李氏朝鮮時代の実情を最も正確に記述した内容である。外国人の手によってしか、李氏朝鮮時代の真相は分からない。

梶村秀樹氏による解説
P332
著者のC・ダレ(1829~1878)自身は、 略 インドをはじめアジア各地を任地としたが、朝鮮に入国したことはない。 略 1872年から第5代朝鮮教区ダヴリュイ主教(1866年にソウルで処刑)が取集・整理しかけていた資料を基礎にして本書の編述に着手し、74年に完成・刊行を見たのである

P20
朝鮮では飢饉が頻繁にみられる。

P26
現在の朝鮮の人口はどれくらいだろうか?総人口1000万と見積もっても恐らく大した誤差はないであろう

P30
漢文で書かれた様々な朝鮮史の本は、 略 想像上の事実の雑多な寄せ集めに過ぎないということである。朝鮮の学者たち自身もこれらの文献に何らの信用も置いておらず、また決して研究対象にすることもなく、中国の歴史書だけを読むことにしている

P33
1790年まで朝鮮国王は即位通告の為、また10年に一度の貢納のために、日本に特使を遣わせなければならなかった。それ以降は、使節は対馬まで行けばよく、

P42
朝鮮では父親の仇を討たなかったならば、親子関係が否認され、その子は私生児となり、姓を名乗る権利さえもなくなってしまう。

P70
文武官職は全て一時的なものである。道知事はその職に2年しかとどまることができないが、

P195
両班が首尾よく何らかの官職につくことができると、彼は全ての親類縁者、最も遠縁の者さえ扶養義務を覆う

P206
中人階層というのがあるが、これは実際にはソウルにしかいない

P212
女には名前がない。略 彼女に子供ができると、礼儀上、「誰それの母」という名を使わなければならない

P248
埋葬地の選択はあらゆる朝鮮人にとって重大な仕事である

第11章 宗教
P254
事実上の無信仰や来世についての無関心が生まれ、それが今日ほとんどすべての朝鮮人を特徴づけている

第12章 国民性
P263
この同胞に対する交誼の感情は、親族や組合の限界をはるかに超えて拡大される。相互扶助と全ての人に対する気前の良いもてなしは、この国の国民性の顕著な特徴であり、すぐれた美点である。

P267~268
朝鮮人は、男女とも、生まれつき非常に熱情的である。しかし、真の愛情はこの国には全く存在しない。彼らの熱情は純粋に肉体的なものであって、そこのは何ら真心がない。
彼らは自分自身を満足させるため、手の届く対象にはなんにでも飛びつくあの動物的な欲望、獣的本能以外は知らない。従って、風紀の腐敗は想像を絶し、「人々の過半数は、自分たちの真の両親を知らない」と大胆に断言さえできる

P269
成長した後は、男も女も見境のないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる

P275~276
この章を終えるにあたり、各道の人々の性格の違いについて、一言述べたい。
北方の2道のうち、特に平安道の人は、他の道の人々よりも屈強で、粗野で性格が激しい。彼らの中には両班はごくわずかで、従って高官もほとんどいない。彼らは王国の隠然たる敵であると信じられており、政府は彼らを慰撫しながらも細かく監視し、彼らが反乱を起こすのではないかと常に疑っているが、もし反乱が起これば、彼らを鎮めるのはかなり困難なことであろう。

黄海道の人々は、狭量で、視野の狭い性格として知られている。彼らは欲深く、信義がないと非難されている。

京畿道つまりソウルの人間は、軽薄で、節操がなく奢侈と快楽にふける。全国の典型をなすのは、この道の人たちである。朝鮮人の野心、強欲、軽薄で、節操がなく、奢侈と快楽にふける。全国の典型をなすのはこの道の人たちである。朝鮮人の野心、強欲、浪費、奢侈等われわれが前述した性格に特にあてはまるのは彼らである。この道には、大官や両班、学者たちが過度なくらい多い。

忠清道の人々は、全ての点で京畿道の人と似ており、程度がより少ないだけで、彼らの長所と短所をともに持ち合わせている

全羅道ではほとんど両班に出会うことはない。この道民は、他の朝鮮人たちからは、下品で、偽善的で、狡猾で、自己の利益しか求めず、利得があるなら最も醜悪な背信行為も辞さない心構えを持っているとみなされている。

慶尚道は異なる性格である。ここの道民は他の道に比べて単純で風俗の腐敗はそれほどでもなく、古い習慣がより忠実に守られている。奢侈も、馬鹿げた浪費もそれほど多くはない。従って、少ない遺産でも長期にわたり同じ家庭内で父から子に受け継がれる。文学研究も他の道より盛んで、若者たちはしばしば終夜野良仕事をした後、夜遅くまで読書に励む。女性の立場も他の道ほど厳しく閉じ込められていない。彼女たちは、日中は奴婢を伴って外出するが、どんな侮辱も、どんな無礼な態度も恐れはしない。仏教つまり釈迦の宗教の信徒が最も多数いるのも慶尚道である。

第15章 科学
朝鮮人は科学研究の分野においてはほとんど進歩の跡を見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術は全く進歩していない。
この立ち遅れの主な原因の一つに、人々が全ての手工業を各自の家でまかなわなければならないという現実がある。

P322
1871年、1872年の間、驚くべき飢饉が朝鮮を襲い、国土は荒廃した。あまりのひどさに、西海岸の人のうちには、娘を中国人の密貿易者に1人当たり米1升で売るものもいた。