日本における日麗関係史研究:1992~2016年
村 井 章 介
はじめに
モンゴル東征にからむ日麗関係については、従来知られていなかった史料が複数紹介され、 大幅な進展があった。
Ⅵ 倭寇と日麗交渉
村 井 章 介
はじめに
私には必要ない
2017年9月16日、韓国春川市の江原大学校60周年記念館国際会議室において、韓日関係史学
会25周年を記念する国際学術会議「韓日関係史研究の回顧と展望」が開催され、私は招かれて
主題発表の一つを担当した。会議のプログラムは下記の通りである。
Ⅰ 通史・概説
[川添昭二1992・1994]は、本稿が対象とする25年間の初年に書かれた日本中世対外関係史
Ⅰ 通史・概説
[川添昭二1992・1994]は、本稿が対象とする25年間の初年に書かれた日本中世対外関係史
の概論で、軽視されがちな高麗関係にもバランスよく字数を割いている。[田村洋幸1993]も、
13世紀までの日麗関係を生産力を中心に経済史の視点からたどっている。
しかし、両者とも12世紀以降の日麗交易の不振の原因を高麗の低生産力や商業未発達に求めるのは、証明されていない前提に基づく立論といわざるをえない。
Ⅱ 平安時代の日麗関係
しかし、両者とも12世紀以降の日麗交易の不振の原因を高麗の低生産力や商業未発達に求めるのは、証明されていない前提に基づく立論といわざるをえない。
Ⅱ 平安時代の日麗関係
[石井正敏2000]は、997年の奄美海賊(南蛮賊徒とも)による九州各地襲撃事件が、中央
の貴族層によって「高麗来襲」と誤解された一件を素材に、事件の直前に「日本国を辱しむる
の句」をふくむ高麗牒状が到来しており、これが伏線となったこと、高麗をいつ襲ってくるか
分からない「敵国」と見る意識が、鎌倉時代に至るまで保持され続けたことを論じる。
Ⅲ 仏教界の交流と宋海商の活動
Ⅳ 鎌倉前期の日麗関係
Ⅴ モンゴルの脅威のもとで
Ⅲ 仏教界の交流と宋海商の活動
Ⅳ 鎌倉前期の日麗関係
Ⅴ モンゴルの脅威のもとで
[森平雅彦2015]は、モンゴル東征を1268年から1294年までの幅でとらえ、その間を7つの時期に
区分して、戦争・戦争準備の概略を述べ、それぞれの期における高麗側の軍需負担を、品目や
種類別にできるかぎり定量的に把握することを試みる。さらに軍需調達の方式を概観して、直
接生産者の経営基盤を破壊するような収奪は避けられ、俸禄や備蓄の転用や元からの供与に比
重があったとする。
モンゴル東征にからむ日麗関係については、従来知られていなかった史料が複数紹介され、 大幅な進展があった。
Ⅵ 倭寇と日麗交渉
1366年に高麗が倭寇の禁圧を求めて日本に送った外交文書3通(醍醐寺報恩院文書)とその
関係史料について、2007年以降あいついで論文が発表された
高麗末の倭寇の実体をどう考えるかは、学界で意見が分かれている。
高麗末の倭寇の実体をどう考えるかは、学界で意見が分かれている。
1987年に倭寇の主体を
高麗・朝鮮人とする田中健夫・高橋公明の説が登場して以来、韓国ではこれへの反発が強く、
とくに李領が精力的に論陣を張っている(後述)
浜中は、田中・高橋説の根拠となっている1446年の李順蒙上書の「倭人不過一二」
という文言は信が置けない、また経営破綻した農民や禾尺・才人という賤民が倭寇と連合した
とする見方には根拠がないとし、倭寇の本質を境界性に求める村井章介の議論に対しても、倭
寇に協力した高麗人や朝鮮出自の倭人がいたところで、倭寇の本質とは無関係だと退ける。[村
井章介1997]も浜中同様李順蒙上書や禾尺・才人=倭寇説を批判するが、他方で、境界空間に
対する高麗国家の掌握は徹底しておらず、そこを生活の基盤とする辺民・賤民と倭人の交じり
あいを排除しきれてはいない、と主張する。[藤田明良1997]は、明初に浙江の舟山群島で起
きた「蘭秀山の乱」に関する興味ぶかい朝鮮史料、『吏文』所収洪武3年10月9日明中書省咨
を紹介した。そこには、乱の主謀者の一人林宝一が済州島を経て高麗全羅道の沿岸・島嶼部に
逃れ、「洪万戸」「高伯一」などの住民らと交じりあっているようすが記されている。この海域
にはむろん倭人も出没していた。国家支配の届きにくい境界空間の流動性・多民族性を、ビ
ビッドに見ることができる。[藤田明良1998]は、宋にもっとも近い黒山島に対する朝鮮歴代
王朝の支配の試みをとりあげる。
浜中説は倭寇は日本人だとするのみで、その社会的実体について積極的な提示がない。この
点に踏みこんだのが李領である。
おわりに
おわりに
付表:1992~2016年の日麗関係史研究(編著者名の50音順)
荒木和憲「文永七年二月付大宰府守護所牒の復元―日本・高麗外交文書論の一齣」(『年報太宰
府学』2、2008)
石井正敏「日本・高麗関係に関する一考察―長徳3年(997)の高麗来襲説をめぐって」(中央
大学人文科学研究所編『アジア史における法と国家』中央大学出版部、2000)➡『石井正
敏著作集3高麗・宋元と日本』(勉誠出版、2017)
石井正敏「『小右記』所載「内蔵石女等申文」にみえる高麗の兵船について」(『朝鮮学報』
198、2007a)➡同上
石井正敏「藤原定家書写『長秋記』紙背文書「高麗渤海関係某書状」について」(『(中央大学)
人文研紀要』61、2007b)➡『石井正敏著作集1古代の日本列島と東アジア』(勉誠出版、
2017)
石井正敏「『異国牒状記』の基礎的研究」(『中央大学文学部紀要』史学54、2009)➡『石井正
敏著作集3高麗宋元と日本』(勉誠出版、2017)
石井正敏「高麗との交流」(荒野泰典・石井正敏・村井章介編『日本の対外関係3通交・通商
圏の拡大』吉川弘文館、2010a)➡同上
石井正敏「貞治六年の高麗使と高麗牒状について」(『中央大学文学部紀要』史学55、2010b)
➡同上
石井正敏「文永八年の三別抄牒状について」(『中央大学文学部紀要』史学56、2011)➡同上
石井正敏「至元三年・同十二年の日本国王宛クビライ国書について」(『中央大学文学部紀要』
史学59、2014)➡同上
植松正「モンゴル国国書の周辺」(『(京都女子大学史学会)史窗』64、2007)
植松正「第二次日本遠征後の元・麗・日関係外交文書について」(『東方学報』京都90、2015)
榎本渉「入宋・日元交通における高麗―仏教史料を素材として」(科研報告書『中世港湾都市
遺跡の立地・環境に関する日韓比較研究』東京大学大学院人文社会系研究科、2008)
岡本真「外交文書よりみた14世紀後期高麗の対日本交渉」(佐藤信・藤田覚編『前近代の日本
列島と朝鮮半島』山川出版社、2007)
太田彌一郎「石刻史料「賛皇復県記」にみえる南宋密使瓊林について―元使趙良弼との邂逅」
(『東北大学東洋史論集』6、1995)
上川通夫「中世仏教と「日本国」」(『日本史研究』463、2001)➡同『日本中世仏教形成史論』(校
倉書房、2007)
川崎保「『吾妻鏡』異国船寺泊漂着記事の考古学的考察」(『信濃』54-9、2002)
川添昭二「中世における日本と東アジア」(『福岡大学総合研究所報』147・156、1992・1994)
➡同『対外関係の史的展開』(文献出版、1996)
桑野栄治『李成桂』(山川出版社 世界史リブレット人、2015)
高銀美「大宰府守護所と外交」(『古文書研究』73、2012)
小峯和明『院政期文学論』(笠間書院、2006):「『対馬貢銀記』の世界―異文化交流と地政学」
近藤剛「嘉禄・安貞期(高麗高宗代)の日本・高麗交渉について」(『朝鮮学報』207、2008)
近藤剛「泰和6年(元久3・1206)の対馬島宛高麗牒状にみえる「廉察使」について」(『中央
史学』32、2009)
近藤剛「『平戸記』所載「泰和六年二月付高麗国金州防禦使牒状」について」(『古文書研究』
70、2010)
近藤剛「高麗における対日本外交条件の処理過程について」(中央大学人文科学研究所編『情
報の歴史学』中央大学出版部、2011a)
近藤剛「『朝野群載』所収高麗国礼賓省牒状について―その署名を中心に」(『中央史学』34、
2011b)
近藤剛「12世紀前後における対馬島と日本・高麗―『大槐秘抄』にみえる「制」について」(中
央大学人文科学研究所編『島と港の歴史学』中央大学出版部、2015)
佐伯弘次「14-15世紀東アジアの海域世界と日韓関係」(『第二期日韓共同研究報告書』第二分
科会篇、2011)
佐伯弘次「蒙古襲来以後の日本の対高麗関係」(『史淵』153、2016)
篠崎敦史「刀伊の襲来からみた日本と高麗との関係」(『日本歴史』789、2013)
篠崎敦史「高麗王文宗の「医師要請事件」と日本」(『ヒストリア』248、2015)
末木文美士「高山寺所蔵高麗版続蔵写本に見る遼代仏教」(『平成25年度高山寺典籍文書綜合調
査団研究報告論集』2014)
関周一「鎌倉時代の外交と朝幕関係」(阿部猛編『中世政治史の研究』日本史史料研究会論文
集 1、日本史史料研究会企画部、2010)
関周一「高麗王朝末期・朝鮮王朝初期の対日使節」(『年報朝鮮学』18、2015)
孫承詰「14-15世紀東アジア海域世界と韓日関係―倭寇の構成問題を含む」(『第二期日韓共同
研究報告書』第二分科会篇、2011)
高橋公明「外交文書を異国牒状と呼ぶこと」(『文学』6-6、2005)
高橋昌明「東アジアの武人政権」(歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座3中世の形成』
東京大学出版会、2004)➡同『東アジア武人政権の比較史的研究』(校倉書房、2016)
高橋昌明「比較武人政権論」(荒野泰典・石井正敏・村井章介編『日本の対外関係3通交・通
商圏の拡大』吉川弘文館、2010)➡同上
田島公「冷泉家旧蔵本『長秋記』紙背文書に見える「高麗」・「渤海」・「東丹国」」(上横手雅敬
編『中世公武権力の構造と展開』吉川弘文館、2001)
田村洋幸「高麗における倭寇濫觴期以前の日麗通交」(『(京都産業大学経済経営学会)経済経
営論叢』28-2、1993)
張東翼「1269年「大蒙古国」中書省牒と日本側の対応」(『史学雑誌』114-8、2005)➡同『モ
ンゴル帝国期の北東アジア』(汲古書院、2016)
張東翼「1366年高麗国征東行中書省の咨文についての検討」(『(関西大学アジア文化交流セン
ター)アジア文化交流研究』2、2007)➡同上
張東翼『モンゴル帝国期の北東アジア』(汲古書院、2016):「a 金方慶の生涯と行蹟」「b モン
ゴルに投降した洪福源および茶丘の父子」「c 14世紀の高麗と日本の接触と交流」
南基鶴「蒙古襲来以後の日本と東アジア」(同『蒙古襲来と鎌倉幕府』臨川書店、1996)
南基鶴「蒙古襲来と高麗の日本認識」(大山喬平教授退官記念会編『日本国家の史的特質』思
文閣出版、1997)
南基鶴(村井章介訳)「高麗と日本の相互認識」(科研報告書『グローバリゼーションの歴史的
前提に関する学際的研究』2003、立教大学文学部)
馬場久幸『日韓交流と高麗版大蔵経』(法蔵館、2016)
浜中昇「高麗末期倭寇集団の民族構成」(『歴史学研究』685、1996)
原美和子「宋代東アジアにおける海商の仲間関係と情報網」(『歴史評論』592、1999)
原美和子「勝尾寺縁起に見える宋海商について」(『学習院史学』40、2002)
原美和子「宋代海商の活動に関する一試論」(小野正敏ら編『考古学と中世史研究3 中世の
対外交流』高志書院、2006)
藤田明良「「蘭秀山の乱」と東アジアの海域世界―14世紀の舟山群島と高麗・日本」(『歴史学
研究』698、1997)
藤田明良「9世紀~16世紀の黒山島と朝鮮国家―東アジア国家の島嶼支配に関する覚書」(『新
しい歴史学のために』230・231、1998)
藤田明良「東アジア世界のなかの太平記」(市沢哲編『太平記を読む』吉川弘文館、2008)
保立道久「院政期の国際関係と東アジア仏教史―上川通夫・横内裕人氏の仕事にふれて」(同
著『歴史学をみつめ直す―封建制概念の放棄』校倉書房、2004)
溝川晃司「日麗関係の変質過程―関係悪化の経緯とその要因」(『国際日本学』1、2003)
村井章介「1019年の女真海賊と高麗・日本」(『朝鮮文化研究』3、1996)➡同『日本中世の異
文化接触』(東京大学出版会、2013)
村井章介「倭寇の多民族性をめぐって―国家と地域の視点から」(大隅和雄・村井章介編『中
世後期における東アジアの国際関係』山川出版社、1997)➡同『日本中世境界史論』(岩
波書店、2013)
村井章介「大智は新安沈船の乗客か」(『日本歴史』694、2006)➡同『日本中世の異文化接触』
(東京大学出版会、2013)
村井章介「倭寇とはだれか―14~15世紀の朝鮮半島を中心に」(『東方学』119、2011)➡同『日
本中世境界史論』(岩波書店、2013)
森公章「古代日麗関係の形成と展開」(『海南史学』46、2008)➡同『成尋と参天台五臺山記の
研究』(吉川弘文館、2013)
森平雅彦「牒と咨のあいだ―高麗王と元中書省の往復文書」(『史淵』144、2007)➡同『モン
ゴル覇権下の高麗―帝国秩序と王国の対応』(名古屋大学出版会、2013)
森平雅彦「日麗貿易」(大庭康時等編『中世都市・博多を掘る』(海鳥社、2008)
森平雅彦『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』(山川出版社 世界史リブレット、2011)
森平雅彦「高麗・朝鮮時代における対日拠点の変遷」(『東洋文化研究所紀要』164、2014)
森平雅彦「モンゴルの日本侵攻と高麗における軍需調達問題」(『年報朝鮮学』18、2015)
山本光朗「元使趙良弼について」(『史流』40、2001)
横内裕人「高麗続蔵経と中世日本―院政期の東アジア世界観」(『仏教史学研究』45-1、2002)
➡同『日本中世の仏教と東アジア』塙書房、2008)
横内裕人「遼・高麗と日本仏教―研究史をめぐって」(『東アジアの古代文化』136、2008)
李鍾黙(桑嶋里枝訳)「朝鮮前期韓日文士の文学交流の様相について」(『朝鮮学報』182、2002)
李領「中世前期の日本と高麗―進奉関係を中心として」(『(東京大学地域文化研究会)地域文
化研究』8、1995)➡同『倭寇と日麗関係史』(東京大学出版会、1999)第二章
李領『倭寇と日麗関係史』東京大学出版会、1999):「a 院政期の日本・高麗交流に関する一考察」
「b「元寇」と日本・高麗関係」「c <庚寅年以降の倭寇>と内乱期の日本社会」「d 高麗末
期倭寇の実像と展開―『高麗史』の再検討による既往説批判」
李領「「庚申年の倭寇」の歴史地理学的検討―鎮浦口戦闘を中心として」(『シリーズ港町の世
界史1港町と海域世界』青木書店、2005)
李領「14世紀における東アジアの国際情勢と倭寇―恭愍王15年(1366)禁倭使節の派遣をめ
ぐって」(科研報告書『中世港湾都市遺跡の立地・環境に関する日韓比較研究』2008a)
李領「<庚寅年以降の倭寇>と松浦党―禑王3年(1377)の倭寇を中心に」(同上、2008b)
渡邊誠「平安貴族の対外意識と異国牒状問題」(『歴史学研究』823、2007)
渡邊誠「国際環境のなかの平安日本」(大津透編『摂関期の国家と社会』山川出版社、2016)
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