(2014年に日本組織適合性学会誌第21巻1号に日本語で書かれた論文である。日本語で書いたのは、日本人の起源論の為、日本人以外はほとんど興味を得ることができないと考えたからだろう。赤字の部分がこの論文による新たな指摘である)
HLA遺伝子多型からみた日本人集団の混合的起源
Major Histocompatibility Complex2014; 21 (1): 37–44

中岡 博史1)・細道 一善1)・光永 滋樹2)・猪子 英俊2)・井ノ上逸朗1)1)
国立遺伝学研究所 総合遺伝研究系 人類遺伝研究部門2)
東海大学医学部 基礎医学系 分子生命科学


日本人の起源については諸説あるが,約30,000年前の後期旧石器時代に日本列島へと移住してきた狩猟採集民である縄文人と,紀元前1,000年から西暦300年頃に朝鮮半島から日本列島へと移住してきた弥生人の祖先が混血して,現在の日本人集団の起源になったとする“混合モデル”が有力であると考えられている。本稿では,日本人集団の混合的起源を支持する遺伝的知見について概説するとともに,HLA伝子多型から日本人の祖先集団を推測する遺伝的痕跡の探索について,最新の研究を紹介したい。


はじめに

HLA領域はヒト第6染色体短腕の3.6 Mbにわたる主要組織適合遺伝子複合体に相当する領域である。
HLA領域は免疫機能に関わる多数の遺伝子を有し,ヒトゲノムで最も多型性に富む領域である1)


HLAアレル数は急速に増加し,現在では8,000を越えるアレルが報告されている2)

現代日本人集団の起源については諸説あるが,アジア大陸から少なくとも二回の大規模な移住があったとされる。約30,000年前の後期旧石器時代に縄文人の祖先が日本列島へと移住してきた。縄文人は狩猟採集民であり,世界的にも最古の部類に属する土器(縄文土器)を製作する文化を築いた。次いで,紀元前1000年から西暦300年頃に朝鮮半島から日本列島へと移住してきた弥生人の祖先が日本に水稲耕作文化を伝えたとされる。これらの祖先集団を基礎として現代日本人集団が形作られた過程について,三つの異なるモデルが提唱されている。

i縄文人を弥生人が追い出して定着したとする“置換モデル ”,
ii)弥生人は現在の日本人集団に遺伝的な寄与をしておらず,縄文人が徐々に変化したとする“変形モデル ”,
iii)縄文人と弥生人が混血して現在の日本人集団の起源になったとする“混合モデル”である。現在では形態学的研究や遺伝学的研究から,混合モデルが有力と考えられている。

日本人集団の混合的起源を支持する遺伝学的知見

初期の研究では,分子系統学的解析により,日本人集団が東アジア集団,特に朝鮮人集団と近縁であること,日本の本土集団が縄文人の遺伝的背景を受け継いでいると考えられるアイヌ・沖縄集団と弥生人の祖先の遺伝的背景を受け継いでいると考えられる朝鮮人集団の中間に位置することを示し,遺伝学的見地から混合モデルが妥当であると論じてい5)

広範なアジア集団におけるY染色体のハプログループの頻度分布を調査した結果,日本人集団で顕著に認められるハプログループDに属するサブグループD-P37.1は,チベットで高頻度に認められるサブグループを祖先型として新たな変異を蓄積したものであった6)
また,ハプログループO-M122OP-31が朝鮮集団,東南アジアに共通することが明らかになった。

これらのことから,縄文人の祖先は北・中央アジア由来,弥生人の祖先は東南アジア由来という仮説が提示された。さらに,これらハプログループについて日本地域集団での頻度分布を比較してみると,沖縄から九州,徳島,青森,北海道(アイヌ)にわたって,D-P37.1U字型の曲線を,O-M122O-P31は逆U字型の曲線を描くことが分かった(図1


このことは,縄文人由来と推測されるハプログループD-P37.1の頻度は沖縄とアイヌで高く,弥生人の祖先と縄文人の混合が進んだ本土ではO-M122O-P31の頻度が高くなっていることを示している。弥生人との混合の指標であるO-M122O-P31がアイヌで認められなかったことは,弥生時代の渡来人の遺伝的影響がアイヌにまでは及んでいないことを示唆している。


HLA遺伝子多型から見た日本人集団の祖先の推測

東南アジアに広く分布し,沖縄集団に高頻度で認められるハプロタイプA*24-B*54-DRB1*04:05がアイヌには認められないことから,沖縄とアイヌの祖先集団が分離した後,沖縄に東南アジアからの遺伝的流入があったと推測している11)

また,アイヌ集団がサハリンのニヴフ集団からの遺伝的流入を受けた可能性も指摘されてい13)。これらのことから,沖縄とアイヌが分離後に受けた遺伝的流入の差異が,縄文人の遺伝的背景を強く受け継いでいる集団とされながらも遺伝的距離が比較的遠い要因ではないかと指摘されている11)

日本人本土集団のHLAハプロタイプの大部分は朝鮮集団にも存在することが報告されている14–16)

日本人集団の祖先集団を推測するHLA領域の遺伝的痕跡

著者らは,日本の10地域(北海道,東北,関東,北陸,東海,近畿,中国,四国,九州,沖縄)から収集した約2,000検体のHLA遺伝子型多型情報(HLA-ABCDRB1DPB1)を用いて,地域集団間の分化や集団構造について解析を行った17)

日本の10地域集団の解析結果,本土と沖縄の間でHLAアレル頻度分布に大きな分化が認められ,PCS同定したHLAアレルとハプロタイプに着目したところ,

i)沖縄で頻度が低く,本土で頻度の高いアレルは,互いに強い連鎖不平衡にあり,長いハプロタイプとして保存されている(図2CL3CL4

一方,
ii)沖縄で頻度が高く,本土で頻度が低いアレルで構成されるハプロタイプでは,連鎖不平衡が崩れ,断片化されたハプロタイプとして存在していることが分かった(図2CL1)。


アレル間の連鎖不平衡は,世代を経るに従って組換えが生じ,崩れてゆくものであるから,iのアレルから構成されるハプロタイプは世代として新しく,ii)のアレルから構成されるハプロタイプは世代として古いことが推測される

ハプロタイプA*33:03-C*14:03-B*44:03-DRB1*13:02-DPB1*04:01を構成するアレルの中で特にDPB1*04:01への正の選択が指摘されている18)

直感的には,水稲耕作文化を伝えた朝鮮半島からの移住民はコミュニティにおいて優位性を持ち,その結果として日本人集団の中で朝鮮半島からの移住民の子孫が急速に増加したとも考えられる。

我々は,朝鮮半島からの移住以前の祖先集団について推論を行うため,日本の10地域集団に韓国を加えた主成分分析を行い

同定されたアレルのうちA*24:02-C*03:04-B*40:02がハプロタイプを構成していることから,データベース検索により当該ハプロタイプを有する集団を特定した。その結果,台湾の蘭嶼島のヤミ族,アリューシャン列島のアレウト族,アラスカのユピック族,北アメリカンインディアンおよび中央アメリカンインディアン(メキシコ先住民のタラウマラ族)に分布していることが分かった。このハプロタイプでエンコードされる血清学レベルのハプロタイプA24-Cw10-B61は,シベリア,モンゴル,バイカル湖でも認められることが分かった

2020-09-30


まり,上記ハプロタイプは,東・北アジアから,シベリア,アリューシャン列島を通って,北アメリカから中央アメリカへと移住していった祖先集団の移住ルートを示す遺伝的な痕跡であると推察される17)

東アジア人集団の起源は完全に解明されていない。ゲノムワイドSNPデータを用いた研究では,東南アジアからの単一の移住ルートが支持されている19)。一方,中央アジア経路と東南アジア経路の両方から移住してきた祖先人類が東アジア人集団の祖となったとする“pincer model”も提唱されており20,21),現在のアジア人集団におけるHLAアレル頻度分布は“pincer model”に適合するものであるという報告がある22)

我々が朝鮮半島からの遺伝的流入以前の日本人集団を特徴づけるHLAハプロタイプとして検出したA*24:02-C*03:04-B*40:02は,アジアを起源として旧世界から新世界へと“first American”によって伝えられた遺伝的痕跡ではないかと推察される17)

日本人が中国や朝鮮半島では見出されないハプロタイA*24:02-C*03:04-B*40:02を有していることは,日本人が有史以前に北アジア系集団と共通祖先を有していたことを示唆している。