アジア人物史 7 16~18世紀
近世の帝国の繁栄とヨーロッパ
22022年
集英社

①亀の旧字体は龜である。朝鮮王朝実録で、龜の一語検索での結果は次のとおりでたったの5箇所
②亀甲の2字検索では、検索結果では、16世紀ではヒットしなかった。
③龜船でヒットするのは朝鮮王朝実録のみであり、中国史では全くヒットせず

1592年=秀吉の文禄の役、1597年=秀吉の慶長の役

次のとおり、5箇所しか記述はない。むしろ、圧倒的に記述が多いのは「亀城」である

①
朝鮮王朝實錄 / 宣祖實錄 / 二十五年(1592) 卷二十六至三十三 / 卷二十七 六月 / 21日

我軍令龜船突進,先放大小銃筒,盡燒其船,餘賊遠望頓足叫呼。方戰鐵丸中舜臣左肩。初二日到唐浦,賊船二十艘,列泊江岸,中有一大船,上設層樓,外垂紅羅帳,賊酋着金冠錦衣,手執金扇,指揮諸賊。

わが軍は亀船に突進を命じ、大小の銃筒を先に放ち、(敵の)船を焼き尽くした、残りの敵は遠くから見ていて、地団駄踏んで叫んだ。李舜臣の左肩に(火縄銃の)鉄砲の玉が当たった。
(以下省略する)

②
史/編年/朝鮮王朝實錄/宣祖實錄/二十六年(1593) 卷三十四至四十六/卷三十九 六月/29日(P.42-1) 

令其速調全羅等道水兵 龜船,遶出海面。倭如帖然守法,不敢生事。職卽聽其颺去,蓋恩自我始,不至深追,而全大義。否則令朝鮮水兵,邀截於前,我率大兵,尾進于後,待其困極,機有所乘,背腹夾擊,一大創之。


③
朝鮮王朝實錄 / 宣祖實錄 / 二十八年(1595) 卷五十九至七十 / 卷六十八 十月 / 27日

’今者亦當乘此冬月,汲汲修整船隻、器械,厚集水軍之勢,
 龜船不足,則晝夜加造,多載大砲、佛狼機、火箭器具,以爲遮截海道之計,此乃最爲救急之良策也。常時慶尙道船材所産處,只有巨濟玉浦、知世浦等處,賊兵經年入處島內,未知船材尙有餘存與否。此事密通於都體察使、統制使,勿露軍機,留意措置,以備緩急可也。至於陸地防禦,則前所陳據險一事外,他無善策。倭賊善於置陣,必爲於路邊要衝,左右控制,通望無礙之處。

記述の年月が正しいのであれば、李氏朝鮮は何らかの方法で秀吉が再侵攻してくる情報をつかみ、夜に日をついで、亀船の製造を行っていたようである。対馬の宗氏が、李氏朝鮮に内通していた可能性が高い

④
朝鮮王朝實錄 / 宣祖實錄 / 二十九年(1596) 卷七十一至八十三 / 卷八十二 十一月 / 7日

“李元翼今欲下去南方,某條召集人民,以實閑山島、長門浦。若失守巨濟,則無復可爲矣。”上曰:“
龜 船之制若何?”以恭曰:“四面飾以板屋,狀若 龜 

朝鮮王朝實錄 / 宣祖實錄 / 三十年(1597) 卷八十四至九十五 / 卷八十五 二月 / 7日

如慶尙左道舟師,甚爲孤弱,令上道沿海各官,戰船所作,格軍充定,黃海道亦可令善手,大作板屋,龜船等制,急速措置事,議啓。

⑤
朝鮮王朝實錄 / 宣祖實錄 / 三十年(1597) 卷八十四至九十五 / 卷八十五 二月 / 7日

如慶尙左道舟師,甚爲孤弱,令上道沿海各官,戰船所作,格軍充定,黃海道亦可令善手,大作板屋,
龜船等制,急速措置事,議啓。


亀船とは、1596年に記述されているように

四面飾以板屋,狀若
 龜
(船の上部の前後左右の)四面を板屋をもって飾る、その状態は亀に似ている

*単に船の上部4面を板で覆ったものに過ぎない。当時の朝鮮半島には火縄銃(朝鮮では鳥銃と呼ばれていた)がなかったので、海戦での火縄銃による攻撃を防止するためであろう。

*同じ表現として亀城があり、朝鮮人どもが単に明実録を模倣に過ぎないにもかかわらず愚かな自慢をしたがる李氏朝鮮の公式記録である朝鮮王朝実録での検索結果では、圧倒的に亀城の方が多く検出される

*少なくとも、朝鮮王朝実録では亀甲船ではなく、亀船であるのは100%確実である。

*念のため、甲船で検索したが、16世紀の記述では全くヒットしなかった

*亀甲でも同様であり、16世紀の記述では全くヒットしなかった。

*勇気を引き起こして、執筆者の方に問合せして見た。内容を下記にメモ

https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm

中国正史の検索サイトであるが、朝鮮王朝実録も含まれる

https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mql/login.html

明実録、清実録、朝鮮王朝実録の3つを一緒に検索可能

【送付内容の一部】 

   亀甲船では朝鮮王朝実録では検索ヒットしませんので、亀若しくはその旧字体で検索しますと、5つの箇所で、亀船 で検索ヒットします。

どの箇所かにつきましては、下記URLにメモしております

http://existenzkazuo.livedoor.blog/archives/23586816.html

 

    従って、朝鮮王朝実録から見る限り、亀船 が正しい表現のように思えます。同様の表現として、亀城があり、多数検索ヒットします。

  
亀甲船とする一次資料名を教えていた開けないでしょうか。お忙しいところ、誠に恐縮ですがお願い申し上げます。

しかし、調べた著者のメールアドレスでは、配信されなかった


【メモした箇所の執筆者は 辻 大和横浜国立大学 大学院都市イノベーション研究院 都市イノベーション部門 准教授】
p418
朝鮮王朝は窮地に陥ったが、李舜臣の率いる朝鮮水軍や、各地の義兵、援軍に駆け付けた明軍などの働きもあり、朝鮮はなんとか日本軍を押し戻すことになった。
【これでは、朝鮮王朝があたかも自力で日本軍を押し戻したようなニュアンスに感じられる】

p421
李舜臣は1567年に武科に及第し、武官としてのキャリアをスタートさせた
【中国明朝の完全なコピー国家である李氏朝鮮での武官の地位は極めて低かったはずである】

p424
亀甲船は大砲をのせ、船の上を板で張った重武装船であり、まるで亀の甲の様であるとして亀甲船と呼ばれたのであった。亀甲船は前方に竜頭があり、そこから大砲を放った。船上の板には錐が露出し、敵が登れないようになっていた

2023-7-4