黒人と白人の世界史
「人種はいかに作られてきたか」
オレリア・ミシェル
児玉しおり 訳
明石書店
2021年

「奴隷制社会は、原則として奴隷に再生産の手段を与えない。」としている。

しかし、李氏朝鮮における奴婢は相続と売買の対象であり奴隷であったことに疑問の余地などない。そして、李氏朝鮮では奴隷は、母が奴隷であればその子は奴隷=奴婢であるという方式で再生産され続けていた。

李氏朝鮮は、奴隷制社会という意味では、人類史上稀に見る特異な社会であったと言える


p21
近代的意味での「race(人種)」は、奴隷制が消滅していく18世紀末から19世紀末という長い時間の流れの中で出現したという点だ

p31
ギリシャでは
【BC8世紀~BC4世紀】住民の半数近くが奴隷だった

p32
インドでは1860年にイギリスが禁止するまで、900万~1000万の奴隷がいた

p40
奴隷制社会は、原則として奴隷に再生産の手段を与えない。恒常的に奴隷労働に頼る社会、例えば古代ギリシャにおいては、奴隷の生物学的再生産によってではなく、外部からの調達によって労働力を更新する

p47
奴隷制はイスラム以前のアラブ部族の社会体制、経済体制に完全に溶け込んでいた。

p48
ところがイスラム教は、ユダヤ教、キリスト教にもあるように新たな禁止事項を加えた。つまり、ムスリムを奴隷にしてはならないということだ

p92
【ポルトガルによる現在のブラジルへの進出に触れた後】
資源は豊富にあっても、労働力は豊富ではない。アフリカ人奴隷市場はこの方程式を解いてくれるのだ

p122
「奴隷生産」から始まる。そのプロセスは、18世紀以降はほぼアフリカ人のみで行われた。カリブ海のほとんどのプランテーションでは、奴隷人口のうちクレオール、つまり、アメリカ生まれは、最初の農園ができてから50年後ですら6分の1に過ぎなかった。
彼らは戦争捕虜か奴隷狩りの犠牲者だった

p124
いったん拉致されると奴隷たちは内陸から奴隷貿易の商館に連れていかれる。
奴隷商人は商売を行い、奴隷を積んでいくが、多くの場合には地元の王国の支援と監督のもとになされる
18世紀末には一つの船に600人が乗れるようになった

p130
奴隷購入の為の投資が必要だった。実際、購入価格は2年以下で償却され、カリブ海地域のプランテーションにおける奴隷の収益可能期間は10年を超えることはなく、平均は7年前後だった

p181
ナポレオンは1794年の奴隷制廃止を直ちに見直し、1803年に奴隷制を復活させた

p189
1800年アメリカ合衆国では、1808年に適用予定の奴隷貿易廃止法が議会で可決されたが、プランテーションの奴隷視用については問われなかった

p232
1848年
5月にはフランスの植民地で、ついに奴隷制廃止令が適用された

p236
1870年の議会では、「人種、肌の色、過去の隷属状態」の区別なく、あらゆる市民に選挙権を認める合衆国憲法の修正第15条が可決された。しかし、
奴隷擁護州は、人種主義的制限を持つ法律を州議会で成立させた。この法律は、例えば公立学校での人種隔離の導入や白人と有色人種の間の結婚を禁止するものだ