物語 江南の歴史
もう一つの中国史
岡本隆司
中公新書
2023年
p25
清朝の支配が確立していった。それでも騒乱は終わらない
傷跡の最も深かったのが四川である。1630年代からおよそ半世紀で、四川省全省で700万人近くの犠牲者を出し、50万程の住民しかいなくなった。そんな数字を挙げる学説もある
人口の95%近くが失われたことになる。学説ではなく、恐らくは事実であろう
p26
いきさつはどうあれ、四川は17世紀の危機を経て、人煙の絶えた荒野が広がる結果となった。
以後1世紀の長きにわたって、膨大な移民を吞みこんでいく。
p27
p34
呉越同舟時代の江南の風俗について、
「被髪」「文身」「左衽」(さじん)という習俗があった。いずれも住民の身なりで、髪を結わずザンバラにし、体に入れ墨をし、襟を左前で合わせる、と特筆するのは、やはり中原人には奇態な習俗だからである
史記によれば次の記述がある
史/正史/史記/世家 凡三十卷/卷四十三 趙世家第十三(P.1779)..[底本:金陵書局本]
王遂往之公子成家,因自請之,曰:「夫服者,所以便用也;禮者,所以便事也。聖人觀鄉而順宜,因事而制禮,所以利其民而厚其國也。夫翦髮文身,錯臂 左衽 ,甌越之民也。黑齒雕題,卻冠秫絀,大吳之國也。
p96
もう一つの中国史
岡本隆司
中公新書
2023年
17世紀において、四川省で人口の激減があったことを初めて知った。
貴州省は現在でも少数民族居住地であるが、恐らくは、四川省も漢民族ではない少数民族が多数居住していたと思われる。
清朝は、村松和也氏の苗族民話集の解説によれば、苗族等の貴州省少数民族に対しては事実上の絶滅政策をとっていたはずであり、四川省についても同様であったのかもしれない。康熙帝、雍正帝、乾隆帝 時代の清朝の異なる側面である。
現在のウイグルに対しても同様の絶滅政策がとられていると考えてよい。
貴州省は現在でも少数民族居住地であるが、恐らくは、四川省も漢民族ではない少数民族が多数居住していたと思われる。
清朝は、村松和也氏の苗族民話集の解説によれば、苗族等の貴州省少数民族に対しては事実上の絶滅政策をとっていたはずであり、四川省についても同様であったのかもしれない。康熙帝、雍正帝、乾隆帝 時代の清朝の異なる側面である。
現在のウイグルに対しても同様の絶滅政策がとられていると考えてよい。
p25
清朝の支配が確立していった。それでも騒乱は終わらない
傷跡の最も深かったのが四川である。1630年代からおよそ半世紀で、四川省全省で700万人近くの犠牲者を出し、50万程の住民しかいなくなった。そんな数字を挙げる学説もある
人口の95%近くが失われたことになる。学説ではなく、恐らくは事実であろう
p26
いきさつはどうあれ、四川は17世紀の危機を経て、人煙の絶えた荒野が広がる結果となった。
以後1世紀の長きにわたって、膨大な移民を吞みこんでいく。
p27
p34
呉越同舟時代の江南の風俗について、
「被髪」「文身」「左衽」(さじん)という習俗があった。いずれも住民の身なりで、髪を結わずザンバラにし、体に入れ墨をし、襟を左前で合わせる、と特筆するのは、やはり中原人には奇態な習俗だからである
史記によれば次の記述がある
史/正史/史記/世家 凡三十卷/卷四十三 趙世家第十三(P.1779)..[底本:金陵書局本]
王遂往之公子成家,因自請之,曰:「夫服者,所以便用也;禮者,所以便事也。聖人觀鄉而順宜,因事而制禮,所以利其民而厚其國也。夫翦髮文身,錯臂 左衽 ,甌越之民也。黑齒雕題,卻冠秫絀,大吳之國也。
p96