2008年に出版されたものであり、タイトルと異なり、Y染色体ハプログループに関する中身の濃い著作であるが、くだらん根拠のない記述も多い

p4
Y染色体は、大きく分けてAからRまでの18の系統に分けられる
・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・D、E系統(出アフリカの第二グループ)
・FからRまでの13系統(出アフリカの第三グループ)

【出アフリカのグループ分けは、崎谷氏独自の主張のようであり、一般的ではないが、面白い】

p6
日本列島におけるY染色体亜型分布の特徴は、高いD系統の存在だけに限らず、この出アフリカの3系統のいずれにも由来するグループ、つまりC系統、D系統及びN系統・O系統が今でも共存していることが全世界的に見て非常に珍しい状況を生んでいる

p7
D系統がまとまって見られるのは日本列島とチベットという特異性が高い分布を示すので
C3系統は、シベリアで高頻度で見られる亜型で
九州に比較的高い頻度で見られ
アイヌ民族でも見られるが、沖縄では確認されない
これとは対照的に、南方系遺伝子流入を想定させるC1系統は
N系統は現在シベリア北西部と北欧(特にウラル系)に高い集積を示し、
日本列島には
NO祖型が2%確認される
O2b系統
日本列島以外では朝鮮半島に非常に高い集積が見られ(51%)、朝鮮半島との関連を示す亜型である
O系統はアイヌ民族ではわずかであるが、琉球では主要な系統になっている

p12
日本列島におけるY染色体亜型の地域差は大きなものがある

p14
出アフリカ3大グループの再会の地、日本列島
(小見出し)

p19
C1系統は日本列島でしか見出されない稀な亜型である

p36
D2系統は朝鮮半島ではほぼ消滅してしまった


p129(埴原氏が提起した当初の2重構造モデルについて)
先住系ヒト集団が南方系であるとの推定、及び渡来系が北方系であるとの推定はいずれも誤りである
D2系統(縄文人)は華北・朝鮮半島を経て九州に到達したことが推定されており、むしろ北方系だと考えられる
【上の根拠は、ハマーのdual origin of の私も精読した論文】

p130
琉球へは縄文人や弥生人が直接移動したのではなく、11~12世紀以降九州民族が移動したことが推定されている。

【根拠としているのは、下記の歴史本であり、遺伝学論文ではない
「いくつもの日本 1 日本を問い直す」
安里 進 「琉球文化圏と琉球王国の形成」P155-P178】

同時に2重構造モデルに付随するアイヌ・琉球同系統論も根拠を持たないことが指摘できる

p134
西九州の重要性

西九州の特異性と重要性について、ここで簡単に考察してみる
【詳細メモは省略したが、まさに指摘の通りである】