現職の高校教師が書いた韓国の歴史の通史。本を売るために、出版社が、「本当は恐ろしい」と変なタイトルを付加したようだ。高校教師よりも私の方が、朝鮮史の知識は豊富だ!と変な自信を持ってしまう内容だが、参考になった箇所をメモしておく。

p3
その歴史は、約960回に及ぶ他国からの侵略と、服従と屈辱の繰り返しである。全貌は当の韓国人ですら耳をふさぎ、それこそ歴史教育でごまかすほど壮絶なものだ

p16
日本の建国神話は、古事記、日本書紀に記してあるが、韓国では三国遣事がそれにあたる

p18
韓国の建国記念日である紀元前2333年10月3日。壇君が朝鮮を建国したとされる日である

p19
壇君神話が記されている三国遣事は、朝鮮最古の書「三国史記」から零れ落ちた説話を集めたものである。三国史記の成立は1145年。韓国人は「日本に書物を伝えた」ことを誇りにするが、日本最古の書「古事記」の成立が712年だから、実に400年以上遅れを取っていたことになる

p23
衛氏朝鮮の誕生
北魏の「魏志」によれば、燕、斉、趙などの国から数万人が戦乱を避けて朝鮮に向かったとある。その中の一人に、燕から1000余人を率いて朝鮮半島に亡命した衛満がいた
彼は現在の平壌に新たな都を定め、王朝を打ち立てる。これが、「衛氏朝鮮」の始まりだ。つまり、朝鮮初の国家は中国からの亡命者によって建国されたことになる

p25
亡命者の衛満があっさり朝鮮を支配できたのは、当時まだ青銅器文化だったところへ鉄器文化を持ち込んだからだと言われている

p26
紀元前108年
衛氏朝鮮は滅亡したのである

p30
前方後円墳
実はこの形日本独自のものだ
朝鮮半島でも前方後円墳は14基発見されている。だがその地域は驚くべきことに、全てが旧任那地域を含む朝鮮半島南部に集中している
成立時期を調べてみると、朝鮮半島で発見されたものは5世紀頃のもの、対して日本の前方後円墳は3世紀ごろから作られ始め、4世紀に全盛期を迎えている
日本から伝わったとみるのが自然である。ちなみに朝鮮半島の古墳は、新羅では円墳がほとんどで
程度のほどは別にして、この頃の朝鮮半島に日本が直接的な影響力を行使したのは間違いないだろう

p42
数字で見ると、遣隋使は6回、遣唐使は20回、遣渤海使は13回。一方、先方からの隋使が1回、唐使が8回なのに対し、渤海使は35回も来航しているのだ

p46
高麗の歴史は、遼、女真、モンゴル、倭寇、紅巾族などからの壮絶な侵略の歴史である。当時は中国に倣って異民族を見下す意識があり、高麗も彼らに戦いを挑んでいくのだが、常にコテンパンにされて降伏する。これの繰り返しである

p47
高句麗の真ん中の句を除いたのだ
「高麗史」によれば、「白頭山を越えてきた古の高句麗族であった」とされているが、いつものお約束でその素性は中国人なのか朝鮮人なのかは判然としない

p48
1000年の呪い
高麗の創始者王建は、
遺訓「訓要十条」を遺した。
(要旨として、忠清南道の一部と全羅道一帯=いずれも後百済があった地域は、謀反を起こすから気を許してはならない。ゆえに良民といえども官職に登用してはならない)
この遺訓が高麗王朝だけにとどまれば笑い話で済んだが、高麗王朝の次の李氏朝鮮でも受け継がれ、何と現代社会の人材登用にも影響を及ぼしているという
全羅道出身の大統領は金大中一人だけである

(豊田さん、金大中は、族譜では、金海金氏即ち慶尚道なんです。だから、韓国内では生まれは全羅道でも、実質的には慶尚道と見なされていると思いますよ!だからこそ、大統領になれたのです。しかも司馬遼太郎さんによれば、金大中は、金海金氏の宗家ともいうべき家の出身だそうです)

p70
高麗に王の決定権はなく、すべては征東行省が握っていた。現にモンゴル人の行政官によって3代の高麗王が退位させられている。

p72
1274年
兵力は資料によってまちまちだが、モンゴル軍2万人に対し高麗兵6000人を加えた

p76
1281年
両軍合わせると14万人、4400隻と世界史上まれに見る大軍勢であった
(著者によれば、南宋滅亡後、大量に残った旧南宋の兵士を日本侵略に転用するように当時の高麗王がフビライに進言したのだそうだ。「高麗史日本伝」が原資料とのこと)


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倭寇は、前期倭寇と後期倭寇に分けられる
(前期倭寇はほとんど日本人とのこと。後期倭寇は、次のとおり)

p81
朝鮮王朝実録によると、「日本人は1、2割程度で、後は朝鮮人が倭服をきて乱をなす」とある。また、「明史」にも「日本人は3割程度」と書かれていることから

p211
(朴大統領の妻が暗殺された事件について)
犯行は日本在住の在日韓国人の仕業であること、犯行に使われた拳銃が大阪府警の派出所から盗まれたものであることなどから
(著者は、犯人を北朝鮮の工作員と断定している。このため、国籍法上の「朝鮮籍」であろう。著者の朝鮮関係知識の程度を知ることができる書きぶりで、資料を明示していない場合?が多い

それにしても、いつも思うことだが、朝鮮史には外圧を除けば、「オリジナリティが全然ない」
黄さんという有名な評論家は、「自律性がない」という表現を用いているが、全くその通りだ。
つまり、外圧がなければ、何も起こらない=李朝500年がそれをよく示している)