逆転の大中国史
ユーラシアの視点から
楊 海英
文芸春秋
2016年
p13
黄河文明がシナ中心地域(現在の河南省周辺)で起こったのは事実だが、考古学による研究が進むにつれ、その古代文明と現在の「中国人」とでは、文化的にも人種的にも断絶している事実が明らかになっている(この点については、詳しくは第一章参照)
p29
日本とヨーロッパで分権的な封建性が生じたのに対し、シナでは皇帝による一元的な権力の在り方が正統とみなされてきた
p30
海洋文明への脱皮を図る中国
p115
モンゴル人は匈奴を「フンヌー」と呼ぶ。モンゴル語でフンとは人間の意味であり、その複数形がフンヌーである
p124
両者の類似性は、東はモンゴル高原から西は黒海沿岸まで、ひとしく均質的に、短剣と言った武器類、馬車と馬具類にも見られる
p125
スキタイの遺物を現在最も多く収蔵しているのはロシアのエミルタージュ美術館である
p127
紀元前450年から紀元前423までのパジルク二号古墳
興味深いのは、モンゴロイド(黄色人種)もコーカソイド(白色人種)も区別なく出土することだ
p136
今日の考古学の世界では、匈奴・フン同源・同族説が主流となりつつある
p146
道教の八百万神には観音菩薩もいる(写真25)
p149
法輪功と道教の類似性
道教の精神は現代中国にも染み付いている
福禄寿は不老不死の象徴だ
p150
「毛沢東の私生活」【毛沢東の主治医の著作】
毛沢東は少女と性行為をすれば不老不死になるという道教の教えを固く信じ、かつそれを実践した。
p158
現在中央アジアには多くのテュルク系の人々からなる国家郡がある。カザフスタンとキルギスタン。ウズベキスタンととトルクメニスタン、アゼルバイジャン、それからトルコ共和国だ。彼らは皆テュルク系の言語を話すが、近代的な国家を持たないのはウイグルだけである
p163
552年
モンゴル高原の覇者であったモンゴル系の柔然を倒し、テュルク(突厥)帝国を作り上げている
p186
胡桃、胡瓜、胡麻、胡椒、これらはすべて西アジアの粛仏・食物であり、ゾクト人など西方から訪れた人々が伝えたものだ。胡坐も西から伝わった
p242
1970年代
【文革の影響で】20歳前後の大学受験生は無学の世代なので、筆記試験を受けても問題が解けない。私は当時中学生でその試験監督の手伝いをしたのでよく覚えている
今の習近平主席と同じ世代の人たちである
p251
パクパ文字とは、チベット文字の一種の表音文字で、のちに高麗王国にもこのパクパ文字が伝わる
p268
チャイナドレスの事を中国では「旗(漢字でない)」チーパオという。「旗人のドレス」という意味だ。チャイナドレスは漢人の民族衣装ではなく、満州の女性が来ていたドレスなのである
p273
「漢民族」が支配した時期には、宗教弾圧や他民族の暴動が絶えなかったことである。シナ人が治めた王朝のほとんどが、信仰の自由を認めようとしなかった
p273
民衆の反乱によって王朝が滅んできた。多くの場合、その引きがねとなったのは、宗教への弾圧である
黄巾の乱
p276
道教は中国の土着的な信仰の集大成と言った感がある。その最大の特徴は。圧倒的な現世への執着である。他の宗教の多くが、死をも問題にし、死後の世界で救いを求めるのに対し、中国人が求めるのは、お金や出世といった生きているうちに得られる現世利益である
p288
宋の時代には世界の三大発明と言われる火薬と羅針盤、活版印刷が発明された。
この小さな規模で、シナ人のみの「民族国家」を作ることが「漢民族」には最も適していると断じていい
p293
【中国の信者数】キリスト教徒の数は1億3千万~1億5千万と言われ、将来世界最大のキリスト教国になるという見方まで出ている。イスラム教徒は1200万を超えている
p294
漢人は何故宗教を恐れるのか?
道教の世界観は、「天帝思想」と呼ばれ、頂点に天上界をおさめる天帝がいて、天帝に命じられた皇帝が現世をおさめるという構造となっている。
宗教団体が多くの信者を集めるということは、彼らの思想では、反体制勢力が革命の準備をおこなっているようなものである
p297
中国では政権が不安定になると、地下に隠れていた宗教団体が反乱とおいう形で姿を現す
ユーラシアの視点から
楊 海英
文芸春秋
2016年
太平天国、黄巾の乱等著者のいうとおり
p13
黄河文明がシナ中心地域(現在の河南省周辺)で起こったのは事実だが、考古学による研究が進むにつれ、その古代文明と現在の「中国人」とでは、文化的にも人種的にも断絶している事実が明らかになっている(この点については、詳しくは第一章参照)
p29
日本とヨーロッパで分権的な封建性が生じたのに対し、シナでは皇帝による一元的な権力の在り方が正統とみなされてきた
p30
海洋文明への脱皮を図る中国
p115
モンゴル人は匈奴を「フンヌー」と呼ぶ。モンゴル語でフンとは人間の意味であり、その複数形がフンヌーである
p124
両者の類似性は、東はモンゴル高原から西は黒海沿岸まで、ひとしく均質的に、短剣と言った武器類、馬車と馬具類にも見られる
p125
スキタイの遺物を現在最も多く収蔵しているのはロシアのエミルタージュ美術館である
p127
紀元前450年から紀元前423までのパジルク二号古墳
興味深いのは、モンゴロイド(黄色人種)もコーカソイド(白色人種)も区別なく出土することだ
p136
今日の考古学の世界では、匈奴・フン同源・同族説が主流となりつつある
p146
道教の八百万神には観音菩薩もいる(写真25)
p149
法輪功と道教の類似性
道教の精神は現代中国にも染み付いている
福禄寿は不老不死の象徴だ
p150
「毛沢東の私生活」【毛沢東の主治医の著作】
毛沢東は少女と性行為をすれば不老不死になるという道教の教えを固く信じ、かつそれを実践した。
p158
現在中央アジアには多くのテュルク系の人々からなる国家郡がある。カザフスタンとキルギスタン。ウズベキスタンととトルクメニスタン、アゼルバイジャン、それからトルコ共和国だ。彼らは皆テュルク系の言語を話すが、近代的な国家を持たないのはウイグルだけである
p163
552年
モンゴル高原の覇者であったモンゴル系の柔然を倒し、テュルク(突厥)帝国を作り上げている
p186
胡桃、胡瓜、胡麻、胡椒、これらはすべて西アジアの粛仏・食物であり、ゾクト人など西方から訪れた人々が伝えたものだ。胡坐も西から伝わった
p242
1970年代
【文革の影響で】20歳前後の大学受験生は無学の世代なので、筆記試験を受けても問題が解けない。私は当時中学生でその試験監督の手伝いをしたのでよく覚えている
今の習近平主席と同じ世代の人たちである
p251
パクパ文字とは、チベット文字の一種の表音文字で、のちに高麗王国にもこのパクパ文字が伝わる
p268
チャイナドレスの事を中国では「旗(漢字でない)」チーパオという。「旗人のドレス」という意味だ。チャイナドレスは漢人の民族衣装ではなく、満州の女性が来ていたドレスなのである
p273
「漢民族」が支配した時期には、宗教弾圧や他民族の暴動が絶えなかったことである。シナ人が治めた王朝のほとんどが、信仰の自由を認めようとしなかった
p273
民衆の反乱によって王朝が滅んできた。多くの場合、その引きがねとなったのは、宗教への弾圧である
黄巾の乱
p276
道教は中国の土着的な信仰の集大成と言った感がある。その最大の特徴は。圧倒的な現世への執着である。他の宗教の多くが、死をも問題にし、死後の世界で救いを求めるのに対し、中国人が求めるのは、お金や出世といった生きているうちに得られる現世利益である
p288
宋の時代には世界の三大発明と言われる火薬と羅針盤、活版印刷が発明された。
この小さな規模で、シナ人のみの「民族国家」を作ることが「漢民族」には最も適していると断じていい
p293
【中国の信者数】キリスト教徒の数は1億3千万~1億5千万と言われ、将来世界最大のキリスト教国になるという見方まで出ている。イスラム教徒は1200万を超えている
p294
漢人は何故宗教を恐れるのか?
道教の世界観は、「天帝思想」と呼ばれ、頂点に天上界をおさめる天帝がいて、天帝に命じられた皇帝が現世をおさめるという構造となっている。
宗教団体が多くの信者を集めるということは、彼らの思想では、反体制勢力が革命の準備をおこなっているようなものである
p297
中国では政権が不安定になると、地下に隠れていた宗教団体が反乱とおいう形で姿を現す
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