斎藤教授の著作である。アフリカ以外では、全て、ボトルネック効果があったようである
はじめに
コロンブスが元々目的地としていたのは、ジパングでした
この単語が英語に入って「JAPAN」となりました

耳垢型の遺伝子は湿型と乾型の二つのタイプを決めています
ABCC11というたんぱく質を作り出す遺伝子が湿型と乾型を決めていることを2006年になって解明しました

ゲノム中に1.5%しか存在しない遺伝子にもSNPが存在します
タンパク質が異なる場合には、湿型と乾型という表現型の違いが生じますが、ガラクタDNA上の塩基配列の変化は、表現型に影響しません。このため、それらの進化はダーウィンらが提唱した自然淘汰によって生ずるのではなく、淘汰上中立な突然変異が偶然によって変化する「中立進化」によって生じていきます

(同義変異に関しては、正の自然淘汰は存在せず、遺伝的浮動のみである。非同義変異に関しては、負の自然淘汰となるが、淘汰圧力が弱い場合には、遺伝的浮動に似た動きを見せる。→中立論に立つ標準的なテキストの記載の要約)

p14
明治維新の時には3300万人でした
17世紀の初めごろには、およそ1900万人だったと推定されています
8世紀の人口は500万人程度推定されていますので

p16
邪馬台国の卑弥呼の時代の日本列島中央部の人口かわずか60万人だったと考えられます

p71
旧国別の耕地面積の記録は残っていたので、それを元にして、900年頃は600万人、1200年頃は700万人と推定されます
1300年前後にはやや人口が減って600万人前後とする推定があります。
人口減少の理由としては、
はっきりしたことはわかっていません

p102
最近、私の研究グループは
過去の人々の遺伝的変化について詳しくコンピュータ解析を行いました
すると、ヤマト人とアイヌ人の混血が開始したのは、今から55~58世代前であるという推定結果が得られました
一世代を25年と仮定しました
そうすると混血が始まったとされる推定結果は、1375年前~1450年前、西暦6~7世紀となります。まさにヤマトの政権が東日本から東北地方に勢力範囲を拡大していた時期に当たります。東北地方には、ナイやベツというアイヌ語で川を意味する言葉で終わる地名が多数存在しています

p154
合祖理論を応用した米国テキサス大学のユンシン・フーらの最近の研究によれば、アフリカ以外の集団では、およそ5~7万年前に大きな人口の減少が起こったと推定されています
過去1万年以内の人口変動についてはまだデータが十分ではないので、今のところ推定するのは困難です

(斎藤教授は、持論である3段階渡来説をこの本でも書いている)