人口の中国史
先史時代から19世紀まで
上田 信

日本では類書の類は恐らくはゼロであろう、貴重な1冊である。数値に?と感じられる箇所もあるが、中国正史の紀伝体で書かれた内容が紹介されることが多いかつての中国史の記述と異なり、中国の過去の実情がわかる。人口推計は、戸数と併記されているが、地域ごとの差が激しい


p35
焦培民は
周代の総人口を540万と計算する

p41
各国の兵力の概数から戦国時代の総人口3030万人という数字を中国の人口史家が算出している

p45
始皇帝が死去する直前の秦朝の人口は戦国時代の推定人口を下回り、2000万~3000万の間と中国の研究者は推定している

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p49
漢書地理誌は
紀元後2年の漢帝国の戸数と人口とを当時の郡ごとに記載している

p51
豪族たちは奴婢を庇護する代わりに農地や山林で働かせた。奴婢は戸籍から抜け落ち人口統計には反映されていない

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p62
【下の表について】
後漢末の黄巾の乱、その後の三国時代の戦乱の中で多くの人命が失われたとはいえ、これほどの人口が減少したとは考えられない

晋朝の戸数調査の対象となったのは屯田制を改変して土地を配分した一部の人民に過ぎなかっった

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p67
中国人口史家は戸数しかわからない時には常に1戸5人として計算する
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p93
元史には
1290年の戸口として、戸数1300万強、口数5900万弱と記録されている
南宋と金朝の人口を合算して推定した約1億という1210年の人口から80年間で半減したことになる
p98
元朝の把握した戸数には、元朝の支配層、軍戸・匠戸に編成された人民
宗教関係者などの世帯は含まれない
1290年の戸数は記録に残る1300万戸を上待ると考えられる

p99
金朝の版図に属していた吉林・遼寧及び華北の河北などで戸数が激減していることが分かる

p101
全体的に見ると、1210年には1億を超えていた人口はモンゴル帝国下で6000万人程度に減少したとみられる

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