、お伝えしようもありません。このような旅行記で1カ月の間に第3版が出るとは、今までなかったことです」

【巻末の年譜から】
1831年 生まれる
1856年 イギリス女性のアメリカ紀行(The English waman in America)出版
1859年 アメリカの宗教事情 出版
1869年 エデインバラ旧市街に関する覚書 出版
1875年 サンドイッチ諸島での半年 出版
1879年 女性のロッキー山脈生活記 出版
1880年 日本奥地紀行 出版【49歳】
1883年 黄金の半島 出版
1891年 トルコとクルデイスタンの旅 出版
1898年 邦訳では朝鮮紀行 出版【67歳】
1899年 邦訳では中国奥地紀行 出版【68歳】