悲韓論
黄 文雄

別ブログでも既に引用しているが再度メモしておく。日本で売られている朝鮮史の市販本は、在日の朝鮮半島史の美化運動家どもの影響が強すぎ、ほとんど問題外の場合が多い。

知っている範囲内では、韓国人どもの影響を受けていないまともな研究者は武田氏ぐらいしかおらず、武田氏は李朝が専門ではなく、高麗が専門だ。李朝朝鮮がいかに異様であったのかは、ビショップ夫人の朝鮮紀行・中国奥地紀行・日本奥地紀行の3つを読み比べれば一目瞭然であるが、日本の朝鮮史研究者は、無学の女性が書いたとして読まないのか?

p27
統一新羅の後、半島では三度にわたって創氏改名が行われており、(唐時代における中華風の単氏姓の賜姓、モンゴル帝国時代のモンゴル風姓への変更、日韓併合時代の日本風姓への変更)、
【モンゴル帝国時代のモンゴル風姓への変更は???である。確かにモンゴル侵攻後の歴代の高麗王はモンゴル名の諱をつけている。(武田氏の著作から)根拠となる一次資料・論文が示されていないのが残念、以下全て同じ】

p28
ハングルが普及するのは福沢諭吉とその弟子の井上角五郎の尽力によって漢字交じりにハングルの文章体系が確立してからだ。

p50
日本の河川に比べ、流水量は2倍、渇水期の流水量は10分の1か20分の一に過ぎない。水田の半分以上は天水に頼るので、江戸時代から日韓併合までの同時代において、日本では1反当たりの平均収穫量が米1石7,8斗だったのに対し、半島ではその半分以下しかなかった。
ウェブページ①ウェブページ②からみて日本に関する記述は概ね正しく、朝鮮人どもに関する記述も恐らく正しいが、天水田だけが原因ではなく、はげ山が多く土地の基礎的な生産力が李朝末期には低下していたことが大きな要因である】

p56
朝鮮半島は、京城(現在のソウル)や開城(高麗時代の王都)以外の地は、ほとんどが村や集落によって構成される集落国家であった
驚くべきことだが、日韓併合に至るまでは、物々交換の時代にとどまっていたのである

p64
この東洋の秘境ははげ山と墓だらけであり、そのために新渡戸稲造は朝鮮を「枯木国」と呼んでいた

p66
1918年から42年まで、造林本数は6億622万4000本に及んだ

p73
実際、大元帝国の統治下の高麗は、半島史上もっとも良き時代の一つとも数えられている。高麗人は競ってモンゴル姓を名乗り、服装などもモンゴル風に染まっていった

p89
総督府時代(1910年~45年)の民事訴訟の大半は、「山訟」といわれる墓をめぐるトラブルだった。

p95
地方差別もある。ことに三北地方の出身者は、完全に官界から排除された。
京城の人間は、三北地方の人間とは死んでも婚姻関係を結ばない。かつての北部朝鮮(今の北朝鮮)は、朝鮮内部の「被差別民」であった。

p101
韓国のウリナラ自慢の一つが。「世界のどこにでもチャイナタウン(中国人街)があるが、韓国だけにはない」というものだ

p107
「半島史はほとんど他律的なものであり自律的歴史ではない」という指摘を韓国人は一番嫌がる。

p146
フビライ・ハーン以来、約100年間にわたって大元皇帝だけではなく、顧門貴族や高官もしきりに高麗政府に貢女を要求した。
例えば「多爾哀徴女朝鮮史事」(李光寿 台湾・中央研究院歴史語言研究所)もよると、ドルゴンの要望は美女と処女を原則として、朝鮮国王の妹や王女、或いは王室、大臣の娘を要求した。勅使も2品以上の高官の娘が求められ侍女も原則として両班の娘が求められ、勅使があの女が欲しいと要求し、女が嫌だと拒否したら首をはねられた

明の永楽帝は勅使として内使の黄げんを朝鮮に送り直接貢女を選んでいる。慌ておののいた朝鮮朝廷は、全国に婚嫁を禁止し、各道から13から25歳の処女200~300人を集め、数回にわたって景福宮で選んでいる。この時政府高官の娘が選ばれたのは5名だけだった

p151
李朝末期の朝鮮事情は断末魔のように悲惨極まりない。ホーマー・ハルバートの「朝鮮亡滅」(岡田丈夫訳、太平出版社)、F・Aマッケンジーの「朝鮮の悲劇」、ダレの「朝鮮事情」、アーソン・グレブストの「悲劇の朝鮮」など各書に筆舌に尽くしがたい目撃談が残されている

p152
日帝36年が半島に及ぼした最大の功績は、奴隷制の解体であり、奴隷の解放であった
朝鮮の性奴隷は私財であり、複数の主人の間を渡り歩くのが風習であった。彼女たちが生んだ子供は主人の所有物とされ奴隷として転売される。ことに女子の場合は、性奴隷として売りやすい。李朝時代の性奴隷はただの賤民というよりも家畜であった
日帝による奴隷制の解体は革命とも言える



p173
世界最低の表音文字である
ハングルは表記法が極めて特殊で、朝鮮語しか表記できない。8音ある台湾語の発音を表記することはまず不可能だ。
ハングルの単独使用がもたらした混乱は、実に深刻で、死に至る病である

p182
伊藤博文もほれ込んだ不世出の逸材梁啓超の意見は次のとおりである。
「冗談を好む、感情の起伏激しくよく怒る、形式を好む、世辞好き、内紛と派閥抗争、厚顔無恥で陰険、安逸をむさぼる」
「空論を好み、終日政談にふけり、将来のことはほとんど考えない」

【梁啓超は中国人で「日本併吞朝鮮記」を書いている、キチガイどもに関する上のまとめはまさにドンピシャ。1999年に北京で中国語で梁啓超全集が出ている。】

p183
朝鮮近代文学の父、李 光洙の分析である
「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢順応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心」

【李 光洙は民族改造論を書いているが現在では入手できない。ただし、民族改造論の中で「李光洙が朝鮮の民族性に対して赤裸々な批判をした」ことは在日の者による「李光洙の改造論の意味の再考察」というくだらん論文で確認できた。上記の出所は、民族改造論であろう】


p184
尹泰林は「韓国人」の中で、以下の国民性を挙げている
「過度の感受性、感情優位の思考・行動様式、過度に密着、保守性が強い、権威主義的だから権威に対する劣等感などの意識を持っている、体面を重視し、形式主義に陥りやすい。功利的で現世中心の思考を持っている」