反日種族主義 李栄薫

2019年7月に韓国で出版され、同年11月には日本でも翻訳された著名な著作であり今まで読んでいなかった。詳細にメモするが、大部分は既に知っていたことばかりである。経済学者らしく、数値を挙げており、特に従軍慰安婦の部分が優れているが、慰安婦数の算出に当たり「兵150人当たり1名」という数値の根拠となる一次資料を明示していないのが残念である。また、李栄薫氏は、朝鮮半島の人々の遺伝子の特異性に全く気づいてはいない。

事実上は吉見先生(吉見義明中央大学名誉教授)を批判しているが、どこからどう見ても吉見先生は、単に騙されたに過ぎない。直接の当事者である元慰安婦のおばあさんが、完全な嘘を言うはずがないと、吉見先生は考えたに過ぎない。むしろ、吉見先生は被害者なのである


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韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。【偽証罪及び誣告罪が人口比でみて日本の数百倍及び千倍以上にも及ぶ旨を記述した後】
保険詐欺が蔓延しているのは周知の事実です。2014年の自動車保険、生命保険、損害保険、医療保険などの保険詐欺の総額は4兆5000億ウォンを超えると推定されています。
民間に対する政府の各種支援金も詐欺によってだまし取られています。2018年の国政監査の時に明らかにされたことですが、知的財産権に対する政府支援金の33%が詐欺にあっていました

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嘘が作られ拡散し、やがて文化となり、政治と司法を支配するに至った過ぎし60年間の精神史を何と説明したらよいのでしょうか。人が嘘をつくのは、知的弁別力が低く、それに対する羞恥心がない社会では、嘘による利益が大きいためです。嘘をついても社会がそれに対し寛大であれば、嘘をつくことは集団の文化として広がっていきます。

【嘘と騙しが、キチガイどもの最大の心理特性であることは間違いない。500年後に、もし万一キチガイどもが、人口100万人以上の集団として存続していれば、今はこんな診断はないが詐欺性パーソナリティー障害が異常に多い集団として扱われるであろう。しかし、現在の韓国の出生率からしてそのようなことはあり得ず、10万人程度まで減少し民族としては確実に消滅している。

李栄薫は自分たちの遺伝子の異常性に気づいていない。20世紀においてただの一人の「高潔の士」を生み出せなかった自分たちの集団としての遺伝的な異常性に気づいていない。数多くの「高潔の士」が存在した中国人との遺伝的な相違に気づいていない。上の異常な詐欺現象の主原因は、キチガイども=韓国人の異常な遺伝子でしかあり得ない、DNAの異常性でしか説明不可能である。李栄薫氏は何故その点に気づかないのであろうか?BTNファンと同様に?】

p24
根本を追求していくと韓国の歴史とともに長い歴史を持つシャーマニズムにぶつかります。シャーマニズムの世界には善と悪を侵犯する絶対者、神は存在しません。シャーマニズムの現実は、丸裸の物質主義と肉体主義です
韓国人の精神文化、大きく言ってこのようなシャーマニズムに緊縛されています
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p218
しかし既存の研究は、その長い歴史の中で1937年から45年の歴史だけを切り離し、日本軍の戦争犯罪だと責めています

p219
政府が把握した20代女性の総数に対する慰安婦の比率を求めることができます。
要するに、1950年代では20代女性の33人に一人が私娼街の慰安婦であり、1960年代では12人に一人がそうでした

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p233
公娼制の成立と文化(章のタイトル)

諸研究者が指摘するように、日本軍慰安婦制度は、1870年代に日本が施行した公娼制を土台として生まれたものです。その公娼制が1916年に朝鮮に移植されました。

ふつう韓国人は、朝鮮王朝時代は性的に清潔な社会で、20世紀の売春産業は日本が持ち込んだ悪い風習だとみなしています

しかし、それは事実ではありません。

妓生制
朝鮮王朝の地方行政機構である監営や郡県には官碑すなわち官に属した女4碑がいました。官碑は二つの部類からなっていました。一つは、水を汲み料理をする女碑で汲水碑と呼ばれました。もう一つは、
宴会や行事で歌って踊る役を担う妓生で
妓生はまた、
性的慰安を提供する役も担っていました

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1645年鏡城府に属した妓生は100人にも上りました。全国ではほぼ1万人に達していたと推測できます

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右記の記事の中で「朝鮮の娼妓と言えば誰もが慶尚道の女と思う」という指摘は紛れもない事実でした。

前にも指摘しましたが、妓生制、公娼制、慰安婦制は、もともと歴史的に一つの系譜なのです

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大体、兵士150人当たり慰安婦一人でした。

p262
朝鮮人慰安婦の総数は、およそ3600人でした。1941年国内で活動した娼妓、芸妓、酌婦は9500人でした。満州、台湾、日本、中国で活動した娼妓などもその程度ですべて合わせて1万9000人でした。そのうちの3600人が日本軍慰安婦でした。その3600人と残りの1万5400人は、同質の存在でした。つまり、日本軍慰安婦は、公娼制という大集合の部分集合でした

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日本軍慰安婦の総数がどの程度で、そのうち朝鮮人がどの程度いたのかに関しては、合理的に推測できるいくつかの根拠があります。1937年、日本軍が慰安所を設置した当時、慰安婦は兵士150人当たり1人の比率で充当されました。そうすると、全日本軍250万人を相手にする慰安婦は総計1万8千人余人です。1942年、日本軍が将兵に支給したサックの総数は、3210万個でした。この数値からサックの一日の使用量を求め、一人の慰安婦が一日に5人の兵士と接したとすれば、やはり1万8000人に近い数値が導き出せます。

慰安婦たちの民族別構成は、日本人40%、現地人30%、朝鮮人20%、その他10%と概算するのが一般的です。

その20%という比率で朝鮮人慰安婦の総数を求めると3600人と推算されます

p270
二年後の1944年8月頃、20人余りの慰安婦が米軍の捕虜となって尋問を受けました。その時作成された尋問記録から慰安婦制の本質と実態に関する、他のどの記録よりも詳しく正確な情報が引き出せます

【まさにそのとおりであり、吉見先生の従軍慰安婦資料集に尋問記録の一部が収録され訳されている


p274
3万2000円のお金をもち
今日の価値だと約1億円
最前線の慰安所経営はそれほど儲かる事業でした

p277
楯師団の慰安婦 文玉珠

1942年7月10日朴治根一行が釜山港を出る時、文玉珠という女性が他の一行の一員として同じ船で東南アジアに向かいました。
文玉珠は、1924年生まれ大邸出身で1996年に死亡しました

森川氏は、文氏の回顧を1996年「文玉珠 ビルマ戦線楯師団の慰安婦だった私」という本にして刊行しました

1940年秋、16歳の文玉珠は満州の東安省にある日本軍慰安所に連れていかれました。憲兵に強制連行されたと言っていますが、そのまま信じてはいけません。彼女の母親か兄の承諾によって周旋業者に連れていかれたのをそのように言っているだけです

そこで、一年間、慰安婦として暮らした文玉珠は、同僚と一緒に慰安所を脱出して大邸に帰ってきました

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定着したのは、ビルマのマンダレーと言ところでした

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写真は日本の郵貯銀行貯金事務センターが今でも保管している文玉珠の軍事郵便貯金原簿の調書です
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性奴隷説を先駆的に主張した研究者は日本の吉見義明という歴史学者です

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問題の核心は、慰安婦たちに選択の自由が全くなかったのかという点です

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米軍の尋問記録が指摘しているように、1943年に東南アジアの日本軍は、前借金を償還し、契約期間が満了した慰安婦の帰郷を許可しました。

【当時の朝鮮は日本であり、満18歳以上=当時は数え年であったので、数え年19歳でなければ売春婦=妓生として朝鮮では営業できなかった。例えば、抜粋メモした従軍慰安婦証言集 

P44金 学順 証言「ところが19歳にならないと役所から妓生許可が下りないのです。卒業した年、私は17歳だったので卒業しても営業することが出来ませんでした」

吉見先生が正しく指摘されているように、当時売春は合法であったが、満18歳以下の場合には、年少女性保護の観点から国際条約で禁止され、当時の日本もその条約に批准していた。金学順の証言はその意味でも客観的な裏付けがあるのである。文玉珠も完全に同じパターンで年齢も同じで満16歳である

問題であるのは、完全に関東軍の統制下にあった陸軍慰安所で、満16歳の女性2名(文玉珠及び金学順)が売春婦として働くことができたという点が確認できる点である。李栄薫氏は気づいていないようだが、これは完全な国際条約に反する、かつ、16歳の日本人女性(内地人ではなく半島人)が若年にもかかわらず、売春することを関東軍が事実上は認めていたことを意味する。軍が知らなかった可能性は、ほぼない。キチガイどもは、今の時点では「慰安婦強制連行」というバカげたデマを知能が低いゆえに信じ込んでいるが、数十年後には上の点に気づき、この点を集中的に攻めてくるであろう。ただし、集団特性として知能そのものが中国人・日本人よりもかなり低いため、気づくことすらない可能性が高い】

p338
亡国の予感

至る所に慰安婦を形像化した少女像が立てられました。誰も犯すことができない神聖なトーテムでした。
その偽善のありように、書いている私も背筋が寒くなる程でした
2022年女性省は刑事政策研究会に性売買の実態を調査させました。
調査結果をもとに合理的に推測した性売買従事者の総数は最小33万人とされました。20~30代女性の就業人口の8%にも達する数値です
2000年代まで続いている「我々の中の慰安婦」の実体はこのようなものです