戦時期の日本における朝鮮人労働者についての再検討 : 世界遺産への登録で浮上した論点をめぐって: 2016年11月12日社会経済史学会九州部会レジュメ

宮地, 英敏 九州大学附属図書館記録資料館産業経済資料部門 : 准教授

国際労働機関(ILO)の強制労働に関する条約(Forced Labor Convention) 1930 年 6 月 28 日成立
:日本は 1932 年 11 月 21 日批准

第二条1 本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右 ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ

For the purposes of this Convention the term forced or compulsory labour shall mean all work or service which is exacted from any person under the menace of any penalty and for which the said person has not offered himself voluntarily.

⇒「forced labour」または「compulsory labour」とはこの国際法に違反する、違法 な強制労働であったことを意味している 日韓の外交交渉により、「forced to work」という表現を用いることで妥協 出典「岸田外務大臣臨時会見記録」(平成二七年七月五日二十二時四十九分)

第二条2 尤モ本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ左記ヲ包含セザルベシ
Nevertheless, for the purposes of this Convention, the term forced or compulsory labour shall not include--

(d) 緊急ノ場合即チ戦争ノ場合又ハ火災、洪水、飢饉、地震、猛烈ナル流行病 若ハ家畜流行病、獣類、虫類若ハ植物ノ害物ノ侵入ノ如キ災厄ノ若ハ其ノ虞ア ル場合及一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムル一切ノ 事情ニ於テ強要セラルル労務
(d) any work or service exacted in cases of emergency, that is to say, in the event of war or of a calamity or threatened calamity, such as fire, flood, famine, earthquake, violent epidemic or epizootic diseases, invasion by animal, insect or vegetable pests, and in general any circumstance that would endanger the existence or the well-being of the whole or part of the population;

⇒「forced to work」と表現することによって、違法な第二条 1 の強制労働ではなく、 第二条 2 の強制労働の除外規定であり国際法的に合法であったことを日本政府は 明確化した

※「exacted」では、「強要された」という意味合いとともに「必要とされた」 という意味合いもあるために、不適切と判断されたのであろう 一方では韓国政府は、「forced to work」は「forced labour」と同じであると主張 ⇒実質的には外交戦の争点として to be continued

数量データを再検討することで、朝鮮人労働者の性格についても言及する 先行研究は豊富にあるが・・・ 朴慶植(1965)で注目され、山田昭次ほか(2005)、外村大(2012)でだいたいの現在の研 究水準にある 一方で、根強い朝鮮人労働者の出稼ぎ説 西岡力(2000)、岡田邦弘(2003)など 経済史研究者は市原博(1991)(1997)が動員後の職場レベルでの分析をしているが、動 員自体の分析ではない


大蔵省管理局編『日本人の海外活動に関する歴史的調査』通巻第十冊、朝鮮編第九分冊
1946(昭和 21)年に設置された大蔵省在外財産調査会が作成
1949(昭和 24)年~1950(昭和 25)年にかけて刊行されたシリーズの1冊 復刻 1991 年
戦後補償問題研究会編『戦後補償問題資料集』第二集
2000 年 小林英夫監修でシリーズの全復刻

上記資料(68 頁)を基に、西成田豊(1994)が具体的な「強制連行」データを提示
この表を決定的なデータとして、1939(昭和 14)年度~1945(昭和 20)年度にかけて、72 万 5 千人の朝鮮人が日本本土へ「強制連行」されたと位置付けており、西成田豊後の研究は 大体においてこの数値を踏襲している。

ところが、意図的か無自覚かはさて置き、西成田豊をはじめそれ以降の論者達は、上記資 料の 65-67 頁を無視してきた その内容は、1929(昭和 4)年度~1939(昭和 14)年度までの「徴兵令に依らざる対日労務供 給」の部分であり、後述するように出稼ぎ労働にあたるデータである



続いて「朝鮮人日本内地渡航者帰還累年表」が掲示される→表2 ・1929(昭和 4)年度~1938(昭和 13)年度にかけて、少ない年で 10 万人ほど、多い年で 15 万人ほどの朝鮮人労働者が、個別渡航という形で自発的に朝鮮半島から日本へと移 動していた


つまり、1938(昭和 13)年まで、一定数の朝鮮人労働者がプッシュ要因によって朝鮮半 島から日本へと送り出され、彼らは出稼ぎ労働者だったからこそ、その多くはしばらく 日本本土で働いた後に朝鮮半島へと戻って行っていた。この状態が前史として存在す る。

3.プッシュ要因の大きさを踏まえた労務動員の始まり-1939(昭和 14)年度 西成田豊(1994)を皮切りにして頻繁に用いられるようになった数量データ 「朝鮮人労務者対日本動員数調」→表3


、「期間満了移入朝鮮人労務者指導要領ニ関スル件」アジア歴史資料センター Ref.A04018767400「公文雑纂・昭和二十年・第七巻・内閣・次官会議関係(一)(国立公文 書館)」によって確認

日本政府は現実の状況を無視し、1945(昭和 20)年度に入っても、朝鮮人労働者 は出稼ぎ労働者であるという大前提を崩さなかった。

 

この点を、「期間満了移入朝鮮人労務者指導要領ニ関スル件」アジア歴史資料センター Ref.A04018767400「公文雑纂・昭和二十年・第七巻・内閣・次官会議関係()(国立公文 書館)」によって確認

 

この指導要領は、朝鮮人に対する労務動員の期間を一年間延長するにあたって、事業主 を指導するために作成

 

「関係官庁及団体ハ固ヨリ事業主モ誠意ト情愛ヲ披瀝シテ一体的努力ヲ為スコト」が 重要であると掲げられ、その上で、「物心両面ニ於ケル優遇」を行うことが明記された

 

具体的な 8 項目(ただし宮地による内容要約)

一、人物や技能に応じて指導的地位に就けること

二、期間延長の手当として二百円以上の金銭を即時交付し、朝鮮半島にいる家族に送金 するよう指導すること

三、朝鮮半島にいる家族に対して二百円以上を支給し、さらに繊維品等を贈与すること、 ただし後者は、軍需大臣及び厚生大臣からの見舞品とする

四、石炭関係労務の場合には、困難性などを踏まえて特別手当を支給すること

五、別居手当及び家族手当を支給し、朝鮮半島にいる家族に送金するよう指導すること

六、事業主は朝鮮人労働者の同意の下に給与から一定金額を差し引き、朝鮮半島にいる 家族への送金を代替して行うこと

七、未払いの手当等は、即時に支払うこと 八、食費の増額を行うこと 朝鮮人労働者の昇進、家族への見舞金の送付、特別手当の支給、食料の充実などといっ た対策が掲げられたている→かなり手厚く遇することで、労働力を確保しようとしていたことが分かる



②動員の人数
従来の研究史においては、統計の数字のうち重複を加味した「延べ人数」として理解しなければならない部分を、単純な合計人数として読み取ってしまっていた現実には、延べ人数 ・・・・ として七十万人前後の朝鮮人労働者が労務動員によって日本で働 いたのであるが、その時々の現在数は、1943 年度で 20 万 5 千人強、終戦時で 26 万 5 千人強であった


 1930 年代までの朝鮮半島は労働力が過剰であり、日本への出稼ぎが頻繁に行われていた。 1930 年代末に至り、戦時の徴兵で日本人の男性労働力が減少しているために単純労働者を 更に海外から入れたいという思惑(本音)が生まれた。しかし一方で朝鮮人の日本への移住は 最小限に抑えたいという本音もあった。この両者を一挙に解決したのが出稼ぎ労働の拡充 という建前(欺瞞)的な政策であり、戦時における朝鮮人の労務動員という「forced to work」 であった。

つまり極めて欺瞞的ではあるが、日本における戦時の朝鮮人労働は、まさしく国際労働機 関(ILO)の強制労働に関する条約の第二条第二項に充当するものであり、国際法に違反す る「forced labor」ではなく合法な「forced to work」だったといえる

それでは何故、その「forced to work」があたかも「forced labor」であるかのような印象 を惹起させてしまうのか? それは、官僚達による政策立案の未熟さと、未熟さを利用した現場レベルでの犯罪的な行 為、そして政策が行き詰まっても根本的な修正を躊躇する無責任な体質、更にはその皺寄せ が弱者に押し付けられるという、何重もの欺瞞や失態が折り重なっていたから

参考文献
市原博(1991)「戦時下の朝鮮人炭鉱労働の実態」『エネルギー史研究』15
市原博(1997)「戦時期日本企業の朝鮮人管理の実態」
『土地制度史学』40-1 大蔵省管理局編(1949)『日本人の海外活動に関する歴史的調査』通巻第十冊・朝鮮編第九分 冊
岡田邦弘(2003)『朝鮮人強制連行はあったのか』日本政策研究センター
金子文夫(2007)「占領地・植民地支配」石井寛治他編『日本経済史4戦時・戦後期』東京大 学出版会
金廣烈(1997)「戦間期における日本の朝鮮人渡日規制政策」『朝鮮史研究会論文集』35
金洛年(2002)『日本帝国主義下の朝鮮経済』東京大学出版会
高峻石(1980)『南朝鮮経済史』柘植書房
外村大(2012)『朝鮮人強制連行』岩波書店
西岡力(2000)「朝鮮人『強制連行』説の虚構(上)在日の真実に迫る」『月曜評論』2000 年 8 月号
西成田豊(1994)「労働力動員と労働改革」大石嘉一郎編『日本帝国主義史3第二次世界大戦 期』東京大学出版会
林えいだい(1989)『消された朝鮮人強制連行の記録』明石書店
原朗(2013)『日本戦時経済研究』東京大学出版会
朴慶植(1965)『朝鮮人強制連行の記録』未来社 朴慶植(1973a)『日本帝国主義の朝鮮支配』上、青木書店
朴慶植(1973b)『日本帝国主義の朝鮮支配』下、青木書店
朴慶植・山田昭次監修(1993)『朝鮮人強制連行論文集成』明石書店
宮地英敏(2010)「資料 中央協和会編『朝鮮人労務者募集状況』」『経済学研究(九州大学)』 77-1
宮地英敏(2016)「戦時期の日本における朝鮮人労働者についての再検討」『福岡地方史研究』 54
山田昭次ほか(2005)『朝鮮人戦時労働動員』岩波書店
Everett S. Lee(1966) ’A Theory of Migration’ Demography, 3-1
W. Arthur Lewis(1954) ‘Economic Development with Unlimited Supplies of Labor’ The Manchester School, 22-1