2022年02月

在日朝鮮人散住地域における教育戦略としての朝鮮学校選択
ポストコロニアルな社会的排除との関係において


宮 﨑 理 

在日朝鮮人への文化人類学的アプローチ=インタビューを期待して、博士論文らしい内容を拾い読みしたが参考になった。人類学に分類しておく。FDA論文は恐らくは正しいであろうからしてDNAから見た在日朝鮮人約90万人中の約1割程度8~9万人はヘテロ接合型の完全なDNA異常者であることは確実である。真に恐るべきことである。暴力団に朝鮮人が多い主原因と断定して間違いない。社会学的要因ではなく、遺伝的要因による。

この論文が対象とした朝鮮籍朝鮮人は、ほぼ日本人とは婚姻しないであろう。従って、ヘテロ接合型で日本人中に在日朝鮮人のDNA異常者の遺伝子が広まる確率は小さい。反面、朝鮮籍朝鮮人の間では、ヘテロ接合型でDNA異常者が速いペースで増加していき、必然的に、絶対に必ず影響がでるホモ接合型DNA異常者もすこしづつ増加してゆく。数十世代経過すれば、ホモ接合型DNA異常者も相当数に達するであろう。今の韓国や北朝鮮は、そのようにして形成された異常国家・病身国家である。この連中が自分たちのDNAの集団としての異常性に気づくころには、既に集団としては朝鮮半島を含め数十万人にまで減少している可能性が高い。

問題なのは、北朝鮮崩壊に伴う韓国からの大量の避難民流入である。いかなる手段を講じても北朝鮮崩壊に伴う韓国からの大量の避難民流入を防がねばならない。


本研究は、社会的排除研究においてこれまで論じられることが少なかった朝鮮学校に子 どもを通わせている保護者たちの学校選択を題材にし、植民地主義的な背景を持つ社会的 排除=ポストコロニアルな社会的排除との関係において考察するものである。

日本でみられるポストコロニアルな社会的排除のひとつとして、在日朝鮮人に対するも のが挙げられる。特に、朝鮮学校はいまだに植民地主義に背景を持つ排除が見られる場の ひとつである。

民族教育を守ろうと「たたかう在日朝鮮人」と、それに対して「弾圧を加える日本政府」 という二項対立的な歴史観が描かれてきた。

 そもそも朝鮮学校に子どもを通わせることの理由を、アイデンティティの形成 のための主体的で自由な選択として一括りに説明できるものなのであろうか。


2022-02-28

特筆すべき点は、このような集住地域は、日本全国でごく限られているということ

初級学校・中級学校・高級学校の他に、就学前教育としての幼稚班、東京都小平市には 大学にあたる朝鮮大学校がある。2012 年 4 月現在、これらの学校は合わせて 102 校、66 か所あり、約一万人が在籍している。

【1934年データ】
2022-02-28 (1)
朝鮮学校に子どもを通学させている保護者の教育戦略を把握するために、彼/彼女たち にインタビュー調査を行った。調査期間は、2014 年 6 月から 2015 年 1 月である。

表 9 は、本研究における調査対象者の特徴をまとめたものである。 調査対象者 7 人は、世代的には、朝鮮半島から日本に渡航した最初の代の人びとから数え て 2 世(3 人)または 3 世(4 人)のいずれかである。

調査実施当時の年齢は、40 代前半 (2 人)、40 代後半(3 人)、50 代後半(2 名)であり、1950 年代後半から 1970 年代前半 に生まれた人びとである。朝鮮学校児童・生徒との続柄は、父親 4 人、母親 3 人であり、 そのうち 2 組が夫婦である32。

職業については、大きな特徴があった。それは、調査対象者は、在日朝鮮人同士の関係 の中で職業的世界を獲得していたということである。調査実施当時の職業を見てみると、 パチンコ会社役員、飲食店従業員、金融機関職員、その他企業の事務職員であった。
【すべてが在日の会社・機関】

調査対象者たちに共通していたのは、最終学歴が高級部(5 人)か大学校(2 人)かの 別はあるにせよ、皆が朝鮮学校の卒業生であるという点である。

第2項 学校選択の経緯

「お子さんを朝鮮学校に通わせることになった経緯について教えて頂けますか」という 筆者の質問に対して、子どもが修学年齢に達すると同時に朝鮮学校に入学させた調査対象 者たち 6 人は、子どもを朝鮮学校に通わせることに特別な理由はないと答えた。

調査対象者 たちにとって、子どもを朝鮮学校に通わせるということは、主観的には「あたりまえ」の 学校選択であるかのように捉えられていたのである。

彼/彼女たちは、当然のように第一 子を初級部入学の時点から朝鮮学校に通わせており、それに続いて、第二子以降の子ども たちも朝鮮学校に通わせていた。 ここでいう「あたりまえ」には、保護者自身も朝鮮学校に通ったので、子どもを朝鮮学 校に通わせることは「あたりまえ」であるという含意がある。

A :そうです、小学校一年生から寮に入って。その頃、うちは小さい頃から、「お前は 朝鮮学校に行くんだよ、当然、朝鮮人だから朝鮮学校行くんだよ」って〔親に〕 言われてここに入って、育って。自分も結婚して子どもができて、学校に当然入 れる時になるとこの学校がまだあったので、今でもありますけど、そこはもう普 通に。だから日本学校に行くっていう選択肢がそもそもないんです。基本的に。

A :僕も寮だったから、小学校 1 年生から寮だったから、その自分の子どもを寮に入 れるっていうこと自体もそんなに抵抗は。

B :それは、あのー、決定っていうより、私達もう結婚して子供ができた時点で、入 れるっていうことは、もう家族のなかで暗黙の了解としてもうあったので。

 F :たぶんそんな状況の中で日本学校に通わしちゃったらもう、もう何も残らないと 思うんですよね。すべて否定され、自分で自分を否定しちゃった感じがするので。 そういう状況であればあるほど、きっと行かせるんじゃないかなとは思いますね。 下の息子がランドセルの背中のところに北朝鮮の旗をピッて、バッジをつけてる んですよね。みんながよく、「地下鉄でやられるぞ」とかっていう話をしてます。 でもまあ、それがたぶん日本学校に行ってたらほんとにやられるだろうし、気持 ちがね。そこに逃げちゃうっていうか、そうしちゃったらもうそうなっちゃうか ら、もう絶対。であればあるほど、そういう状況であればあるほど、自分を守れ るのはたぶん日本学校じゃなくて朝鮮学校だと思うので。


B :やっぱり、あのー、団体生活っていうのがとてもよかった。させることによって、 やっぱり子ども達のすごい成長も見られたし、よかったなと思います。で、やっ ぱりね、うちの学校というのは、まだまだ縦社会だから、その、上の人に対する 礼儀とか、そういうのはすごく厳しいので、そういう面では、だから、誰に会っ ても必ず子ども達あいさつちゃんとしますし。そういうところはやっぱり、あの ー、親が教えなくても、自然と先生達が教えてくれるし、先輩達が教えてくれる し。そういう面では、教えなくても、親が教えなくてもちゃんとやってくれると いう、そういう礼儀作法って一番大事な部分なので。

 E :学費とかね。高いからね。ここだと補助金とか、高校無償化対象外だし。お金、 続くかなとか、そういう現実的なことあるんでね。

第1項 在日朝鮮人同士をつなぐものとしての朝鮮学校 調査対象者たちは、朝鮮学校は地理的な限定のある在日朝鮮人コミュニティの中心的な 存在として位置付けられるものであると語った。

G :やっぱりね、在日の社会の中で朝鮮学校の意義ってすごく大きいと思います、私 は。そうなんですよ。在日の人たちが集まる場はやっぱり学校だし。そう、そう。 悪いけど総聯自体ももう弱いし。学校の行事って言ったら、それでも在日の同胞 とかは集まるんですよ。こっちで大きい行事、運動会とか、なんかすれば、それ でもうじゃあ学校行ってみようかとか。学校が衰退して学校がなくなればそうい うコミュニティの場もなくなるし。

 日本人が圧倒的多数の日本社会のなかで、マイノリティとしての在日朝鮮人にとって、 コミュニティの中心となる朝鮮学校の存在は非常に大きい。朝鮮学校は個々の在日朝鮮人 同士を呼び集め、集団として再生産する機能を果たしている。これは、朝鮮学校が持って いる子どもを教育するという以上の機能である。そうした朝鮮学校の機能は、特に散住地 域の朝鮮人にとって大きな意味を持っている。

D :朝鮮学校ってどこに行っても自分の子どものようにみんなが接してくれるので、 それはどこどこのハッキョ(学校)から来ましたって言うだけで、みんな。だか ら私たちもお嫁に来たりとか、行ったりとか、要するに県外に行っても、なにか しら誰かと繋がってるっていうのが結構、「あ、その人知ってる!」みたいな感 じになるので。私なんかは高校までしか行ってないので、大学とか通ってる子た ちからすると、自分の友達が大学行ってたら、「同級生にこの人いる?」みたい な感じになって話がみんな繋がるので、そういう面では初めに行った時は自分 1 人ですけど、だんだん知ってくうちにどんどんいろんな人と、この人のことも知 ってるのみたいな感じになるので、その点は日本の学校と、朝鮮学校の違いって いうか。 C :そういう絆は強い。


C :みんな親戚なんですよ。辿ってくと、こんなところまで親戚って、どこまでも繋 がってるんですね。こうやって結婚すると、こっちの誰かとこっちの誰かが親戚 って、あの人の子ども、あの人の子どもってなって、みんなほとんど親戚。

朝鮮学校に子どもを通わせることは、朝鮮学校を中心として形成される人間関係を、社 会関係資本として子どもに相続させることである。調査対象者たちは、在日朝鮮人同士の 社会的ネットワークの中で職業の斡旋を受けてきていた。しかし、この機能は現在では後 退している。代わりに重要になっているのが、在日朝鮮人であることの帰属意識をもたら す機能である。


C :昔はそういうところ〔民族系の金融機関〕で働いていると、ウリハッキョに〔子 どもを通わせる〕っていうのが、まあ、基本じゃないけど、自然に。
D :条件じゃないけど、まあ、みんながそういう〔子どもを朝鮮学校に通わせるとい う〕環境だったんですよ。でもそのことによって、ふたりでなんかやっぱり近く の学校がいいとか、そういうのを話した記憶はないんですよね。だからもう学校 に入れるっていうふうになった時に、そこ(朝鮮学校)に入れる為には寮に入れ なきゃいけない、必ず寮に入れなきゃいけない条件だったんですけど、何も別に。

 F :いや、どうなんでしょうね。やっぱり主人の働いている会社も、それこそ総聯系 の感じなので、たぶんちょっとした圧力もあるんですよね。「入れなよ」みたい な感じで。それもあったと思います。

G :それだけはなんかあるんですよね。やっぱりね、在日の社会の中で朝鮮学校の意 義ってすごく大きいと思います、私は。 *:ああ、そうですか。
G :そうなんですよ。在日の人たちが集まる場はやっぱり学校だし。






 

A highly annotated whole-genome sequence of a Korean individual
Jong-Il Kim
08 July 2009

ネイチャー掲載論文であり、男性1名のみであるが事実上は怪物屋敷の住民どもに関する初の全ゲノムシーケンス論文。シーケンスデータはウェブ上で公開されている。20番染色体のみカバレッジ率が高い


Here we provide a highly annotated, whole-genome sequence for a Korean individual, known as AK1. 
The genome of AK1 was determined by an exacting, combined approach that included whole-genome shotgun sequencing (27.8× coverage),

Alignment to the NCBI reference, a composite of several ethnic clades5,6, disclosed nearly 3.45 million single nucleotide polymorphisms (SNPs), including 10,162 non-synonymous SNPs, and 170,202 deletion or insertion polymorphisms (indels).

heterozygous/homozygous SNP ratio of 1.57, and nucleotide diversity (π) of 7.40 × 10-4Supplementary Discussion

2022-02-26

【このサンプル1名の論文でも、FDA論文同様にキチガイども固有のSNPs数算出している】
2022-02-26 (1)
この次に
Figure 3: Potential implications of AK1 variants and comparisons of non-synonymous SNPs among three sequenced genomes.
があるがサンプルは1名に過ぎず省略する

The ChinaMAP analytics of deep whole genome sequences in 10,588 individuals
Yanan Cao他
30 April 2020

nature掲載論文

主成分分析図には、仰天した。日本人サンプルは、104名で全てhapmapと1000genomeの公表データ使用し、常染色体のみを対象。104名中9人=10%近くが、ミャオ族に非常に近くにプロットされている。この論文が正しいのであれば、ミャオ族が日本人の祖先の一部、即ち弥生人の可能性が高い


①東北大学の全ゲノムシーケンス論文がバイオバンクジャパンのシーケンスデータを使用したのと同様に、ChinaMAPのシーケンスデータを使用している。しかし、キチガイども又は怪物屋敷の住民どもは、新たに千人以上のサンプルを集めたと称する全ゲノムシーケンス論文を出しているが、シーケンスデータは全く公表していない。中国人と比べて、キチガイども又は怪物屋敷の住民ども=韓国人の異様性を痛感せざるを得ない。韓国人はDNAから見ればまさにバケモノだ。TAの置換が多いことを中国人大規模サンプルで完全に確認しえた。FDA論文が正しい。

②この論文が対象とした少数民族は次のとおりでカッコ内サンプル数
仰天したのは、主成分分析図で、日本人9名がミャオ族の非常に近くにプロットされている点だ。分析が正しいのであれば、フリー写真家が撮影したミャオ族と日本の風俗との類似点から見て、日本人起源にミャオ族が含まれることになる。

*Hui (222)
回族(かいぞく、ホウェイ族あるいはフェイ族、拼音Huí zú、حواري)は、中国少数民族の一つで、中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団である。回族とされる人々は、言語形質等は漢民族(漢族)と同じだが、イスラム教イスラーム)を信仰する。中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は約1000万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。

*Manchu (208)
満洲族
2010年の中国の国勢調査では人口1,038万人とされ、「少数民族」としてはチワン族回族に次ぐ人口である

*Miao (245)
ミャオ族中国語苗族拼音:Miáozú) は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイミャンマーラオスベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。自称はモン族英語Hmong、Hmongb)であるが、Hmongは狭義にはミャオ族の一支族に用いられる呼称である
中国国内での総人口は894万116人に達し、中国の少数民族としては、チワン族(約1,617万人)、満州族(1,068万人)、回族(981万人)に次ぎ四番目である。

*Zhuang (223)
チワン族
壮族)(チワンぞく、チワン語: Bouxcuengh, 旧表記 Bouчcueŋь, ポウシューン)は、主に中国南部やベトナム北部に住居する原住民族である。中国では広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部などの山間部に約1,854万人(2010年の第6回全国人口調査統計による)が住み、中国最大の少数民族となっている。言語はタイ・カダイ語族に属するチワン語を話す。壮族(そうぞく)、チョワン族、チュアン族と言う日本語表現もある。

*Yi (212)
イ族(イぞく、彝族(旧族名: 夷族、倭族), 拼音Yízú)は中国少数民族の一つ。2010年の第6次全国人口普査統計では人口は8,714,393人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多い。

*Mongolian (228)

*Tibetan (207)

③主成分分析図は本当に興味深い。なんとミャオ族が漢族よりも日本人に近くプロットされている。
「図説 日本人の原郷」で萩原 秀三郎さんはミャオ族と日本の風習の類似点を写真で伝えているが、事実上は、それが集団遺伝学論文で示された可能性が高い。私は当初は民族学者がよく主張する日本文化の南方類似説=照葉樹林文化論というくだらん俗説を単に気候風土の類似性からする偶然の一致と考えていたのだが、そうではないのかもしれない。


The China Metabolic Analytics Project (ChinaMAP) is based on cohort studies across diverse regions and ethnic groups with metabolic phenotypic data in China.

Here, we describe the centralized analysis of the deep whole genome sequencing data and the genetic bases of metabolic traits in 10,588 individuals from the ChinaMAP

Here, we describe the genomic dataset and analysis of 10,588 deep whole genome sequencing (WGS) data from The China Metabolic Analytics Project (ChinaMAP). 


The ChinaMAP is based on three large-scale cohorts:
The China Noncommunicable Disease Surveillance 2010, a nationally representative study with 150,000 participants;
14 the Risk Evaluation of cAncers in Chinese diabeTic Individuals: a lONgitudinal (REACTION) study with 250,000 participants15 and the Community-based Cardiovascular Risk During Urbanization in Shanghai with 50,000 participants.16 A wide variety of phenotypic information, as well as biological samples, has been collected for each of ~450,000 participants.

we have randomly selected participants from 8 ethnic populations (Han, Hui, Manchu, Miao, Mongolian, Yi, Tibetan and Zhuang) across 27 provinces of China without biased selection or filtration, and completed the analysis of deep WGS data (40.80×) from 10,588 participants. The mean baseline age was 54 years and 64.8% were women (Supplementary information, Fig. S1a and Table S1).

Consistent with previous databases,5,6,8,10 the ChinaMAP data revealed that the rare variants (allele frequency (AF) < 1%) are dominant (94.16%) and 54.41% of the total are singletons (variants in only one individual).

The ChinaMAP dataset has a total of 1.78 M protein-coding variants (1.21%), including nonsynonymous 980,726, 532,701 synonymous, 27,967 stop gain/stop lost, 2851 start lost, 187,758 splice, 31,585 frameshift and 15,73 3 in-frame variants 

付属資料から
SNPs
nonsynonymous
All samples 980,726Median 9,667
Range
9,016-10,005
synonymous
All samples 532,701Median 10,354
Range
9,786-10,716
【これからして、平均をとれば、synonymousの方が多くなる。Rangeの分布は
nonsynonymousが上方にやや偏り、synonymousは下方に偏っていると推測される。



The final database contained 136.75 M single nucleotide polymorphisms (SNPs) and 10.70 M insertion-deletion polymorphisms (INDELs) after stringent quality control filtering (Fig. 1a, b;

Supplementary information, Table S2). The C:G > T:A (38.82%) transitions are the majority in the mutation spectrum, followed by the T:A > C:G (27.32%) transitions (Supplementary information, Fig. S1b). 2.61% of high-quality SNPs are multiallelic.


2022-02-24 (1)

数値の記載がないので、画像ソフトでピクセル単位で算出すると
10%=115px lengh, 20%=230px,30%=345px
TA->AT=82px=8.2%
TA->CG=314px=27.3%
TA->GC=86px=8.6%
TAが置換計=44.1%

これに対し、FDA論文では、数値入りの表を掲げ、韓国人35人全員が共有するSNVsでは、

TA->AT=82px=8.94%
TA->CG=314px=30.46%
TA->GC=86px=9.95%
TAが置換計=49.35%
Nevertheless, almost half of SNV-35 mutations occurred at T/A base pairs.

やはり、キチガイども又は怪物屋敷の住民どもは、中国人と明確に置換パターンが異なることが、中国人大規模サンプルで完全に確認しえた。DNAの置換パターンすら他の東洋人と異なっている=他の人類と異なっている!韓国人はDNAから見ればまさにバケモノだ。5%の差=約1割の差は、検定が必要ない程の差である。かつ、韓国人固有のSNVsではなく、対象を全SNVsにすると合計でFDA論文では45.15%であり、この論文の数値との差は1%しかなく、この面でもFDA論文の正しさが完全に確認しえた。

Consistent with previous databases,5,6,8,10 the ChinaMAP data revealed that the rare variants (allele frequency (AF) < 1%) are dominant (94.16%) and 54.41% of the total are singletons (variants in only one individual).

The ChinaMAP dataset has a total of 1.78 M protein-coding variants (1.21%), including 980,726 nonsynonymous, 532,701 synonymous, 27,967 stop gain/stop lost, 2851 start lost, 187,758 splice, 31,585 frameshift and 15,733 in-frame variants (Supplementary information, Table S3).

Supplementary information, Table S3

2022-02-24 (2)

protein-coding variants (1.21%)とあることから、韓国人の全エクソンシーケンス論文と近似的には一応比較しうるが、(カバレッジ率が大きく影響する。この論文では、総平均で40.80×と非常に本当にdeepである。

①キチガイどものNS:S比(分子遺伝学でいう dn/ds ratio)は1.2324
②中国人ではトータルで比較すると1.84
と差があまりにも大きく、比較できるレベルではない。しかし、median又は推定平均で比較すると1.0に近い

以前にキチガイどもで2.0に近い結果が出ている論文を読んだ記憶があるのだが、どの論文だったのか探してみよう。ただし、大きな差はないはずである。何故なら、トータルで大きな差があれば、成人してサンプルになるまでに、死亡するはずだからだ。

反面、FDA論文が指摘したように、韓国人固有のSNVs中のdn/ds ratioは、およそ7:3即ち2.33倍にも及ぶのだからして、その意味では、FDA論文の正しさが再確認しえたことだけは間違いない

下の表は、このキチガイどもの論文からである
このキチガイどもの論文のカバレッジ率は75xとエキソン領域にしては低い。イルミナは100x以上を推奨している。
2022-02-24 (3)
従って、dn/ds ratioはヒトを対象にする大規模サンプルでは、カバリッジ率に加え分析ツールの差も大きく影響するので、論文間では比較不能と考えざるを得ない。同一論文で比較分析した論文が出るのを待つしかない。


The remaining 98.79% of variants are noncoding variants, for which there is still a lack of functional analysis and annotation. 
2022-02-25

For each individual, the median variants contained 3.37 M SNPs and 0.35 M INDELs, and the transition/transversion ratio (Ti/Tv) is 2.11 (Supplementary information, Fig. S3a, e, and Table S3).

The heterozygous/homozygous ratio in Hui and Mongolian people is higher than the average (Supplementary information, Fig. S
3b, e). 

2022-03-04
この主成分分析図には、仰天した。日本人サンプルは、104名で全てhapmapと1000genomeの公表データ使用し、常染色体のみを対象。104名中9人=10%近くが、ミャオ族に非常に近くにプロットされている。この論文が正しいのであれば、ミャオ族が日本人の祖先の一部、即ち弥生人の可能性が高い

非自発的マイノリティにとっての「歴史的祖国」に関する一考察
:ウズベキスタンの朝鮮族を例に

旭川大学

宮﨑 理 OsamuMIYAZAKI 保健福祉学部コミュニティ福祉学科

以下がこの論文が依拠した基本文献である。
①半谷史郎・岡奈津子:『中央アジアの朝鮮人-父祖の地を 遠く離れて』,,東洋書店,2006
②柏崎千佳子訳:「コリョサラム-旧ソビエト連邦 のコリアン」,新幹社,2007
③髙全恵星監修:『ディアスポラとしてのコリア ン-北米・東アジア・中央アジア』
④『沿海州・サハリン 遠い昔の話-翻弄された朝鮮人 の歴史』,22頁,凱風社,1998

しかし、上記以外にも
ロシア極東の朝鮮人一ソビエト民族政策と強制移住一
岡 奈津子
英文ウキペディア記事
にかなりの基礎文献がある。特に⑤はほぼ全て網羅している

張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)は、1938年
ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年5月から同年9月
である。
スターリンによる朝鮮族以外の強制移住は全て第二次世界大戦勃発後であり理解しうるが、この論文でも①に依拠して強制移住の要因として「1930年代に入って,極東地域の情 勢が急速に緊張の度合いを高めていったことが挙げら れる。」と抽象化しているが、上のように、いずれも朝鮮族の強制移住1937年がなされた後に起こっているのである。両事件発生後であればつじつまが合うがそうではない、かつ、沿海州付近では日露の国境紛争など存在しえない。豆満江が自然の国境として明確であるからだ。

「1930年代に入って,極東地域の情 勢が急速に緊張の度合いを高めていったことが挙げら れる。」は具体的には満州事変のことを確実に意味するが、日中間のものであり、日露間のものではない。従って、強制移住の必要性はその当時にはほとんどなかったことは間違いない

しかし、秘密指令で「極東地方への日本のスパイ活動の浸 透を阻止するため」に行われた旨明記されていることは確かである


2017年5月,スターリン時代の1937年 にロシア極東地域から中央アジアに強制移住させられた朝鮮族の子孫にインタビュー調査を実施した。

筆者はこれまで,在日朝鮮人に対するインタビュー 調査を実施してきた。

例えば,次のよう なケースである。ある在日朝鮮人3世の女性は,日本 という国家のなかの X県で生まれた。現在,彼女は日 本の国籍を取得している。彼女の祖父母は現在の大韓 民国に属する Y道の出身なので,彼女はそこを自らの 故郷として位置付けている。一方,彼女が自分の祖国 であると実感しているのは,朝鮮民主主義人民共和国 である。

非自発的マイノリティの一つの例として,本稿で は,ウズベキスタンの朝鮮族を取り上げる。ウズベキ スタンの朝鮮族は,非自発的マイノリティの重要な例 の一つである。中央アジアに位置する旧ソ連のウズベ キスタンには,スターリン時代の1937年に,ロシア極東地域から強制移住させられた朝鮮族の子孫が多く暮 らしている。

旧ソ連の朝鮮族に関する研究は,それほど多く蓄積 されていない。なぜならば,ソ連時代,彼/彼女たち の存在は,マイノリティとして「タブー」と見なされ ていたからである5)。本稿では,ウズベキスタンの朝 鮮族を取り上げることによって,旧ソ連に居住する少 数民族の人びとが直面する課題に関する諸研究に寄与 することを志向したい。

ウズベキスタン共和国は,中央アジアに位置する旧 ソ連の共和国である。面積は44万7,400挨と日本の 約1.2倍である。人口は3,030万人である。民族構成 は,ウズベク系(78.4%),タジク系(4.8%),ロシ ア系(4.6%),タタール系(1.2%)などとなっている。 本稿で対象としている朝鮮族は,人口の1%以下,約 17万人が居住していると推定される。国民の90%以 上がムスリムである15)。

ロシア極東地域への朝鮮族の移動は,大きく4つの 時期に分けられる。
第1期は,1860年代に朝鮮が飢饉 に見舞われた時期,
第2期は,1910年の日本による韓 国併合に伴うもの,
第3期は,1919年の三一独立運動 が壊滅させられたことによるもの,
第4期は,1922年 10月の極東におけるソビエト政権樹立がきっかけと なったものである
(20)。

ロシア極東地域に移動する朝鮮族の数は増加の一途を たどり,ソ連で初めて国勢調査が行われた1926年に は,16万8千人(地域人口の14%)に達している
(21)。

ロシア極東地域に移動した朝鮮族たちは,1937年, スターリンによって中央アジアへ強制移住させられ た。その背景には,1930年代に入って,極東地域の情 勢が急速に緊張の度合いを高めていったことが挙げら れる。スターリンは,朝鮮人の「国境をまたぐ民族の 絆」へ猜疑を抱き,日本人に雇われた朝鮮人スパイが 極東地域に潜入を図っているという嫌疑をかけたので ある
(22)。半谷史郎・岡奈津子:『中央アジアの朝鮮人-父祖の地を 遠く離れて』,,東洋書店,2006


1937年8月21日,ソ連人民委員会議長モロ トフと全連邦共産党中央委員会書記スターリンは連名 で文書を発し,「極東地方への日本のスパイ活動の浸 透を阻止するため」に,朝鮮族を中央アジアに強制移 住させるよう命じた
(23)。

それによって,極東地域の朝 鮮族のほぼ全てに当たる17万1,781人(3万6,442 世帯)が強制移住させられた。そのうちの7万6,525 人(1万6,272世帯)がウズベキスタンに,9万5,256 人(2万170世帯)がカザフスタンに移住させられた。

強制移住は,貨物列車による約1ヶ月に及ぶ過酷な長 旅であり,多数の死者を出すものであった。計画全体 としては,1937年10月25日までという極めて短期間 のうちに遂行された
(24)(25)。

強制移住に伴い,当初は民族語学校が中央アジア に移設された。しかし,1938年に「民族語学校改変決 定」が出され,朝鮮語の教育機関はすべて閉鎖された。 このことの影響は非常に大きく,母語教育が行われな いことで,戦後に入ると朝鮮語を話せない朝鮮族の割 合が急激に増加した
(26)。

朝鮮族を取り巻く社会的現実の重要な特徴として挙 げられるのが,少数民族に対する差別である。独立 後,中央アジア各国では,カザフスタンではカザフ人,キルギスタンではキルギス人,ウズベキスタンではウ ズベク人というように,それぞれの共和国の基幹民族 (titularnation)の民族主義が台頭した。


調査に応じられる2名の紹介を得た。

(1)首都圏在住者の事例:Aさん
Aさん(調査当時60歳)は,ウズベキスタンの首 都圏に居住し,語学教師を務める女性である。彼女は, インタビューに際して,資料館で調べた朝鮮族の強制 移住に関する資料や親戚から借りた文献,自身が所有 する祖先の写真などを多数持参した。

首都に居住するには許可が 必要であり,誰でも住めるというわけではない。首都 圏で暮らす Aさんの社会階層は,比較的高い部類に属 すると思われる。

 朝鮮族がロシア極東地域 へ移住し始めたのは,1863年以降である。この移住 者の中に,Aさんの曽祖父母たちも含まれていた。朝 鮮半島で,「朝鮮の貴族の下で働くのは大変だったた めに,より良い生活のために,ロシアと朝鮮を行き来 する中で移住した」という。Aさんの祖父母は共にロ シア極東地域で生まれ,父母もそれぞれロシア極東地 域の異なる町で生まれた

1937年に,Aさんの父も母も,最初はカザフスタン に強制移住させられた。当初は自由な移住は許されて いなかったが,1953年のスターリンの死後,朝鮮族 は,「土地が良くないカザフスタン」から少しずつウズ ベキスタンへ移住していった。そうした移住者の中 に,Aさんの父母も含まれていた。

ウズベキスタンに強制移住させられた多くの朝鮮族 が,ソ連国籍を得るためにロシア正教に改宗したとい う。

子どもに聖人の名前を付け,ロシア風の名前にす る人びとも多数いた。Aさんの苗字は朝鮮風のものだ が,名前はキリスト教に由来するロシア風の名前であ る。ソ連は多民族国家であったが,朝鮮族は,「ロシア 文化を受け入れて,社会的地位を得た」と語る。

Aさんはロシアの大学で学んだ後,語学教師になっ た。夫もロシアの大学で学び,研究者になった。夫の 兄弟や Aさんの義理の兄弟など,親族には大学教員が 多く,ロシアの大学で教鞭を執っていたり,北米の大 学を卒業したりした親族もいる。Aさんの息子のうち ひとりは留学先の日本で会社を経営しており,韓国人 の女性と結婚した。もうひとりの息子は,日本の大学 院に通っている。首都圏で暮らしている娘もおり,そ の夫は独立後にウズベキスタンに来た韓国人である。

韓国からウズベキスタンにビジネスで来る人がいた り,逆に,ウズベキスタンから韓国に出稼ぎで行った りする人も多い。それは,「朝鮮族のためのビザ」があ り,「気軽に韓国に行ける」からだという。

(2)地方都市在住者の事例:Bさん
Bさんは,ウズベキスタンの地方都市で生まれ育っ た18歳の男性である。調査当時,職業専門学校に通う 学生(当時3年生)であった。インタビューに際して, Bさんの友人(朝鮮族以外の民族2名)も同席した。

将来韓国に行くことに備え,現在,Bさんは朝鮮語 を習っている最中である。

Ⅴ.考 察
韓国の移民労働者受け入れ政策が挙げ られる。2007年,韓国政府は「外国人勤労者の雇用等 に関する法律」を一部改正し,中華人民共和国国籍お よび旧ソ連地域の国籍を有する朝鮮族に,韓国内での 自由な就業を認めるようになった42)。


1)半谷史郎・岡奈津子:『中央アジアの朝鮮人-父祖の地を 遠く離れて』,4頁,東洋書店,2006.

5)Kim,GermanN.andKing,Ross.:‘KoryoSaram:Koreansin theFormerUSSR’,“KoreanandKoreansAmericanStudies Bulletin”,Vol.2:No.2&3,EastRockInstitute:New Haven, 2001.(=柏崎千佳子訳:「コリョサラム-旧ソビエト連邦 のコリアン」,髙全恵星監修:『ディアスポラとしてのコリア ン-北米・東アジア・中央アジア』,373頁,新幹社,2007.)
18)Kuzin,AnatolijTimofeevich.:“Daljnevostochnye Korejtsy: Zhiznj i Tragedija Sudjby”, Daljnevostochnoe knizhnoe izdateljstvo:Yuzhno-Sakhalinsk,1993.(=岡奈津子・田中水 絵訳:『沿海州・サハリン 遠い昔の話-翻弄された朝鮮人 の歴史』,22頁,凱風社,1998.)

20)Kuzin,AnatolijTimofeevich.:op.cit.,(=前掲,25頁).
21)半谷史郎・岡奈津子:前掲,20頁.
22)同上,28-30頁.
23)ソ連人民委員会議・全連邦共産党中央委員会決定第1418- 326号極秘,1937.
24)半谷史郎・岡奈津子:前掲,35-36頁.
25)Kuzin,AnatolijTimofeevich.:op.cit.,(=前掲,161頁).
26)同上,36頁.











図説イスラム教の歴史
菊地達也 編

30年以上も前、井筒俊彦訳でコーランを流し読みしたことがる。いまでも本棚のどこかにあるはずだ。新約バイブルと異なり井筒俊彦訳では面白くなく、ほとんどどの節にも最後の審判の日の記述があり不思議に感じた。その後、コーランは朗誦されるべきものであること、そして、アラビア語の原典は強烈なインパクトを有する名文中の名文で書かれており、ヒトの言葉ではなくまさに神の啓示とも言えるようなものすごい格調を有する文章であることを知り、だからこそ、「神の啓示」として尊重されていることを知った。イスラム教の入門書であるが、複数の著者によるものであり、いまいちであるが、12イマム派の語源を知った


p7
「アブラハムの宗教」においては
実践することが求められるのである
キリスト教では
うすまっているが。
イスラム教はユダヤ教同様このような要素を維持している

p26
預言者との血縁の近さを絶対視したのが、イスラム史上二番目に生まれた宗派、シーア派であった

IMG_1740

p34
シーア派と違い両派にはくみしなかったその体制の人々が長い時間をかけて自己形成した結果生まれたのがスンナ派である

p59
シーア派では預言者ムハンマドの後継者をイマームと呼び、アリーが初代のイマームとなったと考える
IMG_1742
【画像中にアッバース家はウマイヤ家よちも預言者の家系に近い旨】
p62
アッバース朝による迫害
749年に成立したアッバース朝はその初期からシーア派を弾圧し、7代目以降のシーア派イマームは何度も投獄、幽閉された。この時期イマームが直接的に信徒を指導することがむづかしくなり、イマームは手紙や代理人を通じて信徒と交流するようになった。イマームは代理人制度を整備していき

p63
幽隠(カイバ)
874年以降12代イマムが代理人を通じてのみ信徒と交流を取るようになった状態を小幽隠と呼ぶ。そして、940年に4人目の代理人が死去する際に12代イマムは代理人を置かず信徒との交流を絶つことを宣言した。この状態を大幽隠と呼ぶ現在まで続いている。12代イマムは最後のイマムであり、復活の日の前の日に再臨し地上を正義で満たすと信じられている

高学歴中国朝鮮族の韓国への移動の実情と適応
鄭 春美(国際学研究科博士後期課程)

宇都宮大学国際学部附属多文化公共圏センター年報
2021-03

ソ連の沿海州に居住していた朝鮮族は、強制移住により消滅した。強制移住の理由について、通常はソ連政府が第二次大戦勃発後に行った他の少数民族への強制移住と同じ理由とされること多い。確かに

「ソ連人民委員会議・全連邦共産党中央委員会決定 極秘            1
1937年8月21日 極東地方国境地区の朝鮮人住民の移住について

ソ連人民委員会議および全連邦共産党中央委員会は決定する。 極東地方への日本のスパイ活動の浸透を阻止するため、以下の措置をとること。」とある

しかし、誰も知らないことであるが、アメリカの米国国立公文書館のウェブサイトで臨時政府について調べた際に、ソ連は朝鮮族からのみで、移住後(又は移住とほぼ同時に?)2個師団編成していることを全く偶然に知った。強制移住対象者は、17万人程度であったからして、若い男性のほぼ全員が徴兵された。これは、客観的に見れば、事実上のソ連領内の朝鮮族撲滅政策が実施されたことを意味する。

李, 眞惠. 現代カザフスタンにおける高麗人(コリョ・サラム)社会の変容. 京都大学, 2019, 博士(地域研究)
上記の学位論文要約から引用するが、遺伝的には集団遺伝学論文が正しいのであればほとんど異常と言ってよいほどに特異な人々のロシア化には100年近くもかかったようだ。それにしても、中央アジアから更にソ連内各地へ恐らくは事実上強制移住?させたのには驚いた。間違いなく、ソ連の指導層は、根拠なしに直観的に朝鮮人の遺伝的特性に気づいていたと考えてよい。

「第2章は、カザフスタン・コリョ・サラムに対する視座を論じている。朝鮮半島から ロシア帝国領沿海州へ、ソ連スターリン期の強制移住によりそこから中央アジアへ、 ポスト・スターリン期には旧ソ連圏各地へ、という数段階の移住・定着を経て、独自 の生存戦略や「コリョ・サラム」という自称の選択と定着がみられたことが指摘され た。ソ連解体後、国外移住が比較的少なかったカザフスタン・コリョ・サラムにおい ては、都市化の比率が高く、また民族語(コリョ語)の使用率が低くロシア化が顕著 だという特徴を持つことが示された。」

日本人の場合でも、韓国駐箚軍参謀長・大谷喜久蔵と韓国 : 大谷関係資料を中心に
では「朝鮮は怪物屋敷」「猜疑心に富み且つ殆んど先天的に詭弁を弄し中傷を策する雑輩」
等の表現で、直観的にその異様性を表現している。現在の韓国の出生率が回復しなければ、500年後には怪物屋敷の住人は最大でも100万以下になり消滅する。

しかし、どうしてもわからないのが、何故集団として存続しえたのか?集団遺伝学では地理的に孤立し遺伝的流入が全くない状態で、本来集団から削除せられるべき非同義変異が集団内に定着し広がることはありうる。しかし、標準的な考え方ではその確率は相当程度に低いはずなのである。にもかかわらずそうではない。
しかし、中国の百度で朝鮮族人口で検索すると下記年齢構成グラフのとおりであり、移住がなくとも、韓国と全く同様に中国内の朝鮮族は恐らくは200年後にはほぼ完全に消滅する。怪物屋敷の住人連中は、中国内の同胞が、何もしなくとも自分たち同様にもっと遥かに早く確実に消滅することに全然気づいてはいないであろう。
(人口総数約180万、中国語ウェブサイトはコチラ
データから推定した合計特殊出生率は、0.23~0.3という数値であり、人為的要素がなければありえない低さである)

2022-02-21 (2)

①二つのインタビュー事例の記述があるが、出国理由は明確ではない
②アンケート項目として、何故中国を出国したのか?という肝心の項目がない。

中国内の朝鮮人が急速に減少している理由の一つとして、韓国の法改正があったことを知った点にのみ意味があった。高学歴の朝鮮人さえも中国を離れようとしているのだ。急速な経済発展を見せている中国を離れようとしているのだ、

カザフスタンからソ連各地への再度の移住については、事実上は半強制的なものであったであろうが、

「多国家市民」 としての高麗人研究 「多共和国ソビエト連邦人民」 からの変遷
申 明直  によれば、

「1956 年 7月, ソビエト共和国連邦の最高会議は 「特別移住民の居住制 限措置の解除法」 を発表し, その結果中央アジアの高麗人にも初めて居住移転の自由 が与えられた。しかし個人的移住ではない集団移住は, 法的動機より経済的動機によって行われる ケースが多かった。」

とし、この記述の後に、
「相対的に運営状態が良かった高麗人コルホーズは運営状態 が劣悪だった 「地方民」  たちの負債を引き受けるしか方法がなかった。」

というどう見ても不思議な移住理由の記述が続く。これが事実であれば、推測するに、経済面で迂回的に追い込み、事実上は反強制的に当時のソ連内カザフスタンから退去させたようだ。しかし、上記の内容はどうみても?であり、不思議に思い参考文献を見てみると、ほぼ全てが怪物屋敷の住人連中であった。




中国朝鮮族(以下、朝鮮族)の海外移動は量と 質の面で共に重要なターニングポイントに達して いると言える。長い間、朝鮮族の移動は低学歴の 社会階層が中心を占めてきた。現在は、高学歴朝 鮮族が大量に海外移動している。その移住先で は圧倒的に韓国が高い比重を示す。なぜ学歴の ある朝鮮族が大量に移動しているのか?韓国政 府の方針は、高学歴朝鮮族の移動にどのような 影響を与えているのか。高学歴朝鮮族は韓国社 会にどのように適応しているのか。

高学歴朝鮮族の韓国への移動を大きく促した のが、在外同胞資格(F 4 )の新設である。

「在外同胞の出入国と法的地位に関する法 律」(在外同胞法、1999年)によって、在外同 胞資格は1999年に設けられた。

2008年から2016年までをみると、年間入国者 数は最大でも8,388人に過ぎず、累計でも、39,866 人に過ぎない。しかし、他の滞在資格から在外 同胞資格へと変更した人数は2016年までに23万 人を超え、2016年末時点での在外同胞資格滞在 者数は275,342人(男135,004人、女140,338人)で在留資格取得者の中では最も多くなってい る。

NEVERに朝鮮族とキーワードで検索する と、まだ険悪、犯罪、アイデンティティ、 2 等 国民など悪いイメージの代名詞が出てくるが、 朝鮮族 3 世による「悪くない朝鮮族」のイメー ジへと段々と変わっている。

まだ朝鮮族と聞く と、建設現場の労働者や食堂の女性、家事ヘル パーに代表される 3 D業種の低賃金労働者を思 い浮かべるのが一般的である。

本論文における最も重要な概念は「適応」で ある。

【大林洞朝鮮族タウンという特定の地点での下の表にあるように142人へのアンケート調査である。】
2022-02-19

【下のように高学歴層ですら韓国では明らかに蔑視されている。まして、普通の労働者層ではもっと酷いであろう。理解と同情も同様に多いという奇妙な結果であるが、これは韓国では黒人は事実上人間扱いされない(=正式に黒人と結婚したキチガイどもの女はほぼゼロであろう)のに対し、少なくとも、同胞であるとみなしていると感じていると推察される】

2022-02-19 (1)

延辺朝鮮族の社会学的考察
エスニシティに対する接近を中心に

綛谷智雄
アジア研究 Vol. 48, No. 2, April 2002

キチガイどもの異常性は、遺伝的要素に加え韓国というまさに病身国家という環境が加わっていることを明確に示す内容である。

赤字にしておいた部分のみ、意味がある


中国吉林省の延辺地区は、隣接する朝鮮半 島にそのルーツを持つ少数民族・朝鮮族の自 治州である。1999 年現在、同地区に居住す る朝鮮族の人口は約 85 万人(1) であり、約 200 万人といわれる(2) 中国朝鮮族全体の 4 割 以上が同地区に集中している計算になる。

中国朝鮮族のエスニシティに関しては、カ ン・ジェシッ「中国東北地方朝鮮族の民族意 識に関する研究」(1992)、藤井幸之助「中国 朝鮮族の二重言語および民族意識にかんする 予備調査」(1993)、韓景旭「中国『内地朝鮮 族』のエスニシティ─若者三世の事例を中 心として」(1995) などの論文・調査報告が ある。

1999 年現在、朝鮮族人口は延辺自治州全人 口の約 39 % を占めているが、同州における 最 大 の エ ス ニ ッ ク 集 団 は 漢 族 で あ り 、 約 58 % の占有率を示している。自治州設立当 時 (1952 年) の人口比率は、朝鮮族約 62 %、 漢族約 36 % であったが、1964 年に漢族の人 口占有率が過半数を超えて以来、人口におけ る漢族優位の傾向が強まりつつある。

海外への人口流出のうち注目されるのが、 韓国人男性との国際結婚による朝鮮族女性の 韓国移住である。延辺自治州における国際結 婚件数は、1990 年の 23 件から、中韓国交樹 立の翌年である 93 年には 630 件と急増し、 以降増加の一途をたどり、97 年には 3,066 件 に達している(21)

延辺朝鮮族自治州においては、「朝鮮語と 朝鮮語文は、朝鮮族人民の自治権を行使する 重要な言語文字道具である」(27) と条例に明記 されており、同地区における朝鮮語は漢語 (いわゆる「中国語」) とともに、公用語として の地位を確立している。

2001 年 6 月現在、 自治州内の延辺テレビ放送局では、同一内容のローカルニュースを、異なる時間帯で朝鮮 語と漢語によってそれぞれ放送しており、朝 鮮語のみによる娯楽番組も制作・放送されて いる。また、ローカルニュースのみならず、 中国中央放送局のニュースも一部、翌日には 朝鮮語に吹き替えられて放送されている。

このよ うな状況をみると、現在、延辺朝鮮族自治 州 に お い て は 、言 語 面 に お け る 多 元 主 義 (pluralism) が制度的に保障され、実践され ているといえよう。

朝鮮語放送において注目されるのが、韓国 のテレビドラマの放映である。延辺テレビ放 送局では韓国で過去に放送された人気ドラマ を定期的に放映しており、また、衛星放送を 通して韓国のニュースやドラマをリアルタイ ムで視聴している家庭もある。これらの番組 の視聴者は、「韓国語」をはじめとする韓国 人の生活文化を疑似体験する機会が、他の地 区の住民よりも相対的に多いとみることがで きる(28)

延辺地区の朝鮮族 2,000 世帯を対象に 1990 年代前半に実施された調査(29) によると、 日常的に使用する言語は朝鮮語 89.7 %、漢 語 5.2 %、朝漢併用 5.1 % となっている (表 2 参照)。

「中華人民共和国民族区域自治法」第 37 条 では、民族自治地方における民族教育の発展 と民族語による教育の必要性を明文化してい る(31)延辺朝鮮族自治州においては、この 法律に基づいて自治条例が定められており、 朝鮮族学校での朝鮮語による教育は、国家と 州によって保障されていることになる。

1.事例紹介: E 氏の生活史 E 氏は 1931 年、日本の支配下にある延辺 (当時の間島省) の和龍で生まれた

E 氏が通った小学校の校長は日本人で、教 師は朝鮮人だった。1 年生のときには朝鮮語 が教科としてあったが、それ以降は日本語一 色の学校生活だった。学校で朝鮮語を話した 生徒には「罰符」が渡され、最後までそれを 持っている者には罰が与えられた。

解放後、中学校に進学した E 氏は、初めて 学校で朝鮮語の読み書きを習うことになり、 漢語の学習も始める。

高校卒業後 E 氏は、延辺を離れて吉林市に ある大学に通うことになる。入試にあたって は少数民族に対する優遇措置が実施されてい た。

次に「婚姻的同化」についてみてみよう。 E 氏は朝鮮族女性と結婚したことを当然視しており、子供たちの中にも漢族と結婚した者 はいない。

これは F ・ G ・H・ I の各氏とも 同様である。朝鮮族と漢族間の婚姻に関して は、その具体的数に関する資料は残されてい ないが、延吉市政府婚姻登記所関係者による と、「統計をとる必要がないほど少ないが、 最近は以前より増えてきた」(47) とのことであ る。
また、「最近は以前のような (漢族との結 婚に対する周囲の)『決死的反対』はなくなっ た」(48) という同関係者のことばからは
、漢族 との婚姻に対する朝鮮族社会の抵抗感が弱ま りつつあることがうかがえる。しかし現在の ところ、延辺朝鮮族の漢族社会への「婚姻的 同化」の進行度は、全体としてはゆるやかなものであるといえよう。

朝鮮に帰国しなかった理由について E 氏は 明らかにしていないが、現在においても、ス ポーツ競技観戦の際に、自身が国籍を置く中 国よりも、「同じ民族」が暮らす北朝鮮・韓 国に感情移入をすることや、両国の経済面で の発展を願うコメントなどからも、彼の「朝 鮮人」としてのアイデンティティの強さを垣 間見ることができる(50)

以上整理すると、延辺朝鮮族二世である E 氏のエスニシティにおける「朝鮮人」として の要素は、文化・行動、婚姻、アイデンティ ティなど各側面において相当に維持されてお り、漢族社会への同化傾向は顕著なものでは ないといえよう。このようなことから、延辺 朝鮮族自治州という多元主義的空間におい て、エスニシティにおける「朝鮮人」として の要素が形成され、それが相当に継承・維持 されている様子がうかがえる。

韓国人に対する反感を表明する若年世代の 朝鮮族は少なくない。「韓国人留学生と会っ たことがあるが、虚栄心が強く、いばってい る感じがした。経済発展のためだろう」(P 氏:四世・ 1975 年生まれ: 99 年 9 月 1 日調査)、 「韓国人は、延辺朝鮮族を同じ民族とは考え ずに、見くだしているようである」(Q 氏:三 世・ 1976 年生まれ: 99 年 9 月 6 日調査)、「高校 生のとき、韓国人留学生に会ったことがある が、よい印象はない。えらそうにしている感 じだった」(R 氏:三世・ 1978 年生まれ: 99 年 8 月 31 日調査)、「韓国全体としての経済発展 は喜ばしいが、延辺の人間を見くだす韓国人は多い」(S 氏:四世・ 1977 年生まれ: 99 年 9 月 2 日調査) など、韓国人への強い反感は、韓 国 人 に 対 す る 「 同 じ 民 族 」 と い う 連 帯 感 (ethnic solidarity ) を弱め、その反動として、 「中国人」としてのナショナル・アイデンテ ィティを強化するのではないかと推測され る。

マッカーサー大戦回顧録
ダグラス・マッカーサー

マッカーサーが80歳を過ぎて執筆した自伝である。アメリカ海軍がフィリピンを素通りして台湾攻略を計画していたことを知った。もし、その通り実行されていれば、日本側は完全に裏をかかれ、第二次大戦における太平洋での米軍死傷者は大幅に減少していたことは確実であろう。ルーズベルトの判断誤りと考える


p67
【マッカーサーがフィリピンを脱出する際の記述として】
私がまず気を使ったのが同行者を選ぶことであった。私の家族意外に17人が同行することとなったが、この軍人たちは将来のフィリピン会報に役に立つという点で選ばれたもので、その大部分はのちに南西太平洋地域司令部の幕僚となった


【第二次大戦中一貫して参謀畑を歩んだ富岡定俊氏の戦後の回想では、同氏はオーストラリア侵攻を絶対に必要としていたとのことである。アメリカの反撃は明らかにオーストラリアを補給拠点とするからである。しかし、陸軍はとてもその兵力はないとして、反対したそうである。
第二次大戦において、日本はアメリカの物量に圧倒されたのではない、間違いなく100%完全に頭脳において遥かに劣っていたのである】

p87
オーストラリア地上軍は大部分は中東に出兵していて、米国はここに1個師団しか持たず

p88
オーストラリアの各幕僚長の考えや計画は
ブリズベーンから南のアデレードまでほぼダーリング川に沿う仮の線を引いてその線を死守するというのだ。この計画ではオーストリア大陸の4分の3以上を占める広大な西部と北部の地域を放棄してしまうことになっていた


p89
私はこのオーストラリア軍の計画を一切放棄して防衛線を遥か前線のニューギニア東部に進め
日本軍を
険しい山々で食い止める、つまりオーストラリアの防衛線を国教の遥か外で戦うことを決意した
この決意は私がこれまでに下した最も困難で危険の多い決定の一つであった


p209
そこで海軍が計画を提出したがそれはフィリピンを素通りして台湾を攻撃するというものであった

p213
【このページの記述全体からして、マッカーサー以外のほぼ全ての者は、台湾進攻計画がベストと考えていたことは明らかである。】
レヒー提督は私の考えを支持している様子だった
大統領は私の進言を受け入れフィリピン奪還計画を承認した

P224
日本軍の将校は上級ほど素質が落ちる。日本の将校団は基本的に階級主義と封建的な制度で成り立っおり、厳密な職業的能力によって選ばれていない。ここに日本の弱点がある

p417
9月2日現在、日本軍は、
合計6百98万3千人を数えていた

p452
改正案を見せられた天皇は、即座にそれを承認して



Population genomics of East Asian ethnic groups
Ziqing Pan & Shuhua Xu
08 December 2020

2020年に出されたレビュー論文である。しかし、韓国人対象の全ゲノムシーケンス論文として、2つのみしか掲げていない。従って、レビュー論文とししてさえも意義を有さない

①度々参照論文に挙げている10は、下記論文
Genetic structure, divergence and admixture of Han Chinese, Japanese and Korean populations

②キチガイどもの全ゲノムシーケンス論文として下記を挙げている
The origin and composition of Korean ethnicity analyzed by ancient and present-day genome sequences


①②とも読んでメモ済み、②は単にSNVsを比較したに過ぎない

We mainly focus on insights from the whole-genome sequence data and also include the recent progress based on mitochondrial DNA (mtDNA) and Y chromosome data.


Table 1 A summary of recent studies on EA populations

From: Population genomics of East Asian ethnic groups

Population

Ethnic Group

Data

Reference

Japanese

Mainland Japanese, Ainu and Ryukyuan

MtDNA and Y chromosome

[16]

Microarray genotyping

[101114151739]

Whole-genome sequencing

[1342]

Korean

 

MtDNA and Y chromosome

[21]

Genotyping

[101943]

Whole-genome sequencing

[1844]

Chinese

Han Chinese

MtDNA and Y chromosome

[4745]

Microarray genotyping

[310]

Whole-genome sequencing

[2346,47,48]

Tibetan and Sherpa

Microarray genotyping

[35364149]

Whole-genome sequencing

[273650]

Third-generation sequencing

[51]

Uyghur

MtDNA and Y chromosome

[2425]

Microarray genotyping

[26]

Mongolian

MtDNA and Y chromosome

[2930]

Microarray genotyping

[31]

Whole-genome sequencing

[3233]


23 A comprehensive map of genetic variation in the World’s largest ethnic group—Han Chinese




Japanese populations

The first Paleolithic period dates back to 14,500 years ago (ya), followed by the Jomon period spanning from 14,500 to 2300 ya, and the third Yayoi period from 2300 to 1700 ya.

【弥生時代の始まりを2300年前としており、著者2名は、国立遺伝研のジーナム助教を筆頭著者とする論文を掲げてはいるものの、これらの参照論文を正確には読み切れていないことが明白であり、かつ、最新論文を参照論文に掲げていない】

Korean populations

The Korean Peninsula is located to the north of China and its northeast region is bound by Russia. The Korean population has been thought to be highly homogeneous with few admixtures in its history [101819].

Similarly, a study based on genome-wide SNP data also supports the male-biased south-to-north migration [22]

A recent study employing more whole-genome data of both present-day and ancient populations recaptured the two major genetic components from East Siberia and Southeast Asia [18].

Chinese populations

It separates the two components into four specific origins, which consist of European (24.9-36.6%), South Asian (12.0-19.9%), Siberian (15.2–16.8%), and East Asian (28.8–46.5%). Based on the different compositions of the genetic make-up, the Uyghur population could be divided into two sub-populations, namely, the northeast and southwest.

Researchers also estimated the admixture time and proposed a two-wave admixture model.

First, West Europeans and Southern Asians admixed as the Western component (WE-SA) in 5000–3750 ya, whereas the Eastern Asians and Siberians met in the East and formed as the Eastern ancestries (EA-SIB) in 5500–5000 ya.

Subsequently, the mixed WE-SA and EA-SIB joined together as the founder of Uyghur’s gene pool. The West-East contact possibly occurred twice, one in around 3500 ya and the next in 750 ya.

Relationship and origin of EA groups

However, the HUGO-PanAsia study has provided compelling evidence for a south-to-north direction of EA population spread, including a higher haplotype diversity in the south and higher proportion of Southeast Asian haplotype that shared among EAs, coupled with a maximum-likelihood tree and phylogenetic reconstruction using group private haplotypes analysis, which all pointed to south-to-north migration events and unified the field [3, 6].

Based on genetic differentiation (FST) and effective population size (Ne) inferred from the modern genome data, researchers estimate the divergence time between present-day Han Chinese and Japanese to be ~ 3600-3000 ya, and the divergence time between Han Chinese and Korean as ~ 1200 ya while Japanese and Korean separated ~ 1400 ya [10]. 

Evolutionary forces driving genetic diversity of EA populations


Mutation, ①genetic admixture, ②genetic drift and ③natural selection are noted as major driving forces that contribute to the genetic diversity among populations.

【確かにとのとおりであり、②がキチガイどもにモンゴル軍侵攻により生じた可能性が朝鮮史から見て高いが、理論上は、人口が25万~30万程度に減少したに過ぎないため遺伝的多様性は十分に保持され、遺伝的影響は少なかったはずである】

Because new mutations rarely play a major role in the evolution of genetic diversity in human populations, which is particularly true in closely related EA populations, we mainly focused on the latter three mechanisms and illustrate their roles in forming the genetic diversity of present-day EAs.

Genetic admixture



It has been reported that the major source of gene flow to Han Chinese was from southern ethnic groups, the major source of gene flow to Japanese was from southern islands, while the major source to Koreans were from both mainland and islands [10]

Genetic drift

Population structure-based studies, including ADMIXTURE and PCA, showed genetic diversity among Ryukyuan sub-populations, while the D-statistics did not significantly depart from zero, which suggests that genetic drift plays a predominant role in shaping the genetic structure among Ryukyu landers [14].

Whereas, the Korean population expanded faster than the Japanese in the last thousands of years [10]. These uneven rates of population expansion may strengthen the genetic drift in archipelagos and peninsulas, which is expected to increase population genetic diversity.

Natural selection

These EA-specific genes include EDAR (ectodysplasin A receptor), FADS (fatty acid desaturase), OCA2 and ADH (Alcohol dehydrogenase) gene [22, 37,38,39].

日本国及び日本人論
ゴロウニン

日本に江戸時代末期に1年以上も幽囚されていたロシア人海軍将校の記述である。赤字の部分が重要であり、19世紀の一次的なフランス等での日本ブームとは別に、それ以前の17世紀のヨーロッパ人の日本人観は全く異なっていたようである

p24
しかしそれにもかかわらず、日本から放逐された宣教師たちは弁解の為と彼らの欺きそこなったこの国民への憎悪からヨーロッパ人の面前でこの日本人を狡猾背信で恩知らずで復讐心の強い国民だと見せかけた
ヨーロッパ人は修道院的悪意に満ちたこれらの話をこれらの話をすっかり信ずべき真実だと受け取った


p31
日本の国民教育については全体として一国民を他国民と比較すれば日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や祖国の法律を知らない人間は一人もいない
日本人は農業園芸狩猟絹及び綿布の製造、問い時期及び漆器の製作、金属の研磨についてはほとんどヨーロッパ人に劣らない

p32
国民全体をとるならば日本人はヨーロッパの下層階級よりも物事に関し優れた理解力を持っているのである

p37
もしこの国民多く、聡明怜悧で、模倣力があり、忍耐強く、仕事好きで、何でもできる国民の上に、我が国のピョートル大帝ほどの王者が君臨したならば、
日本を全東洋に君臨する国家たらしめるであろう



物語フィンランドの歴史
石野裕子
赤字部分の補足として、ウキペディア記事からコピペしておく。

「フィン・ウゴル語派(フィン・ウゴルごは、Finno-Ugric languages)は、ウラル語族に属する言語群。 ハンガリー語、フィンランド語、エストニア語などを含む。

約200の共通基礎語彙が明らかにされており、親族名称や人体語彙のほか、漁労、狩猟・牧畜(特にトナカイ)、技術・建築、天候などの語彙がある。構造的にも類似の性質が多く、これらも祖語にさかのぼると考えられる。」

はじめにp1
フィンランドの国土は平坦で、その10分の七は森林でおおわれ
人口は550万人(2016年)

フィンランドは13世紀から600年もの間スウェーデン王国に統治され、その後も100年もの間ロシア帝国統治下に置かれた

はじめにp2
第二次大戦が勃発した1939年フィンランドはソ連に侵攻され
講和条約で全土の10分の一を失った
講和後は独立存続のためにソ連の敵であるナチスドイツに接近、秘密協定を締結、1941年6月フィンラ
ンドはドイツのソ連侵攻と同じくしてソ連に進撃。
戦闘を繰り広げた。
1944年9月にソ連と休戦協定を締結
自ら戦争責任裁判を行い大統領をはじめ政治家が刑に服することとなった

p4
北欧4国の言語がインド・ヨーロッパ語系に属しているのに対し、フィンランド語のみが、フィン・ウゴル語に属するため、フィンランド人は北欧諸国ひいてはヨーロッパとは異なる民族であるという印象が強い

p7
2016年
五大陸に住む6万706人の遺伝子情報を分析した論文を発表した
フィンランド人の遺伝子は他のヨーロッパ人と異なるという結果が導き出されたという

p49
フィンランドは1809年から100年
ロシアの統治下にはいる
そのきっかけは、1808~09年に戦われたスウェーデンとロシアによるフィンランド戦争であるが、

p103
ポリシェビキ政権の独立承認を受けて
【1917年12月6日に独立宣言】

知の統計学
福井幸男

関西学院大学商学部教授に方による非常に分かり易い基本統計学解説書。表現が?な場合が多いいわゆる統計屋の解説本と異なり、無難な内容であるし、例がうまい。

適合度検定=理論値(=期待値)が既に分かっている場合の検定=P値は、

①カイ2乗値=(観測値ー理論値)の2乗和÷ 各理論値

②自由度は、項目数ー1

③自由度に応じたカイ2乗分布で、P値算出







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図説 日本人の原郷
萩原 秀三郎

東京教育大学日本史科卒業後に教師にはならずフリーの写真家になられた方によるミャオ族の豊富な写真のある著作。従来から民族学者は、中国南部の少数民族の風俗と日本の風俗との類似性を頻繁に指摘しているが、1990年発行のこの著作が、その大元であったかもしれない。この方が写真で示した類似性を示す集団遺伝学論文が出たのには驚愕した

2022-03-04

②赤字の部分が、注目される。記述内容は正しいようである。現在の韓国でも、犬は食用である。

朝日遺跡出土のイヌと動物遺体のまとめ
西本 豊弘


d.狩猟犬か食用犬かの問題

縄文時代ではイヌは狩猟に用いられた。イヌ の骨に解体痕がみられることもあるが、一般 にイヌは埋葬される。四肢骨がバラバラでみ られることもあるが、頭蓋骨から指骨まで全 身揃って出土することが多い。

弥生時代にな ると、骨がバラバラになって出土し、解体痕 をもつ骨も縄文時代より多くなる。この遺跡 でも一個体のイヌの骨がまとまって出土する 例が1例みられるが(61AB―220~234)、大部 分は散乱状態で出土している。縄文時代のイ ヌとは異なって埋葬されずに食用とされた可 能性が高い。解体痕のみられるものは頭蓋骨 1例・四肢骨3例と少ないが、いずれも鉄器 によると思われる鋭利な傷であった。


p23
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p24
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【掲載写真で日本との類似性を感じさせたのは上の通り】

ミャオ族やトン族は餅を好み正月の儀礼食とする


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p223
入れ墨のないミャオ族

p229
弥生人は犬も食べた。縄文人は愛犬を埋葬したのに対し、弥生人の犬の骨はバラバラに出てくる。

p233
結論として、日本の稲作文化の源流は長江中流域にあること。ここでミャオ族を中核とした民族文化が様々な分化要素をセットに醸成され、文化だけではなく担い手の民族自体が、山東半島より朝鮮半島に渡り、いくらかの朝鮮民族と共に北九州に渡来した

その渡来の時期は、春秋末期から戦国時代にかけての動乱期。呉が滅び、越が衰え、楚が勢力を山東にまで拡大しものの、秦によって滅ぼされたころ(前223年)

Genetic Structure of a 2,500-Year-Old Human Population in China and ItsSpatiotemporal Changes
Li Wang, Hiroki Oota, Naruya Saitou, Feng Jin, Takayuki Matsushita, and Shintaroh Ueda
Accepted May 29, 2000


①まさにビックリ仰天の結果が出ている。古代人のサンプル数は63遺骨もあり、試料汚染でなければ、この論文のとおりかもしれない。執筆者6名中の4名は日本人であり斎藤教授も加わっているが、筆頭著者も現在はどうか知らないが論文執筆時は東大所属であり、事実上は完全に日本で書かれた論文である
2500年前中国山東省のつけ根付近には、ミトコンドリアDNA分析からは、現在のキルギス人と同じ人々が住んでいたことになる。

②地学雑誌に斎藤教授が日本語で書かれた論文の元となる論文である

③弥生人は、篠田氏らの研究グループの主成分分析図から総合的に見て、現代韓国人の祖先とは完全に異なる別グループで、中国山東半島~淮河附近に住んでいた現在は消滅しているかもしれない民族の一部が山東半島~遼東半島~朝鮮半島を南下して九州北部に到達した可能性が高い。


we compared the mitochondrial DNA (mtDNA) sequences of three populations that lived in the same location, Linzi, China, in different periods: 2,500 years ago (the Spring–Autumn era), 2,000 years ago (the Han era), and the present day.

the 2,500-year-old Linzi population showed greater genetic similarity to present-day European populations than to present-day east Asian populations.

he 2,000-yearold Linzi population had features that were intermediate between the present-day European/2,500-year-old Linzi populations and the present-day east Asian populations.

 These relationships suggest the occurrence of drastic spatiotemporal changes in the genetic structure of Chinese people during the past 2,500 years.

Materials and Methods
These sites have been dated to the Spring–Autumn (770 B.C.–403 B.C.) and the Han era (206 B.C.–A.D. 220) in China

2000年前については、63個体

現在については50名

Results and Discussion

 2022-02-04
Surprisingly, the three smallest genetic distances for the 2,000-year-old Linzi population were from the present-day central Asian populations: the Kirghiz (Sary-Tash), followed by the Kazakh and the Uighurs.

Even more surprisingly, the three smallest genetic distances for the 2,500-year-old Linzi population were from the Turkish, Icelander, and Finnish, rather than from the east Asian populations.

The similarity between the genetic structures of the 2,500-year-old Linzi population and the present-day European populations indicates that there was a genetic shift in the Linzi area from a European-like population to a population more like those found in present-day east Asia, probably caused by migration.

2022-02-04 (1)

遺伝 子か らみた東ユー ラシア人
斎 藤 成 也
地学雑誌 02年12月2日 受 理

DNAチップによるSNP分析が主流になる前の時点のものであるが、メモで青字にした部分には驚かざるを得ない。本当なのであろうか?特に、山東半島附近は、日本に稲作をもたらした人々の源郷である可能性が極めて高く、分析が正しいのであれば?であるが、弥生人についての貴重なデータと言える

下記が、その論文であり絶対に読もう

 Genetic structure of a 2500-year-old human population in China and its spatiotemporal changes. 



ミ トコン ドリアDNAは,ヒ トでは 塩基総数が約16,500個 で,核 内のDNAに 比べて ず っ と少 な く,ま た進化速度(突 然変異 を蓄積 す る速度)が 大 きい とい う利点 もあ り,過 去20年 間 に大 き く研 究が 進 ん だ。

 私 たちが開発 した 「近 隣結合 法」 (Saitou and Nei, 1987;斎 藤,1993)と い う方 法 を用 い てお り,横 の 枝 の 長 さは 遺 伝 子 の 変 化 量 に比 例 して描 か れ て い る。

【図1があるが省略する】


遺伝子 の大部分 は,46本 の染色体 に分 かれている細胞核 内のDNAに あ る。 これ らの遺伝子 は両 親か ら伝 え られ,そ れぞれ の 遺伝 子座 ごとに祖先 がいる。

この ような遺伝子 は 染 色 体上 の特 定 の場 所 に あ るので,そ の場所 は 「遺伝子座」と呼 ばれ る。あ る遺伝 子座には,父 親 由来 と母親由来のそれぞれの遺伝子 がある。

各 対立遺伝子 が淘 汰上中立 (中立進化)で ある場合 も,偶 然 によって変動が生 まれる。

集団問の分 岐を推 定す るの に用 い られている遺伝 子座の大部 分 は中立進化 を行 なっている と考 え られてい るの で,遣 伝 的浮動が突然変異 とな らんで集団間の遺 伝 的変化 を生 じるのに もっ とも重要 な要 因で ある。

IV. 東ユ ーラシア人類集団の遺伝的近縁図
 図2は,血 液 型,血 漿 タンパ ク,赤 血球酵素 の 計12遺 伝子座 の遺伝 子頻度デー タをもとに して, 筆者 が世界の30集 団問の近縁 図 を近 隣結合法 を 用いて描いた ものであ る(Saitou,1995)。
【図2があるが省略する】

 図3は,中 国海南 島の6集 団 を中 心 とす る東 アジア ・東南アジアの17人 類集団の遺 伝 的近縁 関係 を近隣結合法 で推定 した ものであ る (Saitouetal.,1994)。 まず 第一 に,フ ィ リピン の ネグ リ ト(「小 さい黒人」の意味)が 他集団か ら 大 きく遺伝 的に離れ ている。
【図3があるが省略する】
 第二 に,地 理 的に広い範囲 に分布 する東 ア ジァ の4集 団(モ ンゴル人,韓 国人,ア イヌ人,日 本 人)が 遺伝 的に近接 して いるこ とであ る。 これ ら 4集 団の近縁性 は,海 南島 とい う四国程度 の島の なか の6集 団の近縁性 よりもず っ と大 き く,お 互 い に近 い関係 にな って いる。

これは,こ れ ら東 ア ジアの集 団が比較 的最近 に拡大 して現在 の分布 を 形作 ったこ とを示 唆す るもので ある。 この近縁 図 はわず か12種 類 の遺伝子座 のデ ー タか ら作成 し た もので あ り,細 かい枝振 りはそれ ほ ど信頼 で き ない だろ う。

図4は,ア イヌ人,沖 縄 人,日 本本土人,韓 国人の4集 団について,遺 伝 的近縁 図 を作 成 した ものであ る (Omoto and Saitou, 1997)•B 

こ こ で は血液型8種 類,赤 血球酵素7種 類,血 清 タ ンパ ク質6種 類,そ の他 の遺伝子4種 類 の合計25遺 伝 子の遺伝子頻度 デー タを用 いて遺伝距離 を計算 している。 
【図4があるが省略する】

春 秋戦 国時代 を通 じての有力 国 の ひとつ 「斉」の都が あった臨潤(山 東半 島の付 け根 のあ た りに位置 する)と い う同 じ地域 の遺跡 か ら人骨標本 を得 て,ミ トコン ドリアDNAの 塩 基 配 列 を決 定 した。

同 じ地域 か ら現 代 中 国人 の DNAサ ンプルも得 て,同 一地域 の3時 代(現 代, 約2000年 前,約2500年 前)の 比較 を行 な った。

 問題 は中国の春秋 戦 国時代 と漢代 の2集 団である。前 漢末期 の臨淄
集 団が,現 代 東 アジアか ら離 れて,中 央 ア ジアの 集 団の中 に入 り込 んでいる。 さらに,春 秋戦国時 代 中期 の臨 集 団は,明 確 に ヨーロ ッパ集団 と近 い関係 となってい る。

2022-02-02 (3)


 この集 団の遺伝 的近縁図 に つ い て も,い ろいろ な解釈 が あ りえるだ ろ うが, 当時の中国 には,現 在 とは遺伝 的にかな り異 なる 人々が あち こちに移 り住 んで いた可 能性 が あ る



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