日本人になった祖先たち

篠田謙一

最新の研究結果に基づく極めて重要である著作である

p39
Y染色体ハプログループ
2002年に世界の学者が集まった共同研究機関(コンソーシアム)で最初の標準化がなされています。その時点で18の大分類とその下に153のハプログループが定められました
2018年の段階では20種類の大分類の下に数多くの系統が定義されました。実はミトコンドリアDNAのハプログループではこのような標準化話されておらず、ハプログループの名前の付け方は、研究者のよって恣意的に定められています。
     
p42
下戸の人もいれば
酒豪もいます
身体の中でALDH2酵素が正常に働くか否かい関わっているのです。ALDH2をコードしている遺伝子は、ヒトの12番染色体にあります。
私たちの中には正常型のALDH2をセットで持っている人、一つ持つ人、全く持たない人の3タイプあることになります

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p53
この図から現在世界に住んでいる人類集団が大きく4つのグループに分かれることが分かります

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p56
ミトコンドリアDNAの系統を遡って人類共通の祖先を探すと、20~15万年前のアフリカの一人の女性にたどり着くことになるのですが、
Y染色体の共通祖先はおよそ9万年(プラスマイナス2万年)ほど前に誕生したことが分かりました

p83
1万4000年程前に最後の氷河期が終わります。その時期に
全く異なる遺伝子を持った人々がバルカン半島などの南東ヨーロッパから拡散をはじめ、やがてヨーロッパを席巻したと推察されています
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p157
実際本土日本、アイヌ、琉球の3集団のミトコンドリアDNAハプログループ頻度は互いに異なっており、特にアイヌと琉球列島の間に類似性は認められません。DNAデータは2重構造説を支持していないのです

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p170
従来考えられていた紀元前5世紀から、紀元前10世紀までさかのぼる可能性が示されました。弥生時代の始まりは現在では「日本で水田耕作の始まった時期」と定義されています。日本で一番最初に水田耕作を始めた北部九州の年代が紀元前10世紀に当たるために、この時期が弥生時代のスタートとされているのです


p177
形態学的な研究から、北部九州を中心とした渡来系弥生人、長崎県の沿岸部や離島から出土する縄文人の直系の子孫と考えられる「西北九州弥生人」
特異な形質を持つ「南九州弥生人」が区別されています
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p179
支石墓は同時代の朝鮮半島に多くみられるもので、北部九州と朝鮮半島との関係を示すものと考えられています

p181
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核ゲノムの解析に成功した女性は典型的な渡来系弥生人と考えられたので、
予想に反してその遺伝的な特徴は現代日本人の範疇に収まるもので、むしろその中でも縄文人に近い位置を占めていることが分かりました


でメモしている。私も非常に不思議に思った結果であったが、篠田人類学研究部長の言う通りであろう。上のリンク先メモのPCA図を見た当初、私には?で多分分析間違い=DNA汚染=分析時の混入と考えたが、
①弥生時代中期において、既に現代日本人の範囲に完全に入る渡来系弥生人が存在し多数を占めていたことはほぼ確実との見解。即ち、現代の韓国人と我々日本人は既に2000年前に分岐していた可能性がある。

ただし、古代朝鮮史は、新羅の半島統一=韓族による統一までは、朝鮮半島に居住していたであろう複数の遺伝的にかなり異なる人々、即ち、半島北部の高句麗=中国の史書でいうところの貊族=武田氏も高句麗を貊族としている、半島東部の山岳地帯の穢族、楽浪郡・帯方郡に多数いたであろう北方系中国人、半島東南部にいた可能性が高い遺伝的にかなり異なる人々(中国史書には記述がない)を全て朝鮮半島から追い出した過程と見て絶対に間違いない。ベトナム戦争における虐殺はソンミ事件以外は全て韓国人どもの仕業であり、朝鮮戦争において米軍推定では100万人もの民間人犠牲者が戦闘の巻き添えではなく「同胞同士の殺し合い」によって生じている。従って、これらの遺伝的には異なる人々が朝鮮半島から消える際に虐殺されたとみるのが妥当であろう。(半島東部の山岳地帯の穢族については、5%程度現代の韓国人どもの男の祖先である可能性が高いことは、中国人の論文から分かる)

同じ時期の半島南部のDNA解析がされなければ確定しえないが、全63もの国際的な学術賞の受賞者ゼロである知能の低い韓国人どもには無理であろうからして、上記のように推測するしかない。


今のところ核ゲノムの解析にまでたどり着いているの渡来系弥生人は、この1体だけのなのですが、安徳台遺跡の中心部に豪華な副葬品を持った男性に寄り添うように配置された甕棺に埋葬されている人物ですから典型的な渡来系弥生人と考えてよいと思います

主成分分析の結果は、彼らもかなり在来の縄文人と混血が進んでいたということを示しています。安徳台遺跡は弥生時代中期のものなので、弥生時代の会式からはかなりの年月が経っており、彼らも日本列島で既に数百年間生活していた集団です。

むしろこれまで渡来系弥生人というと、朝鮮半島集団の遺伝的な要素が非常に強い人々というとらえ方をしていますしたが、その方が不自然でしょう

一方でこの事実は日本人の形成について新たなシナリオが必要なことを示唆しています。なぜなら、この集団が東進して在来の縄文集団を吸収していったとすれば、さらに縄文人の遺伝子を取り込むことになるからです。渡来系弥生人との混血だけで現代日本人が形成されたとすると、渡来系弥生人が現代日本人と大陸集団の間に位置しないと現代日本人の遺伝的な特徴を説明できません

今後の現代日本人の形成のシナリオは、弥生~古墳時代における対六からの集団の影響を考慮する必要があることが分かりました。単純な二重構造は本土日本でも成り立たないのです

p186
稲作を持った集団が朝鮮半島から北部九州に到達したことを契機に日本列島集団の遺伝的な構成は大きく変化することになりましたが、そのDNAの流れは実際には稲作の源郷の地である中国江南地域から出発したと考えられます。

p190
中橋孝博さんと飯塚勝さんによる人口のシュミレーション研究によって、農耕民である弥生人の人口の増加率が狩猟採集民である縄文人よりも高いことを仮定すれば、最初のた渡来者が少数でも数百年で在来系の集団を数の上で凌駕することが示されました