疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元
杉山正明 京大教授

契丹に関して最も詳しく書いている。しかし、高麗に関する記述は甘すぎる。中国の正史である元史を無視して、この頃には明らかに精神的には正常ではない集団になってしまっていた李朝朝鮮時代に50年もかけて、くだらん内紛=議論を経て編纂された高麗史の記述をそのまま採用している。

高麗史は明らかに史料批判に全く耐えるものではないのだ、素人の私でさえ知っていることすら知らない。武田幸男氏による高麗史の研究すら知らずに書いているようである。江南軍に関する記述は参考にはなった

p97
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姓の耶律、名の阿保機、どちらもキタイ語で何と発音したのか、正確に走りえない。キタイ語については、これまでかなりの数の内外の学者が挑戦してきたが、解読・解明に至っていない

p229
キタイの国号をどう表すのかという問題がある。キタイ国家は、時期によって「契丹国」「大契丹国」
「大遼国」の三種を称したと記録される
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p291
モンゴル高原全域の領有がなった。加えてこの方面に広がっていたキタイ族の大集団をも、吸収することができた。彼らはそのまま千人隊体制に編入され、千人隊の総数は129に増えた。後世、ここまでが、モンゴル国家の基幹部隊と見なされた。キタイ族は、モンゴルとなったのである

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p325
1,274年クビライ政権は遂に日本に向けて2万7千内外の高麗駐留モンゴル軍と高麗国の連合軍を発進させた。事実はどうも、両軍とも自分たちの敗北と考えたらしい
1,281年高麗国から発する東路軍4万、旧南宋領の江南軍10万という世界史上最大規模の船団が贈られた。

p326
南宋国をほとんど無傷のまま接収したクビライ政権にとって、その戦後処理のうち、頭を痛めた問題の一つは、40万以上にのぼる旧南宋の職業軍人たちであった。
江南軍10万はその最初のテストケースであった。しかし、彼らはこれといった武装をしていた形跡が見られない。携えていたのは、入植用の農機具と種籾であった。江南軍は移民船団に近かった。
戦闘部隊は東路軍であり、彼らが先着して戦ったのは当然である。人数も内容もだ一回目とほとんど変わりがない