2019年11月

水野俊平という北海商科大学という名前も聞いたことのない大学の教授さんの朝鮮半島に関する著作である。ウィキペディアで調べると、妻は韓国人で、韓国に留学していたとのこと。
以前に、同じ水野氏の朝鮮の歴史に関する在日朝鮮人らしき人物との共著を読んだことがあるが、実に酷い内容であった。

この本のメインテーマは、下記のとおりであるが、外国人の目を通してしか知りえない点に驚愕する。


P7
一般的に朝鮮時代の庶民生活は19世紀末から20世紀初めに朝鮮を訪れた西欧人の見聞録を通じて語られることが多かった。


以下の通りであり、ぼぼ読んでメモしている。もう一冊ロシア海軍将校の書いたものがあるが、除外していい。

朝鮮幽囚記録 ヘンドリック・ハメル
(これに関しては、小川教授の論文が非常に参考になる)

悲劇の朝鮮 アーソン・グレブスト
(実際には訪問していないようであるが、キチガイどもは何故気づかないのだ?)

朝鮮事情 C・ダレ
(恐らく、これが最も正確に記述している)

朝鮮紀行 イザベラ・バード・ビショップ
(別ブログで詳細メモ。)

現在、日本にはまともな朝鮮史研究者など存在しない。武田幸男氏、宮嶋博司氏、馬渕貞利氏等日本人のまともな朝鮮史研究者は全て高齢となり事実上は研究停止状態であり、ごく一部の例外(10人以下)はあるが、ほとんど全て実態上は在日韓国・朝鮮人又は帰化した元韓国人によるあまりにも酷い歪曲と美化がされているに過ぎない。このことは、外国人による李氏朝鮮時代の記述からだけでも明らかである。その中で、水野氏に代表されるように天理教関係者のみが、純然たる日本人の朝鮮史研究者であろう。

水野氏は、この著作の中で李氏朝鮮時代の庶民生活に決定的な影響を及ぼしたであろう1659年以降は継続して実施されていた五家統法について何ら言及されていないのが残念である。庶民生活をメインテーマとするのであれば必ず言及するべきだ。

韓国の片田舎である済州島で育った呉善花氏が正直に告白されているように、「泥棒に入られたことがない家などない」状態は明らかに李氏朝鮮時代から継続している。五家統法は第二次大戦中に始まった日本の隣組とは全く異なり、連帯責任による統治手段であるが、朝鮮人のメンタルを象徴しているともいえる


P8
日本から唐辛子が入るまではキムチは辛くはなく、(以降略)

P17
朝鮮時代の身分階層については、両班、中人、常民(常人、良人)、賤人(奴婢)の4つに分類する考え方と、まず常民(常人、良人)と賤人(奴婢)に両分した後に両班を常民の上部に据える考えが得方の2つがある
これは、両班という階層の定義が多分に社会的な慣習に基づくものであり、可変的なものであったためである

P20
つまり、儒教を信奉し、科挙によって官吏に登用される素養を持ち、社会の道徳的基盤を維持する知識人であることが両班の条件であった

P21
その結果、時代が下がるにつれて両班の比率が高くなり、相対的に常民、奴婢の比率が低くなっていく。いわゆる庶民の両班化の結果である

P22
研究者によって異なるが、16世紀には全人口の3割ないし5割近くを奴婢が占めていたとされる

この一文は、宮嶋氏の著作の一文と内容的には全く同じ文章である。私は当初水野氏の経歴から研究者とは韓国の研究者のことであると解していた。

下は宮嶋氏 両班 岩波新書から。ヒトは環境の影響を強く受ける。韓国という人情には厚いが、明らかなDNA異常民族の環境下で一定期間過ごしている
p65「研究者によって見解が分かれるが、16世紀には全人口の3割ないし5割を奴婢身分の者が占めていたとされる」

P25
奴婢の逃亡は、18世紀にはいいって急激に増加し、奴婢人口の減少につながった

P26
はじめは技術職官吏を意味する用語だった中人(小見出し)

中人という名称の由来にはいくつかの説がある。まず、朝鮮時代後期の党派争いの中で政治的中立を保ったために中人という名が生じたという説、両班でもなく常民でもない中間に位置するためにその名があるとする説があある
また、漢城の中間地帯に居住していたところから由来したとされる説がある。

朝鮮事情では、中人は本来ソウルにしかいないと明記しており、これが正しい。その他の中人は、事実上は両班同様に単なる事実上の社会的身分詐称に過ぎない。両班の庶子も中人とみなす場合もあるが、首都の漢陽=ソウルが大部分のはずである。歴史学者よりも外国人の方が実情を伝えているという奇妙な状態にある


P26
技術職官吏を意味する中人には、訳官(通訳官)、医官、算官(会計)、律官(法律)、陰陽官(天文・地理・命課学) 以降略


P29
朝鮮時代後期になって中人の定義は次第に拡大され、両班にも常民にも属さない中間階層を示す概念となった。
末端官吏(略)、下級武官(略)、地方の末端官吏(略)、両班の庶子、(略)儒学を学ぶ「校正(キヨセン)」等も広く中人とみなされるようになった。

P31
記録の乏しい常民(小見出し)

朝鮮時代にはこの階層に対して様々な名称が用いられた。
研究者によって若干の差はあるが、大体において常民は、両班・中人や奴婢ではない一般平民で主に農業、商業・手工業に携わっている者のことをさす場合が多い

P32
朝鮮時代における常民の大きな特徴は「国役」を負っていたということである。(略)両班は時期によって若干の差はあったが、軍役をはじめとする「国役」を免除されていた。
これに対し、常民は年貢である(略)などが課されていた

P34
支配階層であるはずの両班階層が3分の2を占めるという奇妙な様相を呈している。奴婢戸は、ほぼ消滅しているが、(略)

私の知る限り、自らの社会的身分を事実上詐称するという詐欺的現象は、中国・日本の近世や西欧の中世には全く見られない現象であり、朝鮮人の民族性の異常性と特異性を明確に示す現象と考えてよい。常民は、両班を詐称し、奴婢は逃亡後に常民を詐称したのだ!上記の著者の記述から、明確なのは、朝鮮人のあくなき、かつ、異常なまでの社会的地位の上昇志向である。今日の韓国においてもみられる現象であり、若年層の失業率の高止まりの根本原因である。また、朝鮮時代の歴史を現在の韓国の歴史学者等から正確に知ることは不可能だ!欺瞞と騙しと歴史の捏造は、日本との関係だけに限ったことではなかったのだ!

「僕は両班の子なんだ!」司馬さんの朝鮮人への強烈を極めたうまい皮肉を思い出す。司馬さんは、姜在彦という朝鮮史美化運動家と交遊があったのだ、にもかかわらず、司馬さんですらハッキリと書かざるをえなかったのだ!勇気をもって批判するべき時である。あなた方は、明らかにおかしいと!

司馬遼太郎さんの「耽羅紀行」(=済州島紀行)抜粋

P104 「僕は両班の子なんだ」という言葉を子供のころから何度も聞いた。わりあい数が多かったから、朝鮮人はみな両班だと思うことにした。」

司馬さんは、陳舜臣さんとも深い交遊があった。司馬さんの遺伝的には中国人(=陳舜臣さん)と遺伝的には朝鮮人(=姜在彦という朝鮮史美化運動家)に向けた視線は全く異なるのだ。

何故、多くの日本人が、遺伝的に完全に正常な人々=中国人と、明らかに遺伝的におかしい連中を8%~20%程度も含むという意味において集団として遺伝的に異常であると言ってよい集団との相違を気づかないのであろうか


P44
では庶民の居住地はどこだったのかというと、意外なことに漢城の中心部であった。(略)最も低い地帯であったため、水はけが悪く、雨が降るとぬかるみとなった、
夏には、川から悪臭が漂うなど良好な生活環境とは言い難く、自然に庶民が密集して住む区域となった

P56
その(戸籍)調査方法が基本的に自己申告であったということである

戸籍の信頼性の低下(小見出し)

人口の減少は失政のせいにされて責任を問われかねず、(略)

李朝朝鮮時代の人口推移に関するソウル大学の論文を読んだことがあるが、意味がなかったようだ!欺瞞が蔓延する社会では、歴史そのものが、創出される対象のようである。
社会的身分を自己申告?であれば、戸籍に基づく両班の比率など意味がない。


P77
韓国・朝鮮では自らを白衣民族と呼び、平服は白い服であったというのが定説である。(略)白が好まれていたのは事実であろうが、青色、黄色、褐色に染色された衣服もかなり目に付く。当時使われていた染料は主に植物性のもので、代表的なものが藍やクチナシの実だった

著者の上の記述根拠は、絵であり李朝末期の写真ではない。アメリカ議会図書館の1910年より前の朝鮮の写真から見ると、両班を含めて、王宮関係者以外は全て白の服しか着ていない!20世紀初めですら、王宮関係以外は誰一人色のついた服を着ていない。

著者は、天理大学卒業後に、大学院で韓国に留学し、博士号取得している。恐らく、キチガイども=韓国人の歴史学者にそのように嘘を吹き込まれ考えもせずに信じてしまったのであろう!
解けた。朝鮮人には、歴史とは存在せず、歴史とは、彼らの都合のいいように作り出すものなのだ!だから、従軍慰安婦強制連行という歴史も、終戦後、50年以上たった頃、作り出され始めたのだ。
朝鮮人には、客観的な真実の歴史なんでそもそも存在しないのだ。

中国正史の検索サイトで「染」でヒットする朝鮮王朝実録を見ると、一番上に、「 署 :掌 造事。令二,正八品」とあるのが出てくる。官営=王宮直営の染色工場を意味すると思われる。正八品は官職のランクであり日本でいえば正8位又は従8位となる。

中国正史の検索サイトで「染色」でヒットする朝鮮王朝実録を見ると、上から2番目に染めた冬服とある。中国や日本では衣服は染められているのが普通であるからしてわざわざ染めた服などという表現は絶対に使用しない。

贈兩使各染色冬衣一襲

李朝朝鮮時代には染料は一般に全く普及しておらず、中国との朝貢貿易で入手し高価であったため王宮関係でのみ使用されていたと断定していい。王宮直営の官営工場でしか色のついた服はつくれなかったのである。韓国人どもは必死にこの点を隠しているが、あるバカな朝鮮人が、

③「海遊録 朝鮮通信使の日本紀行」にもわざわざ色まで書いて

その華美なること目も眩むばかり。その盛んなること江岸よりも倍加し、ここに至って精神もまた眩む。
青、紅、紺、紫、緑、黄の班紋衣を着た男女老少が人垣を成している

と書いていることからも、通信使のおバカな記録係は事実上、当時の李朝朝鮮では染料が一般には普及しておらず、日本を訪れて庶民が色のついた服を着ているのに驚いた様子を吐露している。ただし、薄い黄色の服は国内製造していたかもしれない。


P84
朝鮮時代の女性は外出時に顔を隠して歩いていた。元々これは両班家の婦女子の作法とされていたものであったが、時代とともに次第に庶民層まで拡散した

P95
いずれも滑車を用いず、綱を付けた釣瓶を直接井戸に降して水を汲んでいるのが特徴である。(略)
これらの井戸は比較的浅い地表付近の水脈に頼るものでだったから、干ばつの季節には枯れてしまい、結局河川や枯れていない井戸から水を組んでこなければならなかった。(略)漢城には、水を汲んで売る水売りを生業とする人々が存在していた。

P127
朝鮮時代には松禁、牛禁、酒禁と呼ばれる禁則があり、三禁と呼ばれた。

松禁=松の伐採の禁止(理由は書かれていない)
牛禁=牛の屠畜禁止(牛は農耕に不可欠なため)
酒禁=酒の醸造・販売・飲酒禁止

P128
この時代においての食肉は元旦などの特別の日に限られ、指折り数えるほど特別のものであったということである

P133
朝鮮時代には身分のよって家屋の規模に制限があった。

P136
他人の家に同居する間借りが増加

P172

crazykorean2

染色用の染料自体は、朝貢貿易で中国から輸入していたようである。これは王宮関係者の店の品目リストである。写真で見ても、王宮関係者の写真のみ、色のついた服を着ている
P189
実は煙草は日本からもたらされたものであった

P220
漢城の庶民生活の中でよくわかっていないことの一つが糞尿をどのように処理していたのかということである(略)便所は屋内に作られず(略)個別の建物として建てられた

P233
朝鮮王朝実録には疫病(伝染病)の流行に関する記事が数多く登場する。特に朝鮮時代後期に入って疫病は大々的な流行を見た。(略)17世紀中盤から19世紀中盤にわたる伝染病の流行は国家の人口を激減させた。1660年~1864年の間に死亡者が多数発生した疫病は79回にわたっており、そのうち10万人以上が死亡した場合は6回もあった。(略)朝鮮時代に最も猛威を振るった疫病は天然痘と麻疹であった

以下のとおりだそうだ。
1807年→約756万
1835年→約661万

P249
一般的に朝鮮時代の庶民生活については、朝鮮末期の西欧人の見聞録によってその後進性ばかり強調されたり、植民地支配以前の朝鮮文化を称揚する観点からその優秀性ばかり論じられる傾向がみられる。

この記述から、韓国では歴史は「創出されるのもの」であることがよくわかる。
李朝末期の人口減少は、ソウル大学の論文で知っていたが、この著作にあるように伝染病が原因でったのかどうか?であるが、参考文献を見るとハングル文字のものが多い。この書の致命的な欠点である、中国で書かれたものを参照すべきであろう














これまで科学読み物は、100冊以上読んだせいか、書かれていることは、ほぼ知っていた。何故、こんな内容の書籍が、翻訳されたのかが不思議。著者は、インド系アメリカ人の女性ジャーナリスト、ただし、宇宙論でph.dはもってる、
解説の方が面白い 

P22
電磁波が光だということに、マックスウェルは気が付いた。その波は、ある一定の速さで伝わり、マックスウェルの方程式からその速さがわかる、そうしてはじき出された光の速度は、実験室で物理学者が見出していた光の速度と高い精度で一致したのである。

バカな話であるが、マックスウェルの波動方程式の解から電磁波=光の速度が、導出できることを初めて知った。

P199
私たちの宇宙は無数の泡の一つに過ぎない
このバージョンのインフレーション理論では、私たちの宇宙はただ一つの存在ではなく、ふつふつと沸き上がり、それぞれが誕生、膨張、そしてもしかすると収縮を経験する、無数の泡の一つに過ぎない


P260
この宇宙は10次元でなければならない
つまり、もしひも理論が正しければ、私たちの宇宙は、空間が9次元、時間が1次元、併せて10次元でなければならないということだ

P262
球の6次元版やドーナツの6次元版、カラビ=ヤウ多様体と呼ばれるプレッツェルの6次元版など、その図形には無数の形がある

P393
坂井伸之山口大学大学院教授の解説より
1994年(ビレンキン/リンデ):ビレンキンとリンデはそれぞれの論文で独立に、通常は粒子であると考えられる磁気単極子が非常にエネルギーの高い状況に置かれると、インフレーションを起こして宇宙になることを示しました

P393~P394
1994年(坂井):(略)私は実際にアインシュタイン方程式を解いて、「磁気単極子がインフレーションを起こして宇宙になる」ことを証明しました。そしてこの結果から、「磁気単極子を使えば、実験室で宇宙を創ることが出来るのではないか」と考え始めました


ハーバード大学医学大学院遺伝学教授という正真正銘の集団遺伝学者による本物の遺伝子・DNA解説である。ジャーナリストによるいい加減そのものな解説本と全く異なり、素晴らしい!


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P82
では、今日アフリカ以外の集団はどれくらいネアンデルタール人の系統を受け継いでいるのだろうか?私たちは現代の非アフリカ人のゲノムの1.5~2.1パーセントほどがネアンデルタール人由来であることを突き止めた。ネアンデルタール人の本拠地はヨーロッパであるにもかかわらず、東アジア人が高い数値を示し、ヨーロッパ人の方が低い数値を示した
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P94
18世紀にはじまったヨーロッパ大陸哲学の重要な流れに、アイデアの進歩は弁証法によって進むという考え方があった。対立する視点の衝突がやがて統合に至るという考え方だ。(略)現生人類の起源を理解する道筋も同じような経緯を辿っている。

(以下に説明があるが、要するに、多地域進化説=テーゼ→出アフリカ説=アンチテーゼ→ネアンデルタール人と現生人類の交雑=ジンテーゼ)

P101
最終的に、ネアンデルタール人とデニソワ洞窟人の祖先集団の分離は、47万~38万年前に起こり、これら両方の旧人類の共通祖先集団と現生人類の分離は77万~55万前に起こったと推測された

P106
旧人類集団が現生人類集団と交配すると、旧人類由来のDNAは組み換えというプロセスによってすぐに切り刻まれ、各世代で染色体1本当たり1~2ヶ所の割で現生人類のDNAと切り継ぎされる

(さすがだ!この組み換えに関する一般向け説明は、めちゃくちゃうまい。性染色体には、原則として組み換えがないことを述べるべきだが?)

(略)デニソワ人とニューギニア人の祖先の交配は5万4000年前から4万4000年前の間に起こった言うことが分かった。(略)結果、ニューギニア人のDNAの3~6%がデニソワ人由来であると推定された。ネアンデルタール人由来の約2%という値よりも多い。
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(ニューギニア人が特殊なDNAの持主であることを初めて知った)

P212
伝統的なインド社会の最も際立った特徴はカースト制度だ。(略)カーストの抑圧的な性質への反発から、ジャイナ教、仏教、シーク教といった主要な宗教が生まれた。どの宗教もカースト制度からの避難所を提供したのだ。インドでイスラム教が盛んになったのもやはり避難所を提供したからで、低いカーストのグループがムガール帝国支配者の新しい宗教であるイスラム教に大挙して改宗した。(略)インドのカースト制度にはヴアルナとジャーテイーという2種類の仕組みがある。ヴアルナは社会全体を少なくとも4つの階級に分ける

P214
ジャーテイーはインド人以外にはほとんど理解できない複雑な制度で、最低でも4600、数え方によっては4万にも上る族内婚グループからなる

P215
各ジャーテイ間の違いの程度は、同じような地理的距離で隔てられたヨーロッパ人グループに比べ、少なくとも3倍以上だった

P219
データから読み取れるのは、ジャーテイグループの間には現実に遺伝的な違いがあるということだ。
そうした差異が出来たのは族内婚の長い歴史のせいだった。(略)同じ村で隣り合って暮らしているジャーテイグループ間の遺伝的差異は、北ヨーロッパ人と南ヨーロッパ人との差の2~3倍もあるのが普通だ。実はインドは多数の小さな集団で構成された国なのだ

P221
インドではもちろん、強いボトルネックを経験したグループに属する人の数が遥かに多い。人口が巨大なうえ、ジャーテイグループの3分の1前後が、アシュケナージ系ユダヤ人やフィンランド人と同じかそれ以上に強いボトルネックの子孫だからだ
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P283
現代東アジア人の初めてのゲノム調査結果が発表されたのは2009年で、約75の集団の2000人近い個体のデータが含まれていた。
Mapping Human Genetic Diversity in Asiaという論文が出されている。この論文、以前から知っていたが、総花的内容にすぎない)
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P284
その結果、東アジアの古代の集団の歴史や現在の住人の起源について、新たな発見があった。主成分分析によって、いま生きている東アジア人の大多数の系統が3つのグループで説明できることが分かった。一つ目のグループが最もよく見られるのは、現在中国東北部とロシアとの国境にあるアムール盆地に住んでいる人々だ。(略)二つ目ののグループは、ヒマラヤ山脈の北の広大なチベット高原に見られる(略)3つ目のグループの中心は東南アジアで(略)海南島や台湾に住む先住民族集団の個体に最も強く特徴が表れている

P288
拡散のもう一つの例が日本人だ。日本列島では何万年にもわたって狩猟採集民が優勢だったが、2300年前ごろにアジア本土起源の農業が行われるようになり、同時代の朝鮮半島の文化と明確な類似性のある文化が栄えた。遺伝学的なデータによって、日本列島への農耕の拡散が移住を仲立ちとして起こったことが裏付けられた。遺伝学者の斎藤成也が、現代日本人は、古代に分岐した完全に東アジア人起源の二つの集団の混じり合いであるとするモデルを考案している。一つは現代朝鮮人と関連のある集団で、もう一つはアイヌと関連のある集団だ。(略)このモデルを用いて、斎藤と共同研究者たちは、現代日本人のDNAの約80%が農耕民由来で20%が狩猟採集民由来であると推定した。現代日本人が持つ農耕民関連DNAのサイズを元に、斎藤と私たちは混じり合いの平均の時期をおよそ1600年前頃と推定した
この年代は農耕民が最初に到達した頃よりもかなり後で、狩猟採集民と農耕民との間の社会的な障壁の打破に何百年もかかったことがうかがわれる。この時期は、日本列島の大部分が単一の規範の元に初めて統一された古墳時代に相当する。恐らくこれが、今日の日本の大きな特徴である同質性の始まりを画する出来事だったのだろう。

とう論文が出ている。この論文については、知らなかった!読もう)

P351
こうして、人類学者と遺伝学者の共同作業によって、人類集団の間には生物学的人種という概念に値するような大きな違いは何もないということになった。(略)そして、この統一見解が、見た所何の疑問ももたれることなく、正統派的学説になってしまった。

P354
もう一つ、盛んな論争の元となったのが、人種は医学研究に役立つと指摘したニール・ルッシュの2003年の研究論文だった。社会経済的差異や文化的差異の補正に役立つだけでなく、病気の診断や治療に必要な情報である遺伝的差異と関係があるから、というのがその理由だった。(略)2005年、アメリカ食品医薬品局がそうした考え方を支持して「バイディル」を承認した。2種類の薬を組み合わせたもので、ヨーロッパ系アメリカ人よりもアフリカ系アメリカ人に有効だというデータがあるため、アフリカ系アメリカ人の心不全の治療薬として承認されたのだ

(上記論文が出ている。読むこと。要するにFDAの論文も基本的には同じことである)

P356
現実にある生物学的差異

 集団間の際に関する遺伝的な発見が、人種差別の正当化に使われるのではないかという懸念には、私も深い共感を覚える。(略)この20年ほど、集団遺伝学者の大半は正統的学説への反論を避けてきた。人類集団の生物学的な差異について問われると、答えをはぐらかし、(略)遺伝学者には、人類学者と手を組んで、集団間の差異がわずかだから無視してよいと暗にほのめかすようなことはもうできない。

(まさしく、その通りである!  私は、朝鮮人DNAの異常性即ちアメリカ食品医薬品局の論文を元に、朝鮮人の遺伝子の特異性について、別ブログで、日本人へ強く警告したつもりだが、朝鮮人差別とは別次元の話である。)



















米内氏は、とらえどころのない人物であり、阿川さんの筆も鈍りがちである。印象に残ったのは、この箇所のみであるが、米内氏を含む旧海軍関連の他の著作を数多く読んできた私にしてみれば、

①米内氏に関する他の海軍関連著作の出所は、この阿川氏による伝記に依拠する場合が多かったこと=数十カ所も他の海軍関連著作で読んだ記憶のある米内氏に関する記述があった。

②米内氏がいなければ、日本の終戦は、どうなったのか?とつくづく思わざるを得ないことの2点のみである。

主に、食事をしながら楽しく読めたが、元海軍主計少尉の阿川氏でも、やはり、米内光政という人間を描き切れていない。

阿川氏は、触れていないが、他の海軍関連著作で、平凡な成績であった米内氏の海軍兵学校時代について、生徒である米内氏が、特定の問題について、驚くほど広い観点・視点から検討している点を根拠に、教官が、「彼は、化ける。ひょっとしたら大化けする。」と評していたとの記述があった記憶がある。その本の名前すら記憶がない。だから、この抜粋メモがいる。

P255

サイパンの失陥(つづいてグアム。テニアンの失陥)は、(略)北海道を除く日本全土がB29爆撃機の日帰り行動圏内にはいいってくる。
実は戦前、海軍大学校や連合艦隊における対米戦想定の図上演習で、いかに上手に持ち駒を動かしてみても、最後にはこれと同じ状況が出現していた









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今のところ、MAOA遺伝子については、日本人・韓国人ともそれぞれ1本しか論文でてない。中国人については、わんさか出ている。
下の表=論文中のtable1は、韓国人MAOA遺伝子の反復回数に関する初のデータ。

MAOA2
朝鮮人女性では、table1の染色体比率(1.4%)ではなく、サンプル数ベースでは、女で4.2%(264名中11名)も2Rが出てる。男性はゼロ。2Rが中国人・日本人よりもはるかに高い異様な比率で黒人女性に近い。
地理的に中国と日本に挟まれた朝鮮半島のみでこんなことありうるのか?
そして、他の論文では、サンプル数を分母にするのが普通だ。バカげた騙しに過ぎないが、韓国人の異常性が良く分かる
【論文要旨】
*バスの運転手と偉そうな客が口汚く口論している短い映像とチャット上で一人の生徒がいじめられている様子を写した映像をそれぞれ、学生524名に見せて、心電図と脳波計の変化を記録して調べたところ、オシロスコープでは、4.5Rと3.5Rで差があった

①日本人では、1本しかない下記論文で2R=2.5Rがサンプル中1名しかいなかったので、あまりにも少なすぎて分析対象から除外しているpolymorphism monoamine oxidase-A gene and mood disorders

中国人でも、ほぼゼロに近い!(英文Wikiから)
ところが、この韓国人連中は、わざわざ台湾人についてのMAOA遺伝子論文(2Rの比率が高い)を参照に挙げ、「中国人・日本人との差はない」としている。中国本土ではなく、わざわざ台湾だ!

MAOA遺伝子に関する中国人対象の論文はわんさかあり、どの論文でも日本人と同じく、2R=2.5Rはほぼゼロに近い。酷すぎる!!!

③2R=2.5Rは、黒人で約5%程度、白人でも非常に少ない。=中国人・日本人と同じ
朝鮮人女性では、染色体比率(1.4%)ではなく、サンプルベースでは、女で4.2%(264名中11名)が2回繰返し。(=男性であれば、そのまま発現するので、他者への攻撃性が高くなり、衝動的に行動する)
朝鮮人女性は黒人女性と同じ程度の比率で、2Rを有している。中国人・日本人と比率が全く異なる

MAOA3


中国人・日本人よりもはるかに高い比率だ!


We also investigated the functional relationship between MAOA genotypes and aggression by analysing electroencephalogram (EEG)- and electrocardiogram (ECG)-based neurobiological responses to commonly encountered aggression stimuli in both men and women

サンプル男女の脳波と心電図から、MAOA遺伝子型と攻撃的性格との関係を調べる手法。

Seven different MAOA genotypes were detected in our population, including two genotypes in men and five genotypes in women (Table 1).

The genotype distribution in our study was not in Hardy-Weinberg equilibrium

Due to the low frequency of the 2.5R allele in the population, we focused the next experiments on subject carrying the 3.5R and 4.5R alleles.
サンプル女性中4.2%も存在する2.5Rを無視しやがった。


Effects of MAOA genotypes on questionnaire scores
の結論は、
Therefore, the effect of the MAOA genotype on psychological aggression was negligible in our study population.

Effects of MAOA genotypes on EEG response
の結論は、

Therefore, when aggression-inducing stimuli were applied, the oscillatory change in the γ wave in the F8 channel was greater in hemizygous 4.5R carriers than in hemizygous 3.5R carriers.

Effects of MAOA genotype on ECG responses
の結論は、

Taken together, the ΔHR by aggression-inducing stimuli was greater in hemizygous 4.5R carriers than in hemizygous 3.5R carriers, while average HR by neutral stimuli was lower in hemizygous 4.5R carriers than in hemizygous 3.5R carriers in men.


Discussionから抜粋

The allele frequency observed here was similar to those previously reported for Chinese (54.5–64.7% and 34.8–44.2% for 3R and 4R, respectively)35,69,71 and Japanese (62% and 38% for 3R and 4R, respectively)72 individuals.

In our study, we observed 2.5R at a very low frequency, which corresponds to 2R in previous studies.

Methodsから抜粋

Study subjects

In the present study, 524 college and high school students (260 men and 264 women, age: 18.0 ± 1.4) in Korea were recruited and provided oral epithelial cells for genotyping. All subjects had no record of pathological behaviour and no criminal record.

We found that hemizygous 4.5R carriers showed greater oscillatory variability in the right frontal γ wave in response to aggression-inducing stimuli.

私の知る限り、新興宗教に関するただ一つの正規研究者による著作である

P39
幕末維新期から現代に至る1世紀半余りにわたる新宗教の展開を辿ると、そこには、系譜的に習合神道系創唱宗教と法華(日蓮)系在家集団の2大系統を認めることが出来る

創価学会についての抜粋
P222
1943年(昭和18年)、創価教育学会は、治安維持法違反、神社に対する不敬罪等を理由に弾圧され、牧口、戸田をはじめ幹部21名が全国各地で検挙された。牧口は、敗戦前年に獄死した。

P225
在家信者の講に過ぎない建前の創価学会は、本山から独自の本尊を受けることで宗教としての自主性を確立した

P226
創価学会の急激な全国的発展への道は、何よりもまず、大御本尊を幸福製造機と呼ぶ、むき出しの現世利益の約束によって大きく開かれた

P237
創価学会は、日蓮正宗の在家信者団体(講)の形をとる新宗教であり、その宗教的権威は、全て日蓮正宗に発している

霊友会についての抜粋
P201
久保は、義姉の喜美を霊能者に育て上げて、霊の友会を再建しようと、熱心に法華進行を勧めた。
(途中略)喜美は久保の言いつけで水行などの荒行を重ね、布教にも出かけて、短期期日で、一人前の霊能者に成長した。(途中略) 
1925(大正14)年10月、久保と小谷夫妻は、大日本霊友会を設立し、小谷喜美が会長となった。

P204
霊友会は天皇制ファシズムを下から補強する役割を果たすことになった

天理教について
P101
1908(明治41)年、内務省は、天理教の5回目の独立請願に対して、神道本局からの別派独立を許可した。こうして天理教は、教派神道の一派として国家神道体制下で公認宗教の座に連なることが出来た。


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